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la vision
11
蝉の声がうるさい。
照りつける太陽も、揺れるアスファルトも、何もかもが夏を主張している。
周は夏休みに入って、家とバイトの往復を繰り返していた。それでも、進学をしようという気になったから、一日が仕事と勉強で明けていく。時々は浅生と一緒に勉強をしたりもして、日々はめまぐるしく過ぎて行った。
尋由からは、何度か手紙が来ている。一ヶ月ごとに国を変えているから、返事を出さないでいればまた次の手紙を待つことになる。電話で時々話すことで、周は返事の変わりにしていた。
どこまでも、貪欲にあらゆるものを吸収する様は、尋由らしい。それをわかっていて、穂積も海外行きをすすめたのだろう。
「あちー」
外を少し歩くだけで汗が流れる。周は忘れ物を届けに、ギャラリーに来ていた。
「あぁ、周、ちょうど良かった。今回の作家さんを紹介するよ」
忘れ物を届けさせた張本人、重さんが手招きをしている。周はTシャツの襟首をぱたぱたいわせながら、近寄った。そのまま、奥へ連れて行かれる。
「槻上さん、ちょっといいですか」
やはりTシャツにジーンズと言う格好をした長身の男が、振りかえった。少し長めの髪を、無造作に後ろに束ねている。作家と呼ばれても、その辺で作業している社員と変わらない格好だ。
「こいつ、うちのアルバイトで周っていいます」
紹介されて、周はぺこりと頭を下げた。重さんはそれからすぐに呼ばれて、周と槻上を置いて、会場に駆け戻った。
「ずいぶん若いね。高校生?」
「はい」
にっこりと笑われて、手を差し伸べられる。細いのに、ごつごつしたような印象を与える手は、確かに物を作るものの手に思えた。
作品の印象と比べると、少し違和感がある。
良く日に焼けた肌。開放的な笑顔。
壁にかけられた、毒々しいまでの花を描きだした絵―と言えるのか分からないが―からは、想像できない。
どれも古ぼけた様に、錆び付いたような額。
その中で、血のように滴る花汁。
見るものが、一瞬目を逸らしたくなるような作品だった。
「高校生でこんな仕事してるのか…羨ましいね」
「そう…ですか」
近場のスツールの椅子を指差されて、そこに座る。
「最先端の現場だよ?楽しくない?」
隣の机から、缶ジュースを取って、差し出される。周はお礼を言って受け取った。
「知らない世界が開けるようで、楽しいですけど」
考えもしなかった作品が、次々と現れて。そしてそれは、穂積の確かな目で選び取られていく。
「特に興味がないの?」
「いえ」
「でも、作家になりたいわけじゃないんだ」
周はこくりと頷いた。作る側に回りたいわけじゃない。それは確かなことだった。
隣の会場から槻上を呼ぶ声がして、槻上が立ちあがった。
「この展覧会が無事終わったら、飲みにでも行こうね」
眩しい、まるで今の真夏の太陽のような笑顔が、そう言った。
この人から、どうしてあんな作品が生まれるのか。
その笑顔を見て、周は不思議に思った。
毒々しい、人を寄せ付けない、潰された花。
でもそれは、甘い、悪魔のような誘惑を孕んでいる。
槻上の展覧会は、無事に成功を治めた。
初日こそは友人知人の類が来ていただけだったが、雑誌に紹介されたこともあって、新人にしてはまずまずの入場者数だった。
なんとなくもう一度みたいと、リピーターもいた。
「周くん、なんでこっちにいるの」
展覧会の打ち上げは、作家の好みにもよるが、ステラ・マリスでやることが多い。とくにやらない作家もいて、周は打ち上げでステラ・マリスに来たのは初めてだった。
「俺、ここじゃアルコール禁止なんです」
目の前のカウンターの中で一真がしっかりと見ている。今日は個人ではなくて、仕事で来ているのだから、一真も口出しはしないが、やはりあまり飲むのは気が引けた。
「そうか…まだ高校生だもんなぁ」
槻上はそう言いながら、ドライ・マンハッタンを頼んでいる。もう、ずいぶん飲んだだろうに。
「強いんですね」
「ん?そうでもないよ」
周がその答えに笑うと、槻上が周の前髪をふわりと撫で上げた。
「やっと笑った。やっぱり笑ってるほうがいいじゃん」
手が離されて、髪がふわりと落ちる。槻上の笑顔に、赤くなる。
「ずっと、笑わなかったよね」
「そうですか?」
周は、自分では気付いていない。研ぎ澄まされた緊張のようなものを纏っているのを。
それが、どこか人を惹きつける。
鋭く光る刃物の先に、思わず手で触れたくなるような、それでいて、一切の揺れのない水面のような、そんな雰囲気を周は持っていた。その周が自分の作品を放心した様に見ているときに、槻上は何度手を伸ばそうと思っただろう。そんな時に話しかけると、決まって照れたように綻んだ顔に、何度触れたいと思っただろう。
周と槻上はカウンターに座っていたが、周はいつもの席には座っていなかった。ソファー席が見える位置で、少し息抜きをしていた。最初に座った時に、穂積の真正面に座ってしまったから、周には息苦しくて仕方がなかったのだ。
ソファーでは、だいぶ話が盛りあがっているようだった。久々の飲み会に、芸術論を戦わせている。
ふと視線を感じて、周はソファーのほうへ視線を移した。
穂積と、目が合う。
笑うでもなく、ただ、周を見ていた。
「周くん、このあとどうするの?」
槻上に話しかけられて、慌てて視線を戻す。
「もう、帰ります」
「ここじゃ飲めないんでしょう?俺と一緒に飲もうよ」
槻上に、意識がいかない。
見られている。
穂積の視線が、自分に注がれているのがわかる。
身体の奥が、疼く。
犯されてる。
ベッドの上での、穂積の視線と同じだ。
触れられてなどいないのに、感覚が蘇る。しっとりとした手の感触が、周を襲う。
きつく吸われる、肌。熱い息。
ぞくりと、した。
身体が熱くなっていくのがわかった。
周は思わず、唇をきつく噛んだ。
「周くん?」
槻上の不思議そうな声に、周は我に帰る。
「ごめんなさい。酔ったみたいだ。帰ります」
そう言って椅子を降りた周に、槻上は慌てて紙切れを渡す。
「俺の住所と携帯の番号。気が向いたらまた飲もうよ。連絡して」
周はそこからはやく逃げ出したくて、頷いた。
一真に皆によろしく伝えてくれと伝言して、周はドアを開けた。
そのドアに寄りかかって、ため息をつく。
「くそっ…なんだよ」
壁を、どんっ、と拳で叩く。それから大きく深呼吸して、歩き出した。
身体の奥の疼きは、なかなか取れなかった。
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