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椿古道具屋 第二話

少年の神さま 09


 史朗が腹を括って神様に頼み事をしたのは、その週末のことだった。誰か一緒に、亮一の母親に会いに病院に行って欲しい。そして、荒魂をなんとか引っ張り出して欲しい――そう、頭を下げたのだ。
 神様たちは、好奇心旺盛にも関わらず、まずは渋って見せた。史朗が困るのが楽しいのである。「我々を使おうって言うのかい? 罰あたりだねえ」だとか「しかも病院だってよ。養生所だろ? 俺達が行くとこじゃねえな」とか、「荒魂と喋れってねえ……。知ったこっちゃじゃないね」などと喧しい。三段の小引出し様は「私が行ければいいのですが……」と言っているが、さすがに持って歩くには不自然な大きさだ。
 そんな中で「行ってやってもいいぜ」と言ったのは、聞か猿だった。
「はあ? おめえは何勝手なこと言ってんだ。おめえが行くなら、俺も行かなきゃなんねえだろ」
「けっ。嫌なら耳も塞いでろって見猿。あのなあ、俺は気になってんだよ」
 何がだい? と他の神様たちも興味を示して静かになった。
「だからよう、あの人形だよ。俺たちとなんか違う気がするって言っただろ」
 そう言えば、そんなことを言っていた。三猿が行ってくれるならば、史朗にはちょうどいい。ストラップとして持ち歩く分には、古めかしいがおかしくはないだろう。
 というわけで、三猿が病院まで行ってくれることになった。そして他の神様たちは「聞か猿がそう言うなら、まあ行ってみてもいいかも知れないね」だとか「仕方ないね」と言って、悔しがっているのである。
 史朗はなぜか、少々後ろめたいような気持ちを持ちながら、亮一の母親の枕元に立った。もちろん、今回は手嶋には連絡していない。
「どうですか、三猿様?」
 病室について、椅子に鞄を置くと、史朗は小さく囁いた。
 携帯電話に着けると痛くてかなわない、と怒るので、史朗は三猿を鞄につけた。ビニール製の物につけたら「気持ち悪い」と文句があったので、布製のものを探し出して来たのだった。しかも、綿100パーセントでなければ嫌だとの注文もあった。
「おい、三猿ってひとまとめにするなよ」
「そうそう、俺は聞こえるがこいつは聞こえない」
「けっ。俺は見えるがお前は見えないだろ」
「なんだとう?」
 出てきた聞か猿と見猿は、早速言い争いを始めた。もちろん、言わ猿もいる。病院だからと宥めようとしたが、根付様が史朗の言うことなど聞くはずがない。やがて、言わ猿の尻尾が二匹の頭を叩いた。
 「うるさいなあ」と子供の声がしたのは、その時だった。史朗は一瞬、言わ猿が喋ったのかと思ったが、そんなはずはない。史朗は椅子に向かっていた体を、ゆっくりと振り向かせた。
「なに? 猿?」
 史朗と反対側のベッドのまくら元に立っていたのは、亮一と同じくらいの男の子だった。黒い髪に青白い肌、唇も蒼褪めている。服装は紺色に白く細かい模様が入った着物だ。あの人形とは、ずいぶん姿が違う。唯一似ていたのは、髪の毛がばさばさに荒れていることだ。こうして見ると、燃えた後のように思えた。よくよく見れば、着物もあちこち解れている。
「猿? じゃねえよ、このガキ。口の利き方に気をつけな」
「猿が口の利き方だって」
 けたけたと笑う。まるで子供らしさのない、嫌な笑い顔だった。史朗の背筋がぞわぞわとした。もし蛇が笑ったら、こんな感じだろう。
 子供はにやりと笑ったまま、亮一の母親に甘えるように手を伸ばした。頭を抱えるようにして「母さん、猿が喋ってるよ。聞こえる?」と囁く。
 ――母さん?
