01 02 03 04 05 06 07 * 09




椿古道具屋 第二話

少年の神さま 08


 荒魂になった原因を解決しなければ、御霊は救われない。原因を解決するためには、その原因を探り当てなければならない。
 史朗はとにかく亮一と話をしてみようと、翌日の土曜日の午後、そのマンションに向かった。昼間の間、亮一を預かっている隣のお婆さんに話を訊いてみるのもいいかもしれないと思った。
 だが、亮一はマンション前の公園で、一人で遊んでいた。正しく言えば、一人と一体――あの人形も、もちろん一緒だ。史朗が通りかかった時には、一緒に滑り台を降りていた。亮一は何度も何度も、繰り返し上っては滑っている。
「亮一君、こんにちは」
 声をかけると、亮一は滑り台の上からじっと史朗を見降ろした。その足の上に、人形が乗っている。相変わらず、グレーのスエットの上下姿だった。
 すーっと滑り降りてくる。足は真っ直ぐ、手は人形をしっかり持っている。地面に着いた足は、思ったよりずっと小さかった。
「その人形、可愛いね。なんて名前?」
 史朗もしゃがみこんで、目線を合わせて話しかける。亮一は俯いて人形の手を動かしているだけで答えなかった。
「おばあちゃんのだったんだって? 服はお母さんが作ってくれたんだよね?」
 反応がない。亮一は、人形の腕をぎゅっと握っている。今にも壊してしまうのではないかと思うほどだった。
 史朗は溜息を吐きたくなった。辛うじて耐えたのは、メールの着信を知らせる音が鳴ったからだった。
 メールは凪からで、どこにいる? と簡潔なものだった。手嶋のマンションの前の公園、とこちらも簡潔に返信すると、すぐ行く、と返ってきた。
「亮一君、そんなに握ったら、人形も痛いんじゃないかな」
 相変わらず爪が白くなるほどに人形の腕を握っている亮一に言うと、ぱっと顔を上げた。黒眼が大きいその目は、昔凪の家の庭で覗き見た井戸のようだった。深い井戸は水を湛えていたはずだが、深すぎて光が届かないその底は、どこまでも続く暗闇だった。
 亮一は今度は、ブランコへと向かって走っていった。史朗はとうとう、短く溜息を吐いた。それから起き上がって、ブランコへと歩いていった。その間に、凪の姿が見えた。
「なんだよ。早すぎ」
「もともと、こっちに来ようと思ってたんだ。ほら行くぞ」
「行くって? それに亮一君置いていけないだろ」
 ブランコの方を指差すと、凪はちらりとその小さい姿を見て「連れてけば」と言った。
「連れて行くって!」
「すぐそこだから」
 すっと伸びた指の先は、手嶋のマンションの隣の棟だった。


