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どこかわからない遠い場所でサボテンを抱きしめる夢を見た 第二話
08
一年の差は、どうしても縮まらない。
そう言った樹に、とりあえず卒業まではまだ一年あるのだから、と和高は言った。
そっと抱きしめられた腕はやはり温かく、樹は二度とそれを諦めたくないと思った。
想像よりずっと、こんなにも、和高の腕の中は安心できる。
そのままなし崩し的に抱かれてもいいとさえ思っていた樹の思惑はでも、見事に裏切られた。和高はキスさえもせず、帰っていったのだ。
それだけで不安になる自分もどうかと思いながら、でも、やはり自分と和高の温度差があるのだと思った。
和高が部屋に来ては話をして帰っていく、という日が続いて、樹はだからぽろりとそんなことを言った。二人部屋ならまだしも、樹の部屋は一人部屋だ。そこで、キスもせずに帰っていくのはどうしたものだと思う。
「いや、そう言うわけじゃないと思うんですけど」
晴れて恋人同士なのだから敬語は止めろ、と樹は何度も言うのに、和高はそこばかりは首を縦に振らない。こんな話をしているというのに、やはり丁寧な話し方は改められない。
「じゃないと思う、ってなんだよ?」
まるで他人事のように言った和高に、樹がきつい声で聞き返す。
「あの……」
和高が言いずらそうに顔を俯かせた。両手で持ったコーヒーのカップを、じっと見る。
「先輩を俺が抱くんですよね?」
呟きは、小さかったがはっきりとしていた。目の前の樹にはきちんと届く声だった。
「そんな心配してたのか?俺は別にどっちでも良いんだけど。俺とおまえなら、そうなるのが自然かもな」
体格から見ても、和高が樹を抱いた方がたぶんしっくりと来るだろう。和高は、自分が抱かれると思っていたのだろうか、と樹はどこかおかしくて小さく笑った。
「そんなって……大切だと思うんですけど」
和高がため息を吐く。樹にしてみれば、和高を手に入れようと決めたときには、もう覚悟を決めていたから今更だったのだが。
ただ、和高のことを考えると、自分は抱かれる側にまわりたい、と樹は思っていた。和高が運動選手であることと、自分が誘ったのだと言う、その僅かな罪悪感に。
「何?和高は抱かれたいわけ?」
からかうように樹が言うと、和高が非難の目を向けてくる。
「俺も別にどっちでもいいんです」
それから真剣にそんなことを言うから、樹はさすがに目を眇めた。
「男同士なんだから、どっちがどっちになってもおかしくないでしょう?ただ、確かに俺はどっちかって言うと先輩を抱きたいって感じがあるけど……」
その言葉に、樹はこっそりほっとする。
あの腕の中は温かいだろう、と思ったのは樹なのだ。
「それならそれでいいじゃないか」
「でもそうしたら、傷つくのは絶対に先輩でしょう?」
上目遣いにそう言われて、樹は思わず笑みを零した。
「傷つけなきゃいいじゃないか」
優しくしろよ、と誘うように笑うと、目を逸らされる。それに樹はむっとした。
「抱きたいんだろ?だったらごちゃごちゃ考えずに抱けよ」
普段の樹を知っている人間が聞いたら仰天するようなことを怒鳴るように言う。でも、和高は少なくとも樹の本性らしきものを薄々感じ取っていて、それについては驚かなかった。
「じゃあ、」
と和高が怒ったような顔で言う。
「じゃあ、先輩が抱けばいい」
言われて、樹はかっとした。
「なんだよそれ。おまえはしたくないってことか」
「したいとか、したくないとか言うレベルなら、したいですよ。でも、そんなに簡単じゃないでしょう?」
「何が簡単じゃないんだ?結局、やっぱり男は無理だってことじゃないのか?」
「違います」
きっぱりと、和高は言う。でも、樹は不安だった。
好きだとか、愛してるだとか。
言葉なんて、簡単に言うことはできる。その言葉を、持っていれば。
「先輩、どっちでもいいって言いましたよね?それなら、先輩が俺を抱いたっていいじゃないですか」
和高が、本気で抱かれたくて言っているのではない、と言うことは樹にもわかった。何か、試すような物言いだった。それが余計に、樹を苛々させる。
樹はじっと和高を睨んだ。和高も譲る気がないのか、目を逸らすことはない。だから樹は、きゅっと唇を噛んで、立ち上がった。それから、和高の腕をとってベッドに連れて行き、その上に押し倒した。和高は抵抗もせずに、おとなしくされるままだった。抱かれてもいい、というのは本当なのだろう。
樹はそのまま何も言わずに、噛み付くようにキスをした。そのまま乱暴に、和高のポロシャツの下から肌に触れる。びくりと和高が動いて、樹は唇を噛み締めた。
怖い、と思った。
和高と、どんな形でもいいから、繋がりたかった。でも、本来とは違う形で和高を抱いて良いのか、わからなかった。そうしたら、もう後戻りは出来ないのだ。男に抱かれた、という事実は、消えないのだ。それを和高に残して良いのか、樹は怖くてたまらなかった。
自分はいいのだ。もう覚悟なんてとっくにしていたし、それより何より、和高を欲しいと思ったのだから。
