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ゲーム


2nd.stage

08
 最初に声を発したのは、意外にもサキだった。
「駄目ですって」
 仕事の邪魔をすることだけはしたくないのだ。サキは慌てて、掴まれた腕をそのままに、メリッサを引っ張った。
「ねえ、いいでしょう?私、サキと撮って欲しいの」
 メリッサはそんなことはお構いなしのように、のんびりとそう言う。ヨシュアも他のスタッフもモデルも、呆気に取られたように二人を見ていた。
「僕には無理だと言ったでしょう?」
「あら、大丈夫よ」
「だから」
「やってみるか?」
 ふいにそう声がして、サキは信じられないと言う風にヨシュアを見た。
「ヨシュアまで何言ってんだよ」
「いや、どうせならさっきのことも事実にしてもいいかな、と」
 専属、のことだ。そう思い至って、サキは勢い良く首を振った。そんなことは出来るはずがない。第一、ヨシュアにカメラ越しに見られるだけで、自分はどうしたらいいのかわからなくなるのだ。正気を保っていられるとは思わなかった。
「だめ。絶対いや。ヨシュアに撮ってもらうのは、絶対いや」
 思わずそう言って、サキははっと口を噤んだ。言葉の少ないのは元からだが、今のは失礼な言い方だった、と思ったからだ。
 ヨシュアは傷ついたような目をして、そのサキを見た。
 撮りたいと、ずっと思っていたのだ。サキがモデルをしたら、きっとその雰囲気で売れるだろうと思う。でも、他人の手で撮られるのは嫌だった。どうせなら、自分が、という馬鹿みたいな独占欲を、ヨシュアはどうしようかと思っていた。だから、先刻のことは渡りに船だったのだ。ただ、サキにその気がないことは良くわかっている。
 でも、今のはまるで、―――というより事実―――自分だから嫌だ、と言われたのも同然だった。
「ごめん。あの、知り合いに写真を撮ってもらうのって恥ずかしから」
 サキはようやくそう言ったが、それが言い訳にもなっていないことは自覚していた。でも、本当のことなどとても言えなかった。
 絶対に、自分はあの視線に耐えられない。
 ただでさえ身体の芯が疼くような感覚を持て余しているというのに、あの目で見られていると思ったら。
 そんなことは、言えなかった。


 それからも何度か、サキはヨシュアの撮影現場に遊びに来ていた。ヨシュアが必ず連絡をくれるし、迎えにまで来てくれるときがあった。サキにしても、もともと夏休みの予定などないに等しい。本でも読んで過ごそうと思っていたのだ。
 ヨシュアの仕事はファッション雑誌向けのものが多く、コンスタントに仕事が舞い込んでいるようだった。サキはそんな風に働いているヨシュアを、いまだに珍しい思いで眺めていた。ときには何も言わずに、ときには乗り切れないモデルに軽い言葉を投げながら仕事をするヨシュアは、とても眩しかった。撮影が始まれば、そこはヨシュアのためだけの空間のようになる。華やかなのはモデルたちなのに、それもまた、ヨシュアの掌で踊らされているだけのように見えた。
「ヨシュアに撮られるのはね、気持ちイイのよ」
 すっかりメリッサに気に入られたサキは、メリッサの撮影の時には必ず来るように、というお達しまで受けていた。でも、あれ以来一緒に撮影しよう、などとは言われないので、サキも徐々に心を開いてきていた。
「気持ちイイ?」
「そう。身体の芯からぞくぞく這い上がってくるような気持ち良さ。ヨシュアの撮影の後はね、セックスした後みたいな爽快感があるの」
 少女のような笑顔でそう言ったメリッサに、サキが顔を赤らめた。メリッサはそれを楽しむように見ている。
「サキちゃんてば、かわいい」
「からかわないで下さい」
「からかってないわよ?さっきの話は、モデルの間では有名な話。だから、結構色々な子が撮ってもらいたいって思うし、実際撮ってもらったら、もう一度、って思うのよ」
 ヨシュアってば男前だし。そう言うメリッサに、サキは苦笑しつつも俯いた。わかっている。ヨシュアがどれだけみんなに好かれているのか、サキはよくわかっているつもりだった。
 メリッサの言うことは、本当だろう。肉食獣が獲物を見るかのようなあの目。獲物たちは、狙われていることを楽しむかのように駆け引きをしながら、侵略されていく心地よさに酔ってもいる。そして、そんなヨシュアに、本当に身を任せようとするものたちがどれほどいるか―――そんなことは、サキはわかっているつもりだった。
 撮影後に、ヨシュアとサキは良く食事に行く。それが、二人で決めたことだからだ。でも、ときどき、帰り際のヨシュアに誘いを掛けてくるものがいた。どうやらそんなことは良くあることのようで、ヨシュアはいつも苦笑しつつ断っていた。以前は、断らないこともあったのだろう。最近は付き合いが悪い、とヨシュアが言われていることも知っていた。それが自分のせいだと言うのは少し傲慢かもしれないが、サキは自分とのあの約束がヨシュアの自由を奪っているのも事実だろうと思っていた。それでも、ヨシュアが断るたびに喜んでいる自分がいる。
「それにね」
 ふいに笑いを含んだメリッサの声が聞こえて、サキは先日見たヨシュアとモデルのことを頭から追い払った。食事の後に約束をしていたのか、ヨシュアとの食事の後にふいに思い出して寄った本屋からの帰り道に見た、似合いすぎるほど似合っていた、二人。そのモデルはその日の撮影で、サキも見ていた。
「最近のヨシュアはすごいの。ときどき怖いくらい、頭のてっぺんから足の先まで食い尽くされるんじゃないかってくらい、すごい目で見る」
 メリッサの声は少し恍惚としていて、まだ先刻の撮影の余韻が残っているのだろう、とサキは思った。緊張感と、カメラマンとモデルの間の濃密な空気に、窒息しそうだった。休憩中の今はそれが嘘のように和んでいるが、サキの息苦しさは、あまり緩和されていなかった。
 息苦しいのは、そんな濃密な空気に嫉妬しているからなのか。
 メリッサが言う、「すごい目」で見られているモデル達を、羨んでいるからなのか。
 ときどき、大声を上げてその空気と雰囲気をかき回したくなる気持ちを、持て余しているからなのか。
 限界かもしれない、とサキは思っていた。
 これ以上、馬鹿な、醜い嫉妬をしないためにも。
 いつか、この気持ちを抑えきれずに、撮影を壊してしまうようなことをしないためにも。
 もう、自分はここには来ないほうがいいのかもしれない。
 サキは、離れたところでカメラの調整をしているヨシュアを見ながら、そう思っていた。