 凪に連れて行かれたのは、高校の先輩の家だった。情報通の先輩だとかで、手嶋家のことも何か知っているはずだという。
「ああ、隣の……。母親が原因不明の病気で入院中とは聞いたけど……。俺が今知ってるのはそれくらい。でも神鳥の頼みならいくらでも調べてやるぜ?」
 備前高史(びぜん・たかふみ)と名乗った先輩は、愛想良く三人を家に招き入れてくれた。母親は買い物に行っているところだと言いながら、コーヒーやらジュースやらを出してくれる。
「じゃあ、よろしくお願いします」
 凪は殊勝にも頭を下げたが、まったく頼んでいる感じじゃない、と史朗などは思った。高史もそれはわかっているようで「頭を下げているのに、ちっとも下げられてる気がしない」と苦笑した。
「どうせ交換条件――頼みって言うより、貸し、なんでしょう?」
「貸し?」
「そう、この先輩はタダで頼み事を受けてくれるほど親切でも優しくもない」
 史朗に向って、凪がそう説明してくれる。史朗は「そうなんだ」と頷けるわけもなく、困ってしまった。
「ところで神鳥、こちらは?」
 高史はにこやかだ。人当たりのいい、話しやすい先輩、という感じで、史朗は萩桜高校の先輩と言うからにはもっと高飛車な人を想像していたから、ほっとしていた。
 凪は一言「友人です」と言っただけだ。相変わらずである。史朗は「水穂高校一年の椿史郎です」と自ら名乗った。
「友達なんだ? へぇ……」
 高史の口調は馬鹿にしているわけではなく、感心の色があった。それと一緒に、好奇心に目が輝いている感じだった。
「神鳥が自分で友人、って言うのは珍しいよね。どうやって友達になったの?」
 難しいことを訊くものである。ただ、史朗には簡単なことで「幼馴染なんで」とあまり考えもせずに答えた。
「幼馴染かあ。幼いときの神鳥って想像しにくいね。可愛くなかっただろ?」
 どうやらなかなかに毒舌でもあるようだ。史朗はにやりと笑った。
「それが、可愛かったんですよー。女の子みたいで、幼稚園のときなんかは男の子の隠れアイドルだったくらい。今と同じで無口だったから、怖がられてもいたけど」
 足を蹴られる。隣の凪は不機嫌な顔だ。反対に、高史は上機嫌にくすくす笑った。
「今は女の子のアイドルだよなー。この間も、聖アンヌの可愛い子が来てただろ。髪の長い、色白のちょっと儚げな子。あれ、誰?」
 凪は答えないが、史朗にはすぐに思い浮かぶ人物がいた。桐原千織だ。あれから、元気になったのだろうか。史朗のもとには来ていないのだから面白くないが、凪相手となると諦めもある。自分と凪を比べて、自分の方が勝っているなどと言うほど史朗も驕ってはいない。
「ずいぶん親しげだったじゃないか。いつもは無視するのに」
「無視って、相変わらずもったいねえことしてんな」
 史朗の呟きに、再び凪の足蹴りが飛んでくる。今度は史朗も負けじと蹴り返した。
「それ、千織さんだろ?」
「史朗!」
 余計なことを、という顔をしているが、史朗は肩を竦めた。
「千織さんか。で? どういう関係?」
「関係なんてありません。もともとはこいつの知り合いだったんです。病気だったから、お見舞いに行ったことがあったんですよ。そのお礼に来ただけです」
 真実ではないかもしれないが、嘘でもないだろう。史朗ももちろん、本当のことを言うつもりはなかった。
「見舞ー? 神鳥、優しいとこもあるんだな。ま、名前もわかったし、良いネタ貰ったし。今回のことはまかせとけよ」
 高史はそう言って、史朗の隣に坐る亮一の顔をみた。まだ六歳の子供だというのに、大人しいものだ。史朗などすっかり存在を忘れていた。
 高史の言葉は嘘ではなく、翌日には手嶋家の内情が見えてきた。史朗に連絡が来たのは、夜のことである。夕飯を食べ終わってテレビを見ていたら、母親に「勉強は?」と小言を貰ったところで、メールの着信を知らせる音が鳴った。
 メールは凪からで「手嶋のことで話がある。うちに来い」という、なんとも居丈高な文面だった。
「なあに? 今から出かけるの?」
 母親の反対の声は、凪の家だから、という一言で解決した。「あら、じゃあ早く行きなさい」とまで言う始末である。
 パーカーを羽織って外に出たが、やはりまだ夜は寒い。肩を縮めながら凪の家へ向かった。早足で行っても、五分もかからない。階段の下までは。