「樹先輩……」
上に乗りかかる形のまま、手を止めた樹に、和高が静かに声をかけた。そっと腕が伸びてきて、噛み締めた唇を指が辿る。
「すみません」
「なんでおまえが謝るんだよ」
樹がようやく口を開くと、和高はそっと起き上がって、そのまま樹を抱きしめた。
「先輩が欲しくないわけないんです。好きなんだから。でもだから、怖いんです。先輩が怖がるのに、臆病な俺が怖がらないわけないじゃないですか」
「俺は怖がってない」
「怖かったでしょう?俺を抱いてしまって良いのか、自分がそんな風に変えてしまって良いのか、怖かったでしょう?」
同じことを、和高も考えていたのだろうか、と樹はその顔をまじまじと見た。
「先輩、俺が流されたと思ってるでしょ?そこに、ちょっと責任感じてるでしょ?でも、俺は先輩と出会ったら、きっと好きになった。例え先輩が相手にしてくれなくても。その自信はありますよ?」
ぎゅっと抱いていた腕がふっと緩んで、樹は思わず和高の顔を見た。
それはとても優しく、でも目は真剣で。
「だから、俺を試すように抱かれようとしないで下さい」
ああ、知っていたのだ。
和高は、樹の不安も、罪悪感も、みんなわかっていたのだ。
馬鹿だな、と樹は笑った。泣きそうになって、誤魔化すために抱きついた。
「こういうの、据え膳って言うんだよ。食わぬは男の恥じ、って知らないのか」
「別に食べない、とは言ってないじゃないですか」
和高はそう言って、そっと樹の髪を撫でた。
「ただ、知って欲しかったんです。俺も怖いってこと。でも、それでも我慢できないし、やるからには、ちゃんと責任とりますってこと」
責任ってなんだよ、と樹は思いながら、それを言うことは出来なかった。そっと重ねられた唇が、言葉を吸い込んでしまった。
温かいのは、腕だけではないのだと、樹は知った。
五月も後半になると、和高たち二年は修学旅行の準備に忙しくなった。その上、運動部員達は大会もある。その強行な日程に、不満が出ていた。なんでも毎年秋の旅行が、今年だけ夏前になったのだと言うことだった。
その忙しいさなか、樹は和高を園芸部に入部させた。
「インハイ終わるまでは別に手伝えとか言わないし」
まだ関東大会も残っているが、高居も和高もインターハイに出る気でいる。それを知っている樹がそう言うと、高居がふんと息を吐いた。部活の重複登録は、部長の許可が必要で、和高の場合は、高居の許可がいると部長に言われた。高居はいい顔をせず、樹は説得を繰り返していた。
「あの坂城が部員になったのに、手伝わないで済ませると思うか?」
それでなくても、樹の傍に行っていたのだ。花や植物の世話は体力仕事だと言うことを、高居は身を持って知っている。樹に手伝わされたことがあるのだ。
「力仕事はさせないよ。今はそんなに仕事はないし」
「だったら、インハイ終わってから登録しろよ」
そうしたら、夏休みに入ってしまう。そうなると、正式の受理は二学期を待たなければならない。
「それに、園芸部はわがまま部長の所為で三年しかいないんだよな?あいつは来年も頑張ってもらいたいんだ」
高居の言葉に、樹は目を眇めた。
「わかってるけど。後継者は別に考えるつもりだから。でも、来年はおまえだって卒業だろ?」
「俺は無料報酬のコーチになる予定なんだよ」
そんなのはずるい、と樹は思った。卒業してからも、和高のコーチをするのか。
「坂城も喜んでたけどな?」
和高はそのことについては、樹には何も言っていない。高居が傍にいることを、少なからず良く思っていないことを知っているからだ。
樹が悔しそうに軽く唇を噛むと、高居がくすりと笑った。
「深山、坂城のこととなると本当、変わるな」
その顔に、からかわれたのだと樹は知って、思い切り不機嫌に高居を睨んだ。
「睨むなよ。あんまり賛成じゃないのは本当なんだ。あいつはときどき無茶するからな。でもまあ」
高居はふっとため息を吐いた。
「入部しなくてもどうせ坂城はおまえのところに行くだろ?本人もそう言ってたしな」
「和高が?」
「ああ。自分で好きで手伝う分には許可はいらないですよね?だと」
樹は驚いて、目を見開いた。高居は和高にとって絶対なのだ。少なくとも、走ることに関した場合。
「そういうわけで、正式に入部させたほうが後々面倒がなさそうだから、許可するよ」
深山には借りもあるし、と高居が笑った。樹は顔が緩みそうになって、思わず口元を押さえて俯いた。
それから、高居がコーチとして来るのなら、自分はあの植物館や花壇の世話をしに来ることにしよう、と思った。今まで、考えなかったのが不思議だ。それから―――和高には、南寮に入ってもらわなくては。
陸上部の部長か、園芸部の部長か、どちらでもいい。役職がつけばあの個人部屋を手に入れられるのだ。
大丈夫だ、と樹は思った。
離れてしまっても、きっと大丈夫だと。
お互いに努力をすれば、そんな距離なんてものは、遠くも近くもなるのだと。
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