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あふれ出る言葉など何の役にも立たない
09
瓜生と圭一で何を企んでいたのかがわかったのは、そのまた二日後のことだった。水野推進派が、木田を総代に、というのならそれなりの実力を見せて欲しい、と言ったのだ。そこで瓜生が、芳明にバスケ対決を持ちかけた。
「それって、そもそもがおかしいじゃないですか。俺は総代にはなりたくない、って言ってるのに、実力を見せるために先輩と試合をするんですか?」
「そう。ただし、木田が総代になりたくないことは向こうも知ってるからな。負けた点差によるんだ。俺たちが勝って、点差が十点以内だったら木田の総代を認める」
「俺たちが勝ったら?」
「俺は諦めよう」
芳明は少し考えて、随分都合のいい話だと思った。
「それで良く反対派が納得しましたね」
「させたんだよ、中屋が」
なるほどな、と芳明はため息をついた。この先輩も、人の使い方を良く知っている。圭一は寡黙だが、少ない言葉でも人を説得できる稀有な人物だ。
「それで?他の条件は?」
「試合形式はスリー・オン・スリーのフルコート。時間は十五分ワンセットの2セット形式。俺のほうには海田と、もう一人バスケ部以外から助っ人を呼ぶ。おまえのほうは一年のバスケ部から選んでもらう」
「微妙だな……」
芳明は思わず呟いていた。海田がいるのは大きいが、他の二人、瓜生ともう一人の先輩の実力が全く分らない。こんなことを持ちかけるくらいだから、それなりに出来るはずだが、瓜生にとって最もいいのは、十点差で芳明が負ける、という難しい状況だ。
「なんか、うまく騙されてる気もするんですけど……先輩が一番条件悪いんじゃないですか?」
「まあな。でも仕方ないだろ。反対派がいるのも木田が嫌がっているのも事実だ」
その反対派を表に引っ張り出したのは一体誰だ、と芳明は目の前の食えない先輩を見つめた。何しろ一度、見事に罠に引っかかっているのだ。いや、今だってその罠から抜けられたわけではない。
「先輩、実はバスケ上手いとか?」
「普通だろ。経験は体育でしたぐらいだな。でも、もう一人の人選は海田に任せてあるし、俺は海田を信用してるから」
実のところ、瓜生は別に負けてもいいのだ。それはそれで、今度は芳明を総代にする声が高まるだけだろう、と思っている。芳明がそう言う押しに結局は折れるだろうことは基一から聞いているし、もし自分達が圧倒的に勝てるのだとしたら、点差を上手く調整すればいい。瓜生はもとから、諦めるつもりは更々ないのだ。
「試合は五月五日の午前十時から、と言うわけで」
「拒否権はない、んですね」
よく分っているじゃないか、と満足そうに瓜生が笑ったのを見て、芳明はため息を隠さなかった。どんな形でもいい。これで芳明は舞台に引っ張り出されたのだ。あとはこの先輩の掌の上で踊るだけか――。そしてやはり、結局他の生徒たちにお楽しみ提供をするのだ。そもそも。
「なんで子供の日、なんです?」
「ああ、それはな、端午の節句対決に借り出されたからだよ」
「端午の節句対決?」
「毎年、普通は東西寮対決を五月五日にするんだ。今年は俺たちがメイン、らしい」
「また、賭けとかされるんでしょう?」
対決、と名のつくものには賭けは必需品のようになっている、と芳明は最近分ってきていた。まったくギャンブル好きなのだ。
「今年は面白いことになりそうだって、宮古は喜んでいたけどな」
「なんだかそれが一番悔しいですね……」
芳明がそう言うと、瓜生が可笑しそうに声を上げて笑っていた。
バスケ対決のことは、瞬く間に広がった。それと同時に、賭けの話も回っている。賭けについては、当事者はもちろん参加出来ないが、提供者として食券が貰える、と芳明は聞いて少しばかり感心していた。
「……いいんだけどさ」
右は放課後の誰もいない教室の窓際のロッカーに腰掛けて、外を見ながら思わず呟いた。
昨日の放課後、圭一に捕まって言われたことがずっと頭から離れなかった。おかげで、先刻までの委員会の間中、ほとんど話を聞いていなかった。
「右にはさ、もしホウメイが総代になったときに、自分はそれを支持するって言って欲しいんだ。今は別にどっちでもない感じに取られてるだろう?まあ、それはきっとホウメイが嫌がってるからだと思うけど……実際に総代になったときにはさ、右はそれを支持って言って欲しいんだ」
圭一の態度は少しもわからない。突然水野支持派なんてものを作ったかと思えば、そんなことを言う。だいたい、どうしてそんなことを圭一が言うのか、右にはわからなかった。右の基準は簡単だった。芳明がやると言えば、もちろんそれを支持する。それだけだ。
「なんで中やんがそんなこと言うんだよ?」
寮に帰る途中で、林のようになっている木の間に隠れるように二人で話した。足元の地面を意味もなく蹴りながら呟いた右に、圭一は困ったように何か言葉を探しているようだった。
「ちょっとさ、今回のことに俺も絡むことになって。ホウメイのためでもあるんだ」
「絡むって?」
「いや、あんまり言えないんだけど。ごめんな。全部終わったら話すから」
圭一の言葉に、右はやっぱり自分だけ蚊帳の外なのだと思った。芳明も、今回の圭一の行動には苦笑していて、何かわかっているようだった。
「別に、いいよ」
「右?」
「話してくれなくても、いい。でも、俺は一切関わらないから」