 史朗が眉をしかめると、子供は上目づかいにその史朗を見て、あの嫌な顔で笑う。史朗は知らず、ぎゅっと拳を握った。
「あんたは人間だね。僕が見えるの? あいつと一緒だ」
「あいつ?」
「亮一だよ。僕の友達。僕に母さんをくれたんだ」
 言っている言葉の意味がわからなかった。母さんをくれた――亮一が、この子供に母親を譲った、ということだろうか?
「亮一はわがままなんだよね。怖い母さんはいらないって言うんだ。だから、僕が貰ったの。眠っているときは、怖くないからね」
 いらない、と子供が言うほどの「怖い母さん」。虐待の噂はやはり本当だった、ということだろう。亮一は、よほどの思いをしたのだろう。
「人間って馬鹿だよね」
 今度はくすくすと笑う。眠る亮一の母親に巻きつく小さな手が、やはり蛇のようで不気味だった。
「生意気なこと言ってんじゃねえよ。てめえだって人間だったんだろうが」
 え? と史朗が聞か猿を振り返ると、歯を出して少年を威嚇していた。少年はびくっと震えて、手の力を強めた。母親に縋りつくようでもあり、締め付けているようでもあった。
「やい、史郎。さっさと帰るぞ。こう言う低俗な輩と一緒の所にいるのは胸糞悪い」
「今度ばかりは俺も聞か猿に賛成だ。早く帰って、斎庭の息子を連れてきた方がいい」
 見猿の言葉に、少年が再びびくりと身体を揺らした。悔しそうに唇を噛みしめている。それから、思い切ったように口を開いた。
「帰れ帰れ! 僕は亮一の望みを叶えてやったんだ。お前たちには関係ない! 早く出て行けよ。それで二度と来るな!」
 三猿たちは顎を上げて、見下すような態度で少年の言葉を聞き流していた。もう相手にするのも馬鹿馬鹿しい、というところだ。確かに、小さな犬が後ずさりをしながら、怖がって吠えているみたいだった。怖ければ怖いほど、その吠えっぷりは凄まじい。史朗は少年の激情ぶりに、ひとまず退散することにした。ベッドから離れたときにちらりと振り返ると、少年は母親の頭を抱えたまま、史朗を睨み殺す勢いで見ていた。


「ありゃあ、荒魂じゃねえ。人間が言うところの、悪霊って奴だな。やっぱり、俺の勘は当たってたってことだ」
 机の上で得意満面でいるのは聞か猿である。椿屋に帰ってくると、好奇心を抑えきれない神様たちは、三猿をちゃぶ台の上に乗せて、話をせがんだ。
「悪霊?」
「おうよ。あの人形の御魂じゃねえ、あれに取り憑いた霊だよ」
「だから、人間だった、って言ったんだ……」
 史朗の呟きに、聞か猿は鷹揚に頷いた。神様たちは「なんだ、悪霊かい」と馬鹿にしたような感じだったが、興味だけはあるようで、聞か猿や見猿にその様子を訊いている。
「悪霊も神馴らしみたいにできるわけ?」
 史朗はそのことが気になる。悪霊といえども、彼はまだ少年だった。亮一とほとんど変わらない、幼い子供だ。
「出来なくはないけどな。神馴らしより楽かもしれないが――」
 市松はそこで言葉を濁した。顎を指でこすって、どう言おうかと考えているようだ。
「ああ言うのは『馴らす』ことは出来ねえよ。退治だな、悪霊退治」
 見猿がそう言うと、聞か猿も同意する。
「史朗のことだから、また原因を調べて、とか思ってるんだろうが、ありゃ無理だ」
「だって、まだ子供だったじゃないですか」
「子供だって関係ねえよ。悪霊は悪霊。それに、あの餓鬼は母親が欲しいんだろ? どうやって母親をやるんだよ」
 母親かい、と嘆息したのは糸巻き様だった。そりゃあ可哀そうにねえ、と言っているが、良い案があるわけではないようだった。
 もちろん、史朗にも妙案があるわけではなかった。
「うーん……子供が欲しいって思ってる霊を探すとか、駄目かなあ」
「おもしれえ事を思いつくもんだが、駄目だな。呑気すぎる」
 聞か猿がゆっくりと頭を振った。他の二匹も、同じように頭を振っている。
