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どこかわからない遠い場所でサボテンを抱きしめる夢を見た 第二話
09
修学旅行から帰ってきて、和高たち運動部は今度は大会準備に忙しくなった。旅行中も、運動部は走りに行ったりしてたんだ、と苦笑気味に和高が笑う。
「札幌と小樽と函館だっけ?」
お土産と言って、和高がレーズンサンドを持ってきたので、二人はお茶を淹れて食べてようとしていた。でも、なんとなくお互いに腕を伸ばしていた。久しぶりの温もりに、帰って来たんだな、と樹はほっとした。
旅行から帰ってきた日は日曜日で、食事も一緒にしようという話になっていた。そのこともあって、お互い止めることはせずに、ベッドへと雪崩れ込んだ。
ほとんど無言で夢中で抱き合って、それがおかしくて、笑いあった。それから、ようやく旅行の話になったのだ。
「函館が先でしたけどね。魚とか貝とか、美味かったなあ」
まだ裸のままで横になっているので、肩が寒く感じたのか和高は、シーツをずっと持ち上げた。その筋肉質な腕に、樹は惚れ惚れしそうになる。
「今度、行きましょうね」
それから、そんなことを言う。樹は驚いて、でも嬉しくて、ふわりと笑った。
「先輩……そんな顔して」
「何が?」
「ずるいよなあ」
もぞもぞと和高が動き出して、樹はおや?とその顔を見る。和高は少し照れ臭そうな、困ったような顔をしていた。
「もう一回?」
わざとらしく小首など傾げてみせる。それに、和高は大きくため息をついた。
「お土産食べないんですか」
「だいたいさ、どうしてあれなんだ?」
訝しげに光る目の意味は和高にはわからない。
「え?あ、レーズン嫌いとか……?」
「俺は好き嫌いはありません」
言いながらも、不機嫌になっていく樹をどうしたものかと和高は思う。
「あれ、すごく美味しくて、俺も好きだけど。和高は知ってたのか?」
和高は元来甘いものがそれほど好きなわけでもないらしい。それなのに、どうして有名と言えど、このレーズンサンドを知っていたのか、樹は不思議だった。
「え?ああ。岡崎が教えてくれたんです。樹先輩は紅茶も飲むから、ちょうどいいんじゃないかって」
ああそう、と樹は目を眇めながら笑った。和高はやはり、どうも癖のある人間に好かれている。
「えーと……食べないんですか?」
この状況でそう言うことを言う和高が、ときどきわからないと樹は思う。
そして、求めるのは自分ばかりの気がしてしまう。
「いただきます」
樹は仕方なくため息をついて身を起こした。それを慌てて和高は引き戻す。
「あの、あれはデザートにしません?」
「デザート?」
そう、と和高が頷いて、そろりと鎖骨を撫でられた。大きいと言うより、長い指が丁寧に肌をなぞる。
「喜んで欲しかっただけです」
耳裏に口付けながら、和高が囁いた。樹はその背に手を回す。
「嬉しいに決まってるだろ?」
樹がそう言う。その言葉を、和高は樹が本当に幸せそうにレーズンサンドを頬張るまで、実はなかなか信じられないようだった。
どこから知識を仕入れたのか、それともこんな学校にいるから自然とそんな知識は入るのか、和高は初めから優しく、丁寧に、的確に樹を抱いた。傷がつくのさえ覚悟していたのに、少しばかりの痛みはあったものの、我慢できないほどの痛みもなく、最後には確かに快楽を感じていた。その優しい抱き方を、和高らしいと思いながら、本当は初めてではなかったのかと思ってしまう。
ときどき似合わないほどに妖艶に和高を誘うのは、本当は訳がわからないくらいに抱いて欲しいからだ。和高はいつでも余裕があって、樹はいつでも翻弄される。
優しさが嫌なわけではない。
でも、それが不安なのだ。
「なんか他のこと考えてます?」
そっと中心を撫でられて、樹は思わず声を漏らす。広い部屋、ベッドを壁際から移動したのは最近のことだ。
「誘ったのは先輩なのに」
責めるように言われて、樹はやわやわと握られて背筋を走る快楽を耐えながらその和高を睨んだ。
「いつ、も、だろ」
「はい?」
和高が少し驚いた顔をした。その手の動きが止まって、思わず樹は強請るように腰を揺らした。
「樹先輩……」
そっとまた、手の動きが再開される。それが少しだけ性急になって、樹はぐっと唇を噛み締めた。
和高から誘ったことなどないじゃないか、と樹は思った。
和高は部屋に来ても、いつも穏やかに笑っているだけで、ベッドにいこうと誘うのは樹のほうなのだ。その期待に答えない和高ではないが……一体、こんな自分を和高はどう思っているのだろう、と樹は泣きたくなってくる。
今でも感じる最初の異物感さえ、樹には忌々しいのだ。
一つになれないと、言われているようで。
どうして、それがぴったりと自分に合わさらないのだろう、と思う。
そうしたらもう少し、信じられるかもしれない。
「どうしたんですか」
和高はいつでも優しい声で話し掛ける。切羽詰って、我を失って、求めることなどなく。
「はやく、入れろ」
「樹先輩?」
樹は急に泣きそうになって、和高にしがみついた。それから、途惑っている和高を押し倒すようにして、その上に跨った。
「え、ちょっ……」
本当は、そんな声を聞きたいわけじゃない。
ただ名前を呼んで欲しい。
ただ、求めて欲しい。
「先、ぱいっ」
なんとか全部が入ったと思ったところで、樹は動いた。いつもは、和高が慣れるまで待ってくれる。
当たり前なのに。
それがぴったりと重なり合わないのも、痛いのも、異物感も。
