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椿古道具屋 第三話

枕の神さま 10

「結局、遺言状は香枕様を探すえさだった、ってこと?」
 帰り道、史朗と凪は富山や草加が手配したタクシーに乗っていた。常なら断るのだろうが、凪の様子が気になる史朗が、無理矢理乗り込んだのだ。
「そうだろうな。きちんと弁護士も通していたようだし。見つからなくても、あの遺言は弁護士から公表されたんだと思う」
 凪は険しい顔はしていたが、まだ変わった様子はない。「そんなにすぐ堪えるわけじゃない」と心配そうな史朗を笑った。
「それなのに、なんでわざわざ親戚同士で争うようなこと……」
「富山家と草加家は、もともと仲が悪いらしい。富山将一が社長になったときに、草加の母親、つまり将一の妹も会社での役を貰えるはずだった。それなのに、 何の役職もつかなかったらしい。草加家では、それを追い出されたって言ってるらしいけどな。だから、今日も草加は一人だった」
 そう、それも不思議だった。遺産相続のことを考えれば、富山将一の妹となる、草加の母親が当の本人であって、草加は直接関係ないに近い。それなのに、草加ばかりが頑張っている。
「まあ、ゆくゆくは草加が貰う財産とも言えるけどな。どちらにせよ、草加は叔父の仕打ちが気に入らなかった。会社のことも考えると、遺産も独り占めされると心配だったんだろう」
「なるほどね。それにしても凪、良く知ってるな」
 鶴屋の内情をここまで詳しく知っているのは、昨日草加が話でもしたのだろうか? でも、あの見栄っ張りな草加がそんな話を凪にするとは思えなかった。
「富山涼子だ。鶴屋に行った次の日、力になると言って来た」
 そこで、根掘り葉掘り聞いたのだと言う。
 史朗は思わず笑い出しそうになった。あの携帯の隠し撮りは、そのときのものだろう。思い出すたびに湧き出ていたもやもやが、すーっと晴れ上がったようだった。
「なんだよ史朗」
 凪が不審そうな目をした。それに「何でもないよ」と笑うと、凪の目が細められた。少しずつ、艶がのって来ている気がする。その後は、二人は無言だった。
 椿屋には、すでに宴の用意がされていた。その日の酒宴には、いつもより参加している神さまが多かった。
「香枕もお高くとまっていたところはあったが、美しい娘だった。いつもきちんとした身なりをしていたし、まあ品は良かったからなあ」
「そうそう、あの姫様言葉がもう聞けないと思うとなんやら寂しい」
「香枕ちゃんもねえ、男を見る目だけは確かだったわよね」
「そうねえ、あの趣味だけは頷けたわ」
 そこここで、しんみりと語られる香枕様の話を聞いていると、どうやらこの酒宴は神さまへのお礼とともに、香枕様を偲ぶ会でもあるらしい。史朗も何となく、しんみりとしてしまった。
「今回ばかりは、斎庭の息子を見直すしかねえな」
 そう史朗の隣にどかりと腰を下ろしたのは、市松様だった。いつものように一升瓶を抱えているが、そこから腕をのばし、凪の茶碗にとぽとぽと酒を注いだ。凪には見えていないはずだが、酒だけは満たされたのがわかったはずだ。
「珍しいね、市松が酒を他人に注ぐなんてさ」
 史朗がそう言うと、市松様は肩を竦めた。この市松だけは、史朗は呼び捨てにしている。兄弟だと思え、と言われて以来だ。
「あいつは神馴らしをすることは望んじゃいねえだろ。でも、今回は香枕の願いを叶えた」
「やっぱり、香枕様が頼んだのかな?」
「そうだろ。わざわざ史朗じゃなく、斎庭の息子を呼び出したのはそのためだ」
 史朗はその言葉には首を傾げた。何しろ、香枕様は面食い、と言われていた。
「それだけじゃないさ。だったら毎日寝たいとでも言えば良い。わざわざ指定してくるのは、話があったからだ」
 でも、凪はそのことについては何も言わなかった。ちらりと凪を見ると、淡々と食事をしている。
「神馴らしなんてもんはさ、本当はやらないで済むならやらない方が良い。虎の奴もそう言っていた。やられる方だって同じだ。だから香枕の覚悟もあったし、それを受けて、あいつも覚悟をしたんだろう」
 食事が済めば、風呂に入って、神さまのお礼の「本番」だ。史朗の中では、どことなく静かな覚悟ができていた。香枕様も、凪も覚悟をしたと言った市松様の言葉を聞けば、自分が逃げてはいられないと腹が決まったのだと思う。
 このお礼に関して言えば、気持ちの問題だ。自分は痛いわけでも、苦しむわけでもない。だからこそ、困惑や落ち着きがなくなるのだと思うが、それを納得させることができるのは自分自身しかいなかった。

