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モドル
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サイレント・ノイズ 第五話
――盗マレタ声――
08
カイの多くの質問にリュウが答えたのは、それからニ週間もしてからだった。リュウ自身の怪我の回復を待ったのと、それを後回しにしてエリカの治療を行ったためだ。その上、リュウはもう、元の診療所に戻ることは出来なかった。
「私にも分からないことがたくさんあるんですけどね」
聞きたいことがたくさんあると言うカイに、どうぞ、と言ったリュウは、さらに続けて、そう言った。その言葉に、カイはじっとリュウを見つめる。こういうときのリュウから色々聞き出すのは、困難だ。
「俺に聞く権利はあると思うんだけど。まあいいや。ファンのことから教えてよ」
聞く権利ですか……と呟きながら、リュウはゆっくりと椅子に座った。ここは、梅花の持っている隠れ家の一つだった。窓からは、まるで太陽光のような光が入ってきている。太陽のはずがないのに、その光は温かい気がするとリュウは思った。
カイの言う権利とやらより大切な約束が、リュウにはあった。
「ファンのことはあんまり知らないんです。ただ、半年ほど前だったでしょうか。彼が背中にかなり深い傷を負っていたのを助けたことがあります」
カイはリュウの話を聞きながら、何もないその部屋の中をゆっくり歩いていた。あるのは、リュウが座っているソファーと対になっているもう一つのソファー、その間に置かれている机。それだけだ。
「誰につけられた傷かは?」
「わかりません。そう言うことは聞かないことになってるでしょう?」
そう微笑むリュウに、カイはため息をつきながら頷く。それが、リュウのいいところなのだ。だからこそ、カイもリュウに診察を頼むのだから。
「じゃあ違う質問。梅花とはいつから関係があったの?」
カイは部屋を一回りすると満足したように、リュウの向い側のソファーに座った。
「三年ぐらい前からですね」
「どういう関係?」
「どういう?ビジネスですよ。取引をしている」
それは、嘘ではない。エリカのデータを保管するかわりに、エリカもしくはリュウに何かあったとき、そのデータは梅花のものになることになっているのだ。
あまり、梅花にとって美味しいビジネスではないことはリュウもメイもわかっている。リュウはそのデータを決して梅花が悪用しないことを知っている。きっと売れば高く売れるだろうが、メイはそんなことはしない。ビジネスには厳しいメイがそう言う取引をするのは珍しい。でも、それを可能にする、共通項が二人にはあった。
「取引?」
「そう、だからその先は言えません。言ったら取引が成立しなくなる。情報屋の取引はね」
それは、カイが良く分かっているでしょう?というように、リュウは笑った。
「簡単に答えてくれるとは思ってないけど。もう一つ、山吹って女は何?」
リュウは蘇芳を知らないはずだが、山吹を知っている。そして、山吹は蘇芳を知っているのだ。何かとても、気に食わない構図だった。
「その女のことも、私はよく知りません」
「そうは見えなかった」
間髪いれずにカイがそう言うと、リュウがため息をつく。リュウの口の堅さは知っている。だが、そこから最大限の情報を引き出さなければならない。
「あの女は昔からエリカを狙っていましてね。エリカはあのとおり、変わった体質をしている。それで、色々なところから狙われているんです。あの女もその中の一人なんでしょう」
「でも、そこからリュウがエリカを攫ったようなことを言っていただろう?」
だから情報屋は嫌いです、とリュウはまたため息をついた。カイの記憶力がいいことを、リュウは知っていた。
「それに、あの女は国関係だと思うんだけど」
蘇芳が手当てしてくれたときの薬を、政府関係者が独占しているものだと言ったのは、このリュウだ。その蘇芳を知っていて、山吹と言う名を持つのなら、彼女もまた、政府関係者である可能性が高い。
「さあ、そうかもしれませんね。国が狙っていてもおかしくないですから」
あくまでもとぼけるつもりなのだろう。リュウは微かに笑いながらそう言う。カイはもちろん納得していない顔をして、どこから切り込もうかと考えている。
エリカはだいぶ衰弱していて、カイは眠っている顔を見ただけだ。持っていったチョコレートは、まだ食べられていない。リュウの話では、体力的には早い救出だったが、精神的にかなり不安定になっていたということだった。それが、エリカの不安定な細胞を消耗させたのだろう。不安定な細胞。その意味するところはカイには良く分からない。