 階段があることで、倍の時間がかかる。しかも、その階段が暗い。うっそうとした木々に囲まれているし、慣れた道とは言え史朗は毎回怖がっていた。だから、夜の階段はいつも駆けのぼることにしている。考える時間が長いほど怖いからだ。
 階段の下まで来たところで、史朗は気合いを入れて顔を上げた。だがその先に、ぬっと黒い影があって、息を呑んだ。
「遅いぞ、史郎」
 聞き慣れた声がして、史朗は大きくため息を吐いて坐り込んだ。
「なんだよ。凪かよ」
 驚かせるなよ、と言うと、驚かしてなんかいない、と鼻で笑われてしまう。
「それにしても、おまえも簡単に来るなよ」
 自分が呼んだというのに、そんな理不尽なことを言う。史朗が「はあ?」と眉を寄せると、凪は首を振りながら「ほら行くぞ」と言い置いて、さっさと階段を上って行ってしまう。史朗は慌てて立ちあがって、後を追った。
「何だよ。迎えに来てくれたわけ?」
「おまえ、小さいころは良く泣きながら家に来たよな。家で怒られたせいかと思ったら、ここまで来るのが怖いって」
 凪は意地悪く笑っている。史朗は「そんなことなかった!」と叫んだが、凪のペースに合わせているせいで息が切れる。
「人に見えないもんが見えても平気でいるくせに、おばけが怖いんだもんな」
 馬鹿にしたような口調だ。史朗は目の前で軽々と階段を上っている背中を睨んだ。声で抗議できない分、ぱしりとその背を叩いてみた。凪が振り返って笑う。その笑顔さえかっこいいのが憎たらしい。
 階段を上り切ったところで、史朗は膝に手をついて息を整えた。どうやら運動不足らしい。凪はすたすたと家に入って行ってしまう。
「で? 手嶋さんの話って?」
 史朗がおじさんに軽く挨拶して部屋に行くと、スポーツドリンクが待っていた。ありがたく頂いて、ごくごくと飲み干す。
「備前先輩が早速調べてくれた……って言うより、前から噂があったみたいだな」
「噂?」
 凪は勉強机の前にある椅子に坐っていた。史朗は定位置の壁際に坐る。
「ああ。あのガキ、虐待されているんじゃないかって」
 虐待――。思ってもいなかったことを言われて、史朗はぽかん、と凪を見上げてしまう。
「虐待って、誰が?」
「母親の方。まあ、外面はいいみたいだけど。公園に連れて行ったり、サッカーの真似事を一緒にしたり、一見良いお母さんなんだってさ。でも、ふとしたときの怒り方が普通じゃないって話」
 きいっと凪が回す椅子の音がした。今夜は特に不機嫌そうな顔をしている、と史朗は思った。
「呼んでもすぐ来ない、とか、繋いでいた手が離れた、とか些細なことらしいけど、突然キレる。で、キレるとすぐに手が出る」
 凪がぱしっと机を叩いた。叩かれた机が痛そうだ。
「叩くわけ?」
「そう。何度も叩くわけじゃないらしいけど、あれは手加減してないんじゃないかって。一度は、爪が長くて頬が切れたとか」
 げ、と史朗は嫌な顔をした。なんとなく、自分の顔を撫でてしまう。
「でも、すぐに謝る。それがまた性質悪い」
 すぐ謝るということは、理不尽なことで叩いたと子供に言っているようなものだ。子供はどうして叩かれたのかわからなくなってしまう。
「亮一君が喋れないのって、もしかして……」
「ああ。その辺りにも原因があるのかもな。あの辺の母親たちも気にしてて、どうやら児童相談所に行こうかって話が出てたみたいだ。ただ、今回の入院騒ぎでもう少し様子を見ることになった」
 そっかー、とため息混じりの史朗の声が部屋に響いた。離婚とか虐待とか――最近嫌な言葉ばかり聞いている気がする。
「それ、手嶋さんは知ってるんだよな」
「さあな。旦那の浮気も噂があったらしいから」
 母親たちの情報網と言うのは恐ろしい。
「じゃあさ、あの人形が憑いたのってやっぱり亮一君絡み?」
「だと思うけどな。でも、あのガキが喋らない限りわかんねーぞ」
 あとは史朗が荒魂と話せればいいのだが、あの大部屋で荒魂に話しかけるのは困難だし、そもそも話し合いに応じてくれるのかも疑わしい。
 ちらりと凪を見る。今『神馴らし』をして欲しいとは言えない。原因がはっきりしていないからだ。だからと言って、このままにはしておけない。史朗は「どうしたらいい?」と訊きたいのを、我慢した。今までいろいろと情報を仕入れて来たのは、なんだかんだと言って凪なのだ。
 史朗は、八方塞がりになった気持で、頭を抱えるしかなかった。


01 02 03 04 05 06 07 * 09