全部、当たり前のことだ。
自然とは言いがたい形で、繋がっているのだから。
それでも。
それだからこそ。
それが、哀しい。
「かず……」
ただただ必死で求めた。
それで何かが繋ぎとめられる訳でも、ないというのに。
手に入れたら入れたで、これほど不安になるとは思っていなかった、と樹はぼんやりと水道で水を汲みながらトラックを眺めていた。和高が、スタートラインから何度も飛び出る。用意、と言われて、顔を上げる瞬間が好きだと樹は思った。
「零れてるよ」
きゅっと音をさせて、蛇口を長く細い指が捻った。横を見ると、千速がいた。
「らしくないね、ぼんやりしてて。それとも、見惚れてた?」
柔らかく笑う友人は、少しばかりかっこよくなった、と最近樹は思っている。
綺麗な顔立ちは前からで、でも、その目に男らしさのような強い光が宿ったと思う。
「どうしたんだよ?」
「ん?たまには真面目に部活動をしようかと」
千速には、園芸部に名前だけ貸してもらっている。部員数が足りないと、部にならず、予算がもらえないのだ。
「それはそれは。良い心がけだな」
その強さのようなものを、千速はどこで手に入れたのだろう、と樹はその顔を見た。姫と呼ばれ、西の白虎と呼ばれる運動部長の恋人になり―――守られるはずの千速の、その、強さ。
「なに?」
「いや、なんでもない」
目一杯入ってしまった水を少し零して、如雨露を持ち上げる。それでもまだ零れそうで、近くの木々たちに水を恵んだ。
傍らで、千速の盛大なため息が聞こえた。
「なんだよ」
聞こえよがしのため息に、樹が顔を上げた。
「俺は樹にいつも助けてもらってるから、ちょっとは力になれるだろうか、と思うのはやっぱり傲慢かな」
千速が、そんなことを言う。樹はそれに、首を傾げた。
「なんで?別にそんなこと思わないけど」
「それにしては、樹は何も言わないよな」
ああ、とようやく樹は千速が放課後こんなところに来た理由を悟った。敏くて近い友人は、周りがほとんど気付いていない樹の気持ちの揺れに気付いたのだろう。
樹が何も言わずに歩き出すと、千速もついてきた。
話してどうにかなることではない、と樹はわかっている。たぶん、誰にも解決できるものではないのだ。ただ自分が、不安になっているだけのことで、自分が決着をつけるしかない。
「別に、悩みとかじゃないんだ」
カフェテラス前の花壇に着いて、花に水をあげながら樹がそう呟くと、千速は今度は思わずといったようにため息を零した。それから、手伝うといったのに、近くの花壇のブロックに腰掛ける。
「悩みじゃなくても、なんでも。自分でおかしいの、気付いてるだろ?」
樹は馬鹿じゃない。だから、取り繕うのもほぼ完璧にできるのだ。それでもなんとかそれに気付けるかどうかで、樹の友人の座にいられるのだと千速は思う。
わかっている、と樹は思った。自分が不安で、揺れて、頼りなさそうになってしまっているのは、自分が一番わかっている。それを和高は、ときどき何か言いたそうな顔をしながら、優しく包んでくれる。
言葉にできることじゃない。
だから何も言えなくて、でも和高はそれを待ってくれている。そうやって、どんどん甘やかされる自分が、怖くもあった。
きっと、和高なしではいられなくなってしまう。
そう思うとひどく不安で、和高を激しく求めたりする。悪循環なのだ。それを断ち切るには、自分がしっかり立つしかないのだと―――わかってはいる。
ただ気持ちがついていかない。
「俺、自分がこんなに脆いとは思わなかった」
樹の呟きに、千速は遠く空を見ながら、誰でも脆いよ、と言った。
「そうか?重藤は強いと思うけどな」
「俺のあのうろたえ振りを見てる人の言うことかなあ。何かあるたびに右往左往して、おまえのところに逃げこんでる人間だよ?」
それでも、そうやって右往左往しながらだって、ちゃんと先に進むのが千速だ。それを強いと、樹は思う。尻込みしている自分とは違うのだ。
「怖いんだよ」
「何が?」
「全部。手に入れてしまったのも、それでもまだ満足しない自分も、未来も過去も、全部」
「過去も……?」
「あいつ、多分俺が初めてじゃない。男じゃないかもしれないけど、少なくとも、人と肌を合わせたのは初めてじゃない」
そう、どれだけ知識を入れたといっても、あのよどみない動きは、多いとは言わないが経験を感じさせた。でも女の子を抱いたことがあるのなら、いつか、また、そこに戻るだろう。
少し思い詰めたような目をした樹を、千速は少しだけ呆れたように見た。
あれだけ他人には的確に言葉を言う樹は、自分のこととなると何もわからないのだ。
その優しさや柔らかさが、樹自身には向けられないのだと千速はいつからか気付いていた。ただひたすらに、樹はその優しさや柔らかさを降り注ぐのだ。まるで、樹が大切にしている植物達にするように。だからこそ、口ではわりときついことを言っても、寮長なんかしていたり、植物園とその部屋が親しまれていたりするのだ。
でも、それなら誰が樹にその優しさを注いで上げるのだろう、と千速は思っていた。だから、樹が和高を見つけたときはほっとした。
「本人に聞いてみた?」
千速の問いに、樹は首をふるふると振って答える。怖いのだ。本当に、何もかもが。
「ちゃんと話をしろよ。樹はそうやって自己解決しちゃうから、いつも」
な、と珍しく友人からアドバイスを貰った樹は、素直に頷いたのだった。
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