椿古道具屋 第二話
少年の神さま 07
他人の家の家庭事情を訊くというのは、そうそう簡単なことではない、と史朗は実感していた。特にたかが高校生の自分が、近所に訊いて回るというのはどう考えても怪しい。大人だったら、それこそ興信所とでも言って聞き出せたかもしれないが、史朗はいまだに、ときどき中学生に間違われるほどだ。これで探偵などと言ったら、余計に怪しい。
――凪なら、平気な顔してやってのけそうだよなあ。
落ち着いた雰囲気と背が高い凪は、史朗とは違って大学生と言っても通るだろう。それに何より、女受けがいい。本人は嫌がるだろうが、にっこり笑って爽やかな好青年を演じて見せれば、奥様達の口も軽くなるかも知れない。
――無理無理。凪には協力は頼めないんだから。
結局史朗は、神様たちの手を借りることにした。糸巻き様の入れ知恵である。
「誰か、そのお家に行けないかねえ。史朗に上手く置いておいてもらえれば、見たり聞いたりできるからね。何かわかるかもしれない」
「あまり大きいものじゃ駄目ですね。史朗が持ち歩けて、置き忘れることができて、取りに行けるもの……」
「あ、あの方はどうですか? 根付様」
「根付様?」
神様たちの視線の先を見ると、三匹の猿が背中合わせに坐っている、小さな木彫りがあった。真ん中から、紐がでている。
そこからしゅるりと出てきた猿たちは、一匹は手で口を覆い、もう一匹は耳を、残る一匹は目を覆っていた。どれも同じ顔をしていて、目がくりっとした愛らしい猿たちだった。
「猿? 根付?」
「根付というのは、財布とかにつけるものだよ。これには「見ざる言わざる聞かざる」の木彫りの猿がついてるけど、木彫りは色々だよ。まあ、飾りだね」
ほら、と渡されて紐を摘まんでみる。この形は見たことがある。ああ、ストラップみたいなものか、と史朗は納得した。
「これなら、忘れものにできるよ」
携帯電話を取り出して、ストラップを見せる。似てるでしょ? と言うと、猿たちは冗談じゃないとばかりに肩を竦めた。それにしても、猿型の神様とは初めてである。
「あの、喋れるの?」
「失礼だな。俺は見猿だけど聞けるし喋れる」
「俺は聞か猿だが、見えるし喋れる」
そしてもう一匹は、見えるし聞こえるが喋れない。頼りになるのかならないのか。わからないが、ともかく史朗は、手嶋家にその根付様を忘れてみることにした。
手嶋の家には、預かっていた招き猫を返しに行くことを口実にした。正直手嶋はいらないようだったが、椿屋の方で預かっているわけにもいかないと言うと、「それもそうですよね」とやはり気弱な手嶋らしく諦めたようだった。
奥さんが入院しているという割には、手嶋の家は奇麗だった。だがそれは、汚していないだけで掃除しているわけでもないらしい。亮一の荷物が少し、点在している。史朗は内心かなりドキドキしながら、それでもなんとか、根付様をリビングの観葉植物脇に落としてきた。神様たちに、「史朗にしては良くやった」とあまり嬉しくない褒められ方をした場所だ。
神様たちは自由に動けるのかと思いきや、自分の「本体」とも言える依り代が見える範囲ではないと駄目らしい。ただし、神社などの神域は別で、一応は椿屋も例外に入るということだが、ややこしいものである。
リビングならば、ドアからのぞくと玄関も見えるし、階段も見える。亮一の部屋までは覗けないけれど、玄関が見えることは役立つ、と神様たちも頷いている。
一週間ほどで、史朗はもう一度手嶋の家を訪ねた。今回は事前に連絡せずに行ったため、手嶋はいなかった。
「一人で留守番なの?」
インターホンに答えて玄関を開けてくれたのは、亮一だった。学校帰りだから時間は午後六時くらい。外は暗くなっている。まだ、手嶋は帰ってきていないのだろう。
亮一は何も言わずに、史朗を見ている。こんな風に確認もせずにドアを開けてしまうというのは、とても心配だった。