 限界だったのは、ヨシュアも同じだった。食事の後に、何度か飲みに行ったりもしたが、そのまま帰すのが嫌で堪らず、何度も引き止めたり。でも、それでは済まなくなりそうで、持て余した欲望を誤魔化すように、その後モデルを呼び出して抱き合ってみたり。もちろん、そんなことでは治まらないとわかっているのだから、馬鹿なことをしていると自分でも思っていた。
 今では惜しみなく晒されるサキの笑顔が、憎らしくて堪らなかった。すぐ近くにいるのに、抱きしめることも、触れることさえも出来ずに、欲望を隠して優しい振りをしている自分。それなのに、その笑顔が他人に向けられることに、嫉妬をせずにはいられない自分。何よりも憎らしいのは、そんな自分だった。もう二度と傷つけないと誓ったのに、再び傷つけてしまうかもしれない自分が、恐ろしく、信用できなかった。
 宥めて、誤魔化して、どこまでそんなことでやっていられるのか、ヨシュアは自分のことなのにわからない。
 穏やかに、笑いながらメリッサと話しているサキのその笑顔を、もう失いたくない。こうして、サキが笑っているのを見られるだけでも、奇跡に近いことだと思っている。それなのに、自分は我侭だ。
「やあ、あの子か。君がご執心なのは」
 ふいに聞こえてきたからかうような声に、ヨシュアは内心舌打ちをしながら、笑顔を作って挨拶をした。
「先生。どうしたんですか?俺の仕事場に来てくれるなんて、ずいぶん久しぶりのことじゃないですか」
「いや、最近富に君がいい仕事をしてるって聞くものだから、どんな風なのかと思って」
 そう言いながらも、ブライアンの視線は品定めをするようにサキを見ていた。幸いサキは、メリッサと話していてこちらには気付いていない。
「おかげさまで、忙しくて少しもゆっくりできません」
「おや?俺が可愛い愛弟子をあちこちで誉めまくるのが気に入らないか?」
 そうやって、自分はかなりの仕事を制限しているのだ。ブライアンはできればファッション誌の仕事はヨシュアに譲ってしまって、自分は自分の好きなことをして余生を楽しみたいと思っているようで、あちこちでヨシュアを売り込んでいる。と言っても、余生はまだまだ今まで生きてきた倍以上残っているのだ。
「それにしても、ふうん……ちょっと撮ってみたいなあ」
 サキから一向に視線を外さないブライアンに、ヨシュアは少々苛立っていた。その上、そんなことまで言われて、ため息を隠さずにはいられなかった。必ず、そう言うと思っていたのだ。だからこそ、サキとブライアンを会わせることはしたくなかった。
「駄目ですよ。彼はモデルじゃない」
「そんなことは知ってるよ。だからいいんじゃないか」
 冗談じゃない、とヨシュアは思った。自分でさえ、まだ撮ってないのだ。その上、あんなことまで言われて―――ふいに先日のことを思い出して、ヨシュアは不機嫌さを隠さなかった。
「おやおや。ヨシュアがそんな顔をするとはねえ……独占欲丸出しなのは、嫌われるよ?」
 言われなくても、わかっているし、さらに腹の立つことに、自分にそんな欲を持つ資格がないこともヨシュアは十分承知していた。
「へえ。笑ってるのもいいが、ふいに見える陰のある表情もいいね。やっぱり、今度の『クラッシュ』の撮影に使いたいなあ」
「先生」
「いや、ちょうどいいモデルがいなくて困ってたんだよ」
「でも、サキは駄目です」
「じゃあ、ヨシュアは?」
 意地悪く笑われて、ヨシュアは「引っかかった」と天井を仰いだ。ヨシュアに前から撮らせろ、と言っていたブライアンだ。このままでは、ヨシュアがモデルをしないなら、サキを紹介しろ、と言われるだろう。なんにしろ、ヨシュアが断れば、サキに矛先が行くのは目に見えていた。
「ずるいですよ」
「何が?」
 にやりと笑う顔はやはり確信犯のようで、ヨシュアは悔し紛れに盛大なため息を吐いた。


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