 先に風呂に入ったのは、凪だった。食事の途中から、史朗のことは全く見なくなり、無言のまま風呂に向かった。少し、逃げるようだったようにも思う。二人が抱き合うということについて、覚悟が必要なのは史朗だけではないということだ。
「凪も、俺じゃなかったら覚悟なんていらないのかもな」
 呟くと、覚悟ねえ、と市松様は肩を竦めたが、それ以上は何も言わなかった。
 史朗が風呂から上がると、凪は廊下で庭を眺めていた。さすがに冷える夜で、史朗はその姿と見かけると、眉根を寄せた。
「風邪ひくぞ」
 虎之介のものだろう、凪は浴衣に暖かそうな褞袍を着ていたが、裸足だ。史朗は思わず、その足に自分の足をのせた。
「やっぱり冷たい」
 凪は息を詰め、史朗の名をため息のように吐き出した。
「布団、いこう」
 促すと、後ろから抱きつかれた。やっぱり、ひんやりと冷たい。それでも、首筋に触れる息は熱かった。
「凪……」
 そのまま、ずるずると布団に引きずり込まれた。史朗も今日は浴衣を着ている。神さまたちが用意すると、ときどきそうした昔を偲ばせるものになる。
 浴衣の合わせから凪の手が滑り込んで来て、肌の上をなぞる。その手が冷たくて、史朗は思わず身を竦ませた。それを勘違いしたのだろう、感情を抑えたような、凪の平らな声が聞こえた。
「今更、逃げられないぞ」
 逃げるつもりはない、と首を横に振ってみるものの、その冷たい手で史朗自身を掴まれて、やはり身を震わせた史朗は、思わず縋るように、布団を掴んだ。前より早急な気がする。でも、相変わらずその手は優しく史朗を触れている。
 たまらないな、と史朗は思う。ゆっくりとしごかれ、胸元も舐められ、身体の中が熱くなる。
 捧げものなんだから、史朗が気持ちよくなる必要なんてないのに、凪は丁寧だった。なぜか、今日は首筋を執拗に責め立てる。そこに熱い唇が触れると、史朗 は目を閉じて快楽を追ってしまう。凪は史朗を自分の前に座らせ、背中から抱き、後ろから責め立てる。脱ぎきれていない浴衣は腰のあたりにまとわりついてい るが、史朗自身はむき出しにされて、ゆるりと凪の手が撫で上げ続けていた。すでに、ぬるりと液体がにじみ出ている。こうしてゆっくりと快楽を引き出される のは辛い。
「凪……こういうのやだ……」
「早くいきたい?」
 熱い声が耳元に吹き込まれる。史朗はこくこくと頷いた。
 ーーーいきたいと言うより、欲しい。
 ふいにそう思って、史朗は狼狽した。背中には、ずっと凪の熱いものが当たっている。その存在が急に意識された。
「凪……」
 呼ぶと、ふいに頬に手が伸びて来たと思うと、口づけられた。下肢を触る手は動きを止めず、背中の存在はより熱くなった。たまらず、史朗は自ら動いて凪に向き合うと、腰をすりつけた。凪が息を詰める。
「な……」
 呼ぼうとした名は、凪の口の中に吸い込まれた。咥内を舌がゆっくりと舐める。史朗が目を閉じた途端、凪の苦しげなささやきが聞こえた。
「名前を呼ぶな」
 頼むから、と悲しげな、切なげなささやきだった。
 史朗は既に朦朧とし始めた意識の中で、唇を噛み締め、こくりと頷いた。だから名を呼ばぬ代わりに、欲しい、と声を漏らした。
 凪はもう一度、噛み付くように史朗に口づけると、背中に手を滑らせ、双丘の間に指を潜ませた。史朗は自然、凪の首筋に腕を回し、しがみつくような格好になっている。
 ゆっくりと入って来た指に、史朗の背が震えた。一度しか経験していないというのに、そこはしっかりと気持ちよさを覚えていて、貪欲に動いた。凪が宥める ように背中をさするが、指を増やされるたびに名前を呼びそうになった。目の前の凪だけがこの熱を鎮められると、史朗は知っている。ただこびり付くように残 る「名前を呼ぶな」という凪の切なげな声が頭の中に響き、何度もでそうになったその名を飲み込んだ。
 呼べない分、却って「凪」という自分の声が身体の中で暴れているようだった。頭の中もそれで一杯になって、苦しくて切なくて、たまらない。
 ようやく、焦がれた熱を身のうちに迎え入れたとき、だからその行きようのない言葉は、涙としてこぼれ落ちた。焦がれた熱だ。ひどく、気持ちがいい。でも、ひどく切なかった。
「……痛くないか?」
 優しさなんていらないのに、と史朗は思った。そんな風だから、切なくなるのだ。史朗は首を何度も横に振った。
「はやく……」
 ねだると、凪は史朗の首筋に口づけた。
 凪はその身を沈めるとき、後ろから史朗を貫いた。史朗の首筋に、熱い息がかかる。それが辛そうで、史朗は目を閉じているしかなかった。そうして、こぼれる涙を我慢することはやめた。そうでなければ、凪の名を呼んでしまいそうだった。
 その晩、凪も一度も、史朗の名を呼ばなかった。
 

 
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