「あのさ、俺のこと覚えてる? お母さんの病院で会ったんだけど。この間、お家にもお邪魔したし……」
亮一は片手に人形を下げたまま、やはり何も反応しない。
「それでね、この間、小さい猿の人形っていうのかな。それが三匹ついたストラップを落としちゃったみたいなんだ。なかったかな?」
亮一は今日もスエットの上下を着ている。家の中はエアコンがついているのか暖かい。タイマーでも掛けているのだろうか。手嶋が亮一を気にしていないわけではない、その証拠のような気がして、史朗は少しだけほっとした。
亮一は無表情のまま、ぱたぱたとリビングに向かった。そして戻ってくると、にゅっと手を差し伸べて、根付様を史朗の目の前にぶら下げた。
「あ、そうそう、これ。ありがとう。良くわかったね」
根付様を受け取って、思わず頭を撫でようと手をかかげたら、亮一はびくっと身体を引き攣らせた。史朗は慌てて、手を引っ込める。
「ごめんごめん。突然びっくりしたかな」
亮一は人形をぎゅっと胸に抱えた。口を真一文字に結んで、床を睨むようにしている。史朗はしゃがみこんで、亮一より低い目線にした。
「お父さんは、まだ帰ってこない? 僕はもう帰るけど、鍵、ちゃんと閉めておくんだよ?」
亮一は、小さく頷いたようだった。
史朗は無くさないように根付様を携帯電話につけて、椿屋に向かった。神様たちは本来の使い道で使われる分には、気分がいいようだと最近分かってきたからというのもある。だが、椿屋に着いてから、携帯ごとちゃぶ台の上に置いた途端、猿たちは喚きだした。
「おいおいおいおい! てめえは何てもんに俺たちをつけてんだいっ」
「痛いなあ。なんだよ、この硬い物は」
もちろん、言わ猿は何も言わない。だが、大きな目で睨まれた気がした。
「おら、早く外せって。まったくどんな財布だよ。布でも革でもねえ」
手は出てこないが、見猿と聞か猿には噛みつかれそうである。史朗は慌てて根付様を携帯電話から外した。とにかく神様たちと言うのは扱いが難しい。
「それで? どうだったんだい」
糸巻き様がいつものようにお茶を出してくれた。三匹が鎮座しているちゃぶ台の周りを、様々な神様たちが取り囲んでいた。便利水様たちは、根付様たちにじゃれついていた。長い毛を引っ張ったり、三匹の背中の空間に潜り込んだりしている。
その便利水さまの一人に頭の毛を引っ張られながら答えたのは見猿だ。
「静かだったぜー。あの子供は家でも喋ってねえ。俺は一言も声を聞かなかった」
「見猿に聞いても無駄だぜ。何せ家は静かだった。あの年の子供がいるようには思えないほどな」
聞か猿の言葉に、史朗は隣の市松に囁いた。
「聞こえてるの?」
「いや、聞こえてねえよ。でも、聞か猿は音がしたかどうかはわかるみてえだ。見猿ももちろん、気配はわかる。それに三猿はお互いが何を思ってるかは手に取るようにわかるって話だ。ま、三匹で一匹だからな」
市松の言葉には、三猿が反発した。尻尾がその頭を叩いたのだ。
「同じにするな、バカ市松」
見猿と聞か猿の声が揃う。市松は肩を竦めた。
「あのー、それで聞か猿様は何か見ました?」
「史朗、聞か猿の前に行かないとわからないよ。この猿は口は読めるからね」
糸巻き様に手で招かれて、史朗は聞か猿の前に坐った。もう一度、同じ質問をする。だが、先に口を開いたのは見猿だった。
「聞か猿だって大したもん見てねーだろうよ。俺はなあ……」
「うるさいよ見猿! 今は俺に訊いてんだろうが」
喋れる二匹の猿が喧嘩を始めた。史朗はあっけに取られるばかりだ。二匹とも口が悪い上にキーキーうるさい。それに、聞いていると同じ人間が喋っているようにしか聞こえない。聞か猿はきちんと見猿の言っていることがわかっているようなのが不思議だ。
ばしっ、ばしっと音がして、二匹が黙ったのは言わ猿の尻尾が飛んできたからだった。二匹がどちらも蹲るような恰好をしたので、手加減なしだったのだろう。言わ猿は涼しい顔をしている。