「ああ、駄目だろうな。時間がない」
 どういうことだよ、と市松が三猿に詰め寄ったところで、史朗の携帯電話が鳴った。手嶋からだった。奥さんの容体が急変して、もっても後二三日と言われた、と言う。少々動揺しているようで、史朗は明日病院に行くから、と言い聞かせて電話を切った。途端、便利水様たちに取られてしまう。
「あー、ちょっと。勝手にボタン押さないでよ!」
 どうやら音楽が鳴り出したのが楽しかったらしい。
「史朗、それよりさっきのは招き猫を持ってきた御仁じゃな? 用件はなんだったんだ?」
 携帯を取り戻そうと手を伸ばしたが、織部様たちに肩を押さえられて坐らされてしまう。携帯電話は便利水様たちの手の間を飛び交っている。とりあえず、壊れないことを祈るしかないようだ。
「奥さんの容体が悪くなったんだそうです。急にやせ細って、医者には二三日が山場だって言われたそうです」
 神様たちが顔を見合わせる。三猿はめいめい頷いていた。
「やっぱりなあ」
「やっぱり」
「どういうことだい、見猿?」
「だから時間がないって言ったんだ」
 見猿のもったいぶった態度に、市松が苛々とちゃぶ台の上を叩いた。三猿の根付が、とんっと跳ねた。
「だからさ、あの餓鬼は俺たちがよっぽど気に入らなかったらしい」
「ま、餓鬼だからな」
 弱いもんほど吠えるって言うし、と見猿が笑う。
「どういうことですか?」
「帰り際、あいつすごい怒ってただろ。気配がやばかった」
「見えなくたって俺にもわかったぜ。ありゃあ、今にも取り殺そうな勢いだった」
 取り殺す――。少年の顔を思い出して、史朗はぞっと背筋を震わせた。確かに、やりかねない。
「連れていかれるよ、きっと」
「ああ、早いうちにな」
 猿たちはしたり顔だ。史朗はちゃぶ台の上に乗り出した。
「連れて行かれるって? まさか……」
「どこに行くかは知らねえよ。俺達には縁のない世界だからな」
「そ。一生行かねえところ」
 神様の一生とは、一体どういうことか。他人事となると、まったくいい加減だ。まあ、霊が連れて行くと言ったら、想像できることは一つだ。
「そんな……どうにかならないんですか?」
「できるんだったら、てめえでもうどうにかしてただろ? 駄目だから俺たちが出張って、ま、それで刺激しちまったと」
「それって、つまり俺が余計な事をしたってこと?」
 史朗がちゃぶ台にひれ伏すように体を投げ出すと、神様たちは呆れたような目をしてその史朗を眺めていた。数人は、同情的ではある。
「まあ、それが史朗さまの良いところじゃないですか」
 小引出し様はそう言ってくれるが、史朗は溜息を吐くばかりだ。
 「だから言っただろ」と凪の呆れる声が聞こえてきそうだ。それなのに、どうにもできないとなると、凪に頼むしかないというのは気が重い。
「退治しか道はないんですよね?」
「母親を助けたいならな。あいつにくれてやるって言うなら、このままにしておけばいい」
 聞か猿は相変わらず突き放したような言い方だ。糸巻き様は「母親ねえ……」と悩ましげに嘆息し、織部さまは「そう言う低俗な輩は相手にするな」と言っているし、「私、悪霊に会ったことないわあ」「あら、私はあるわよ」「えー! どうだったの?」と何やら盛り上がっている娘姿の神様たちもいる。神様たちにとっては、悪霊は悪霊。そもそも下々の者たちという認識があるらしく、その進退には興味がないのだろう。もちろん、人間も同じ扱いだと史朗は思っている。
「見殺しじゃん。そんなことできるわけないって」
 そう呟いてから史朗は、聞か猿の真似をして、「やれやれ」という神様たちの溜息は聞こえないふりをした。


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