「エリカのことを詳しく聞いてもいいかな」
「カイはいつもそんな風に情報を聞き出しているんですか?」
もっと怖いのかと思った、と言ってリュウが笑う。
「いつもは……聞き出したりしないんだ。こっそり貰っちゃうんだから」
カイがにやりと笑うと、リュウが困ったようにため息をついた。尊重されているのは、分かっている。
「わかりましたよ。話せることは話します」
リュウがふと、外を見た。いろいろなものが、動き出しているのかもしれなかった。でも、光に照らされた街は、とても静かだった。
「エリカのことを話すのなら、まず私のことも話さなければいけません」
リュウは外に目を向けたまま、静かに語り始めた。
「私は日本人の父を持つ、ハーフなんです」
面影はあった、とカイは思う。ただ違うと言われれば、日本人ではないことを疑いもしないだろう。この小さな島国が全世界となってしまった今は、日本人とのハーフと言う立場は、なかなか複雑なものがあるはずだった。
「でもやはり上手く行かなくて、私を産んですぐ、二人は別れてしまいました。ただ珍しく、私は父の方に育てられましてね。日本人社会で育ったんです」
純粋な日本人の血を持つものを優遇するこの世界で、それは確かに珍しいことだったはずだ。そして、きっと辛かったに違いない。
「別に、ひどい劣等感とかはなかったんですよ、カイ。そんな顔しないで下さい」
リュウはそう笑うが、それは、今だから言えることなのではないかとカイは思う。
「なりたかった医者にはなれましたし」
ね?とリュウが笑うその顔が、どことなく寂しそうなのが、きっとカイに要らぬ心配をさせるのだ。
「ただ……」
リュウはそう言って、また視線を外に戻した。
「父にはその後再婚した日本人の妻がいましたし、子供もいました。私には母がいなかったですから、やはり寂しくはあったでしょうね」
まるで他人事のように、リュウは言う。カイも両親を知らないから、その寂しさは分かる気もするが、そうやって、比べてしまう人物が近くにいたわけではないから、祖父と楽しく過ごした、と言ったほうがいい。
「それが、いつだったか妹の存在を知りましてね。母親の再婚相手との子供だったのですが、両親共にいないという彼女のことを聞いて、私が引き取ろうと思ったんです」
それがエリカか……とカイが呟くと、リュウは無言で頷いた。
「そのときもう、彼女は六歳で成長を止めてしまった後でした。私とは五つほどしか離れていないはずなんですがね、五年前に私が引き取ったときから、変わりません」
「え……?」
「ええ。彼女は本当はもう、二十歳にはなるはずです」
あの姿のまま、エリカは十五年近くもいたというのだろうか?カイはそう思うとぞっとして、思わず自分の腕を握った。
時を止めてしまった、小さなエリカ。
「病気……じゃないよな」
「違います」
いやにきっぱりと、そして微かに怒気を含んだ声でリュウが答えて、カイは思わず顔を上げた。
「話せることは話すと約束しましたからね……彼女は、実験体だったんです」
「実験体?」
カイが思わず聞き返すと、リュウが哀しそうな瞳をそのカイに向けた。
「ええ。不老のための、人体実験の被験者なんです」
静かな部屋の中が、ひんやりと凍えたようだった。それが錯覚だとわかっているが、カイは自分が震えているのは、その寒さの所為だと思ったのだ。
「そんな……」
カイはそう言いながら、ふとあることに思いあたって、思わずリュウを見た。
攫われた、エリカ。
それで取り戻したようなことを、リュウは言っていた。あの、山吹という女から?
「待って。その実験をしてるのは、まさか……?」
カイがそう呟いたのを聞いて、リュウは、ゆっくりと首を振った。
「それは、言えません」
「リュウ?」
「約束なんです。エリカを助け出してくれた人との、約束なんです」
リュウはそう言うと、それ切り、口を閉ざしてしまった。優しい、あの老人の顔を思い浮かべる。数えるほどしか会っていないのに、まだ覚えている。もう会えない、その顔を。
――もう、運命は決まっているようなものなのだろう。でももう、これ以上背負う必要はないと思うんだよ。わがままだと、分かっているがね。
老人の、その祈りに似た言葉を、リュウははっきりと、思い出すことができた。同じだからだ。自分と同じ祈りだから、リュウはそれを叶えたい、と思うのだった。
たとえもう、目の前の成長した赤い髪の少年が、何かに巻き込まれたのだとしても。