こんなときでも、笑えるのが幸せなのか不幸なのか、右にはわからなかった。相手が芳明では通用しない手だ。
「ごめん……」
それでも、圭一は謝った。それに、右がまた笑って、「だから、その頼みは聞けない、ごめんな」と言うと、うん、と頷く。
本当は、芳明に総代になってほしくない、という気持ちが右にはあった。みんな怖いといっているけれど、芳明は本当は優しい。そして、真っ直ぐだ。右が一番安心できるあの場所を、取られたくないと思った。
じゃあな、と笑って手を振ると、圭一は困ったように立ち竦んでいた。
「どうせ俺は役立たず……」
声に出してみると、情けなさが増した気がした。立てた膝に顔を埋めてため息を吐いた途端、がらりと音がして教室の扉が開いた。
「何やってんだ?」
息を切らして教室の扉を開けたのは、滝口だった。ラグビー部の滝口の練習場は第二グラウンドなのに、どうしたのだろう?と右が首をかしげると、大きなため息が聞こえた。
「電気もつけずに、こんな暗いところで。自覚ないよなあ、右は」
そんなわけのわからないことを言われて、右は微かに眉根を寄せた。委員会がいつ終わったのかも覚えていない右は、暗くなった周りにも気付かないでいた。
「どうしたんだよ?」
「そっちこそ。委員会終わったんだろう?なんでこんなところでぼんやりしてるんだ」
「別に……。それより、滝口は?忘れ物?」
言われて、滝口が一瞬沈黙した後、ああ、ちょっと明日英語当たるの忘れてさ、とため息混じりに言った。
右は知らないが、実は今、密かに右の護衛のようなことを滝口はしている。つい先日起きた、三年の春姫への暴行未遂事件がきっかけで、右の親衛隊のようなものが一年の中で出来つつあるのだ。春姫は東寮が基本で、西寮の生徒たちはどうにもつまらない、と思ってもいたのだろう。一年は一年の中で、姫候補とでも言うべき生徒を作り出そうとしていた。でも、そういったL棟の生徒たちの動きに気付いた滝口たち1−Aの生徒たちが、いち早く親衛隊を作ることを決めた。メンバーはほぼ全員。芳明が入っていないのは、話自体を芳明に知らせていないからだった。右に秘密にするなら、芳明にも秘密にしなければならない。そもそも、右はきっと芳明が好きなんじゃないだろうか、と滝口辺りは考えていた。まだ、自覚はしていないにしても。いつも笑顔を絶やさない右が最も無防備な表情をするのが、芳明の前だけなのだ。
今回は、委員会が終わったのに寮に帰っていないらしいと報告を受けた滝口が、慌てて飛んできたのだった。
「右はまだこんなところでぼーっとしてるつもりか?」
さりげなく帰るように促すと、右は素直にロッカーから降りた。
「なんか、あったか?」
今日は元気がない、とクラス中の人間が思っていたのだ。滝口が伺うように視線を流すと、大したことじゃないんだ、と右は笑った。それがどこかはかない感じで、滝口は思わず言うつもりのなかったことを口走った。
「……右は、役立たずなんかじゃない、ぞ?」
「げ。聞かれたのかあ」
荷物を持ったところで、それをどさりと机に置いて、右が苦笑した。本当に、自分達といるといつでも笑っている右は、ときどき痛々しいと滝口は思う。
「ごめん、ちょうど教室に着いたときでさ」
「ううん、いいけど」
「でもなんだって、そんなこと」
俯いた右の表情は、ますます暗くなっていく教室の中では見えない。滝口はちらりとそんな右の様子を見ながら、「ホウメイのことか?」と呟いてみた。
「え?」
「ホウメイの、総代の話」
それについて、右は何も言っていない。最初に、どうして嫌なんだ、とは聞いていたが、芳明になれともやめろとも言わなかった。ただ、少し淋しそうだった。
「なって、欲しくない?」
「……なんで?」
「俺に聞くなよ。俺は、っていうかクラスの連中は、ホウメイのこと他の奴らより知ってるから、いいと思ってるけど」
「俺も同じだよ」
にっこり、と右が顔を上げて笑った。でも、滝口はそれをじっと見つめただけだった。
「ホウメイがやりたいならそれでいい」
右が呟くようにそう言う。大体、自分が何か言うことは出来ないのだ。
「ホウメイは、何て?」
「わからない。最初にやらないって言って……あとは何も聞いてない」
ああ、と滝口はようやく右のどことなく淋しそうな様子の原因がわかった。それは芳明らしくて、少し苦笑してしまう。同室なのに、きっと一番一緒にいる時間が長いのに、それについて右には相談はおろか話してもいないのだろう。芳明のことだから、相談など誰にもしていないのだろうが。
「まったく、なんであんなのが良いんだ」
苦笑した滝口に、右が首を傾げる。親衛隊長などを承ったが、滝口はお遊び的なのりに乗ったのと、ただ友達として右が好きだった。でも、こんな風に少し不安定な右は、目の毒だと思う。
「ホウメイ、好きなんだろ?」
言った途端、右が凍りついた。それから、眉根を徐々に寄せた。
「滝口ってさあ、やっぱり腐ってきてんな」
「だから、ホウメイと同じこと言うなよ。馴染んできてるって言ってくれって」
芳明も大概自分に向けられる感情には疎いが、当の本人がこれではそれも仕方ないか、などと滝口は思った。
「馴染むってことが、腐ってきてるってことなの」
右がくすくすと笑って、ドアに向かって歩き出した。滝口は、深くため息を吐きながら、その後を追った。
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