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08
あの後、俺は岸さんと武内さんに、すっかり女たらしの名を頂いてしまった。俺としてはそんなつもりは全くなかったのだけれど、確かにまあ女受けするように、笑顔は作っていたのは事実だ。
「違うよ、顔じゃない」
岸さんはそう笑っていたが、そう言われてしまうのもなんだか悔しくて、なんですかそれ、と俺はふてくされてみた。
こんな風に、ふてくされて見せるようなことは、前の俺には出来なかった。困るか苦笑するかが、精一杯だ。東と過ごした所為で、こんな風にぽろりと外面が剥がれるときがある。それでも大丈夫なんだ、と俺は最近思い始めていた。
でも、一番素直な俺は、あの部屋にいる。中途半端に飛び出して、置いていかれた俺。
「疲れたなあ。いつもはカメラを覗くほうだから、覗かれるのはやっぱり性に合わない」
親父がそう言いながら帰ってきた。ああ、あの対談の収録日だったんだ、とそれで思い出す。
「ちゃんとしゃべれた?」
「ん?ああ、相手が上手かったな。人の話を聞くのが上手いし、こうくるくると機転も利く。わからないところは素直に聞いてくるし、いい奴だな、藤原東って」
な、と俺を振り返って言った親父に、俺は眉根を寄せた。ニュアンスが、おかしい。まるで俺の友達のことを誉めているようだ。
そこまで思って、まさか、と俺はじっと親父を見た。それから問い詰めようと口を開きかけて、携帯がなったのがわかる。俺はテーブルの上からそれを取り上げ、相手の名前を見て、少し躊躇した。
「あいつ、おまえのこと、よく見てるよ。おまえのことで違和感なくしゃべったのは初めてだったかもなあ」
親父が、そんなことを言って、電話、とにやりと笑う。
俺は、留守電サービスになる直前にボタンを押した。
『イズル?』
東の、作らない声。柔らかくて、心地がいい。
『ちゃんと、話をしよう』
その声に、俺は頷いた。本音をさらけ出せるはずの場所だったのに、いつのまにかずれてしまった。そして、結局俺は自分をあそこに置いてきてしまった。
「イズル」
部屋を出ようとしたら、親父に呼び止められた。
「諦めるな。傷つくことを恐れるな。手に入れたかったら、がむしゃらに突き進め。俺が言うことじゃないかもしれないが……いや、俺だから言えるんだろうな。俺は、後悔してないから」
「もう行くのか?」
後悔していない。そう、だから俺は親父はかっこいいと思うのかもしれない。俺の問いに、親父は頷いた。
「元気の薬は貰ったし」
「は?」
俺が玄関で靴を履きながら振り返ると、早く行け、と手をひらひらさせた。
「おまえに尊敬してるって言われたとき、すごい嬉しかったよ」
玄関を閉める間際、親父の、照れたような声が聞こえた。
外に出たらすごい夕焼けで、俺は思わず空を見上げた。
親父の写真の中で俺が気に入っている一枚に、濃紺から鮮やかなオレンジ色が映されている、夕暮れの写真がある。でも、それは駄目だ、と親父は苦笑していた。
なんでも、どう見ても本物の方が良かったのだそうだ。そんなの当たり前じゃないかと思ったが、閉じ込めきれなかった世界に、親父は納得していないようだった。
そんな風に空を見上げながら歩いていたら、前から見知った車が来た。流線型の銀色の車が、夕焼けに染まっている。
「迎えに行くって言おうと思ったら電話切るんだもんな」
くすくすと笑う東が懐かしい。
「それより東、親父と何話したんだよ」
俺は助手席に乗り込んで、シートベルトを締めた。東の車はするりと動き出し、夕暮れの中を気持ちよく走っていく。
「何って、イズルのこと」
「だからさ」
「あ、もちろんそれは収録されてないよ?番組は写真のことだし」
「当たり前だろ」
冗談じゃない、と思った。それをまた、くすくすと東が笑う。
何を言っても話の内容を言わない東に、俺はふてくされて窓の外を眺めた。ふてくされているのに、嬉しい自分が滑稽だった。
東なら、どんな反応をしても受け入れてくれる。そんな安心感があった。
それなのに、部屋についたら、あの日のことを思い出した。一瞬戸惑った俺に、東も思い出したのか、苦い顔をした。
「何もしないよ。それについても、ちゃんと話す」
促されて入った部屋は、酒瓶だらけだった。あの頃も飲んでいたが、それにしても一人でこれはひどいんじゃないか、と思って、誰かいたのだろうか?と考え直した。
馬鹿みたいに、ずきりと胸が痛む。考えたらここは東の部屋で、誰を呼ぼうが東の勝手なのに。
「ああ、自棄酒になんかやたら飲んでさ、マネージャーに怒られた」
ぺろり、と舌を出した東に、今日はコーヒーな、とカップを渡される。
「らしくないぞって言われて、切なかったなあ」
そう言いながら、フローリングにぺたりと座る。俺もその前に、腰を下ろした。
「まずは、謝らないと駄目だよな」
それが何を指しているのかは俺にもわかって、思わず俯いた。
「謝るより、どうしてあんなことをしたのか教えてほしい」
俺がそう言うと、東がそうだな、と呟いた。
「イズルが好きだから」
反射的に、顔を上げた。照れたような、困ったような顔の東が見える。
「イズルが俺をそう言う対象としては見てないのはわかってた。もっと、弱いもの同士が寄りかかるような感じで、恋愛とかじゃない。わかってて、でも、傍にいて欲しくて、部屋に呼んだだろ。ちゃんと嫌だから帰るって言ってくれたら、俺は諦めるつもりだった。でも、イズルは何も言わないで出ていこうとしたから」
ごめん、と東が項垂れる。
「ガキじゃないんだからさ、そんなことしても関係こじらすだけだってわかってたのに、我慢できなかった」
ふっと漂った視線はベランダで止まり、俺もつられるようにその先を見ると、風知草が元気なく風に揺れていた。
「さらけ出せる相手がいることに、心地よさを感じたのは本当だ。その上、誰かがさらけ出してくれることが嬉しくて仕方なかったのも本当」
それは俺もわかる。同じだったから。
「イズルがぽろりぽろりと知らない面を見せてくれるたびに、俺はイズルに惹かれていった。でも、たぶん最初から手に入れたくて仕方なかったんだろうな」
東がとても穏やかな顔をしている。そこに諦めが見えた気がして、俺はちょっと待って、と思わず言った。
「え?ああ、ごめん、迷惑だよなあ、突然こんなこと言われて」
「違う。そうじゃない」
だからと言って、俺は何を言いたいのか、よくわからなかった。
「そうじゃないって?期待するよ、そう言うこと言うと」
期待されても、困る。でも、諦められるのも嫌なのだ。
「イズル?」
「わからない」
「は?」
「なんだか、俺良くわからない」
俺は、初めて、自分の気持ちがわからなくなっていた。
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