「とにかく、俺が見たことを話すぜ。ってもなあ、寂しいもんだったよ。朝飯は一応食べさせてたけど、夕飯は息子一人ってこともあったしな」
「亮一君一人って……。まだ六歳なのに」
「なんだ、変な四角い箱に皿入れて、音が鳴ったら取り出して食べてたぜ」
それは電子レンジってものよ、と娘姿の神様の一人が笑って教えている。
「昼間はどうしているんだい?」
「どこかに行ってるみたいだった」
「隣んちだよ。七時にあの男が帰ってくるまで、普段は隣んちにいる」
口を差し挟んだ見猿に、聞か猿は文句を言わなかった。そのまま、見猿が続ける。
「隣の家は、たぶん結構な年の人間が住んでる。それも女の一人暮らしだな。父親が毎回律儀に頭を下げて頼んでるようだが、他の男の声がしたことはなかった。ただ、ここ二、三日はあっちの家には行ってない。隣の婆さんは出かけていないから、一人で留守番しろ、火はつけるな、知らない人が来ても戸を開けるなって、しつこいくらい言ってたぞ」
老人の一人暮らしで、もしその人間が子供が好きならば、亮一を快く預かってくれただろう。だがもちろん、それは好意でしかなく、今日のような日もあるということだ。
「でも、俺が行ったときはドアを開けちゃったんだよなあ」
「それは、ちゃんと見てたからだ。戸に覗き穴があるだろ? 踏み台持ってきて、あれを見てたぜ」
それを聞いた糸巻き様が、「一日一人ぼっちじゃ、淋しいんだろうねえ」と溜息を吐いた。
「聞か猿は、例の人形、見たんじゃな?」
織部さまの問いに、聞か猿が頷いた。聞か猿に誰かが質問する度に、史朗は脇に避けなければいけないので大変だ。
「見たぜ。確かに、御霊が抜けたような跡があった。でもなあ……」
両耳を手でふさいだまま首を傾げる様子は可愛らしい。これで口が悪くなかったら、言うことはない。
「なんだ、聞か猿」
「なんかこう、違った。俺達の仲間にゃ見えなかった」
その意見に、見猿も言わ猿も賛成のようだった。言わ猿は頷いているし、見猿は「気配が違った」と言っている。
「違うって、どういうことですか」
史朗はそう訊いてみるが、三猿は首を傾げている。互いの頭がぶつからないように、みな同じ方向に頭を傾けているのがおかしい。
「こりゃ、その母親のところに誰かが行くのが一番かもしれないな。史朗は見なかったのかい」
「見えなかったから、困っているんです、織部様。隠れてるのを引きずり出す方法とかないんですか?」
「おいおい史朗、口の利き方に気をつけるんじゃな。我ら相手に、人間が引きずり出そうなんて考えるものじゃない」
失敗した。史朗はすみません、と殊勝に謝った。それから、話を戻そうと三猿をそれぞれ見た。
「他には何か気付いたりしませんでしたか?」
「んー? ああ、そうだ。聞か猿、おめえなんか見ただろ。一週間のうちの三日、夜中に物音がしてた。あれは鍵の音じゃねえのか」
「ああ! 大事なことを忘れてた。そうそう、夜中に父親が出かけてくことがあったな。で、朝まで帰ってこない」
それは一体どういうことだろう。史朗は眉根を寄せた。夜に子供を一人置いていくなど、父親のすることじゃない。
「まるでコソ泥みてえに出てったぜ。ありゃ、後ろめたい気分で一杯だな」
聞か猿が、一人納得したように頷いている。念のため言わ猿も見たが、彼もまた頷いていた。
「出てっていたって……どこに行ってたんだろう?」
史朗の疑問に答えたのは、意外な人物だった。
「女のところだよ。離婚話の原因もそれだ。あの男の浮気だよ」
そう言いながら現われたのは、凪だった。後から朱紫様も入ってくる。
「凪……手嶋さんが浮気?」
「ああ。会社の若いアルバイト事務員が相手らしい。それが奥さんにもばれて、離婚話になってるみたいだな」
凪が通ると、神様たちは道を開ける。見えていないのだから仕方がないとはいえ、ずいぶん偉そうだ。凪は史朗の正面に胡坐をかいて坐った。
「そんな風に見えなかったけどなあ」
史朗は手嶋の気の弱そうな顔を思い出す。同時に、眠っていてさえ気が強そうに見えた、奥さんの顔も頭に浮かんだ。
「人は見かけによらない……ってわけでもないかもしれないけどな。手嶋さん、実家は結構な金持ちだって話だ。浮気相手も財産狙いで、手嶋さんはうまく騙されてるって噂。確かにいいところの息子って感じじゃないか。若い女に簡単に騙されそうなさ」
高校生にそんなことを言われてしまっては、手嶋も怒りたくなるだろう。だが、結構謝っちゃうかもな、と史朗も思う。
「財産狙いってことは、別れたあとはその浮気相手と再婚する予定なのか?」
「そう。ちなみにあのガキは引き取りたくない、と言っているらしい」
史朗は「なんだよそれ」と怒ったように言った。実際、怒っていた。まったく大人と言うのはどうしようもない。
「じゃあ、やっぱり亮一君はお母さんの方に行くのか……。まさか母親も拒否してるとか言わないよな」
「いや、引き取るって言ってる。でも、やっぱりってどういうことだよ」
凪が眉根を寄せているので、史朗は先日の神様たちとの会話を説明した。と言っても、複雑な問題をうまく説明できたかは怪しい。
「つまり、御霊そのものが恨んで荒魂になることもあれば、持ち主との関係で、荒魂になることもある、と」
しっかり理解してくれたらしい。史朗はちゃぶ台の上のお茶を飲んだ。
「でも、手嶋さんに訊いた感じだと、別に奥さんはあの人形のことはどうとも思ってなかったんじゃないか、って。最初は確かに服を作ったりしてたけど、その後は放りっぱなしで、亮一君の好きにさせてた、とか」
「離婚前の夫婦のことだから、どこまで見てるのかわからないけどな。でももしそれが本当なら、どうして荒魂は母親に憑いたんだ?」
「亮一君が、別れてほしくないって言ったとか。お母さんが眠っている間は、両親は離婚できないでいる」
凪は首を傾げている。
「それなら、どうして母親なんだ? 引き取るのが母親なら、父親を引き留めるべきだろ」
確かにそうだ。
「またわからなくなってきた……」
足を伸ばしてごろりと横になる。その拍子に、凪に足が当たってしまった。すかさず、凪が蹴り返してくる。そうなればもちろん、史朗も蹴り返す。ちゃぶ台はそれほど大きくない。しばらく二人でそんなことをしていると、そのうちちゃぶ台が軽く浮き上がったりした。
幼い頃、大人たちと同席させられると、二人は良くこうして暇つぶしをしていた。大概は隣同士に坐らされ、大人しくしていなさいね、と言い含められるのだが、そこは子供同士、それも仲良しの友達といるのだ。大人しくしていられるはずがない。はしゃげばすぐに怒られるのはわかっていたから、大人の目に見えないところで遊ぶのだった。凪の家にいるときは、椅子ではなく畳に座っていたから、足は崩せず、手での攻防となる。今のように足で蹴り合ったのは、史朗の家や外での食事をしたときだ。
その頃も、次第に加減が効かなくなって、テーブルや机の上を揺らしてしまって、怒られた。だが今回は誰も咎める人はいない。と思っていたら、「お二人もまだまだ子供ですねえ」と楽しそうな声がした。神様たちがいるのを、すっかり忘れていたのである。
にこにこと機嫌が良さそうに笑っているのは朱紫様だ。史朗に見える神様たちも、肩を竦めたりしている。二人はようやく攻防戦を終えて、お互いくすりと笑い合った。おかげで史朗は、先ほどから言えずにいた言葉を呟くことができた。
「ありがとな」
なんだと言って、凪は手嶋の家の内情を調べてきてくれたのだ。
凪は聞こえないふりをしていた。でも、史朗にはそれが照れ隠しだとわかって、顔が自然と綻んでしまう。その様子を見ていた三猿が「背中をくっつけ合っていなくても、俺たちみたいな二人だな」と言い合っていたのは、なんとなく目を合わせて笑っていた二人には、聞こえていなかった。