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あふれ出る言葉など何の役にも立たない

10
 好き、なのだろうか。
 寮に帰ってきて、どさりとベッドに寝転がりながら、右は考えていた。感情を笑いの下に隠すようになってから、自分で自分の感情もよくわからなくなっている。言われてしまえばそうなのかもしれない、と思うし、でも毒されているのかもしれない、とも思う。
 芳明のバスケ部の先輩の海田と、春姫になった重藤のカップル誕生は、少なからず一年生に影響を与えた。噂の段階だった「男同士のカップル」を実際目の当たりにして、そして二人と周りの先輩達があまりに自然なことに「こういうのもありなのか」と思った一年生は多い。所詮、高校生になったばかりの新入生たちにとっては、この狭く閉ざされた九重がその世界の大半を占める。そして、例えばその中でしか通じない「常識」があったとしても、それを容易く受け入れてしまう。それが、この閉じられた九重の良い点でも、悪い点でもあった。
 そして、そう言う流れに沿っていくのはとても楽だと右も知っていた。
 ホウメイは――きっと関係ないのだろうな、と右は思った。芳明は芳明の世界とも言えるべき世界を持っていると右は思っていた。周りには流されない。だから、自分の嘘の笑顔にも騙されなかったのだろう。
「好き、なのかなあ」
 声に出してみたら、顔が赤くなるのがわかった。
 この心臓のどきどきや、独占欲に似た我侭がその証拠だというのなら、それはきっと好きと言うことなのだろう、と右は思った。
 でも、気付かなくていい思いだ。芳明になど知られたら、それこそ恐ろしい。男同士ということに対して偏見を持っているわけでもなさそうだったが、きっと自分に向けられたそんな思いは一刀両断、容赦なく切られる気がした。
 今のままが、一番いい。
 右はそう思って、自分のその気持ちには気付かなかったことにしよう、と誓った。


 五月五日の子供の日は、連休にも関わらずかなりの数の生徒たちがいた。もともと、節句対決の日だから、それを知っている二、三年生たちは毎年連休最終日のこの日は帰ってくる予定を立てている。
 芳明が選んだメンバーは、中学が一緒だった八重樫 正衛(やえがし まさえ)と、全中優勝経験のある沢辺 彬(さわべ あきら)だった。何より、練習中に最も組むことの多い三人だ。
「悪いな、巻き込んで」
 シューズの紐を調整しながら結んでいた芳明がそう言うと、二人が不思議な顔をした。
「別に俺たち巻き込まれたとは思ってないぜ?それより、部長と総総代、さらにはあの春姫まで一緒にバスケできるなんて、なあ」
 沢辺がそう笑って、八重樫も苦笑しながら頷いた。
 海田の選んだもう一人の助っ人は、学校中を驚かせた。重藤はどこの運動部にも所属していない。でも、海田曰く「体力はないが、センスはある」ということだった。
「二年の先輩達には羨ましがられたぞ。代われとか無茶なこと言われて」
「俺のクラスの奴なんか、バスケ部入れば良かったとかほざいてるのもいた」
 くくく、と言う風に笑う二人に、芳明は呆れつつも感謝した。試合という形でも、さらし者に近いのだ。既に、体育館には生徒が押し寄せて熱気が篭っている。
「唯一困るのは……」
 そう言って八重樫が立ち上がって、軽くジャンプをする。芳明はふっと顔を上げた。
「俺たちが勝ったら、木田が総代にならない、ってことかなあ。俺は別におまえでいいと思ってるから」
 隣で、沢辺も頷いている。芳明は再びシューズに視線を戻して、肩を竦めた。
「そんなこと言って、手え抜くなよな」
「やだなあ。俺たちがそんなことするわけないじゃーん」
 沢辺は笑ったあと、「ぐえっ」と変な声を出した。芳明が顔を上げると、沢辺が海田に後ろから腕で首を締められているところだった。
「おまえら、勝てると思ってるのか?」
 にやり、と笑われて、芳明は肩を竦めた。
「勝つ気ではいますよ」
 じゃなかったら受けませんって、と言う芳明に海田は苦笑した。ほぼ手の上で踊らされているとわかっていて、それでもやるのは感心だ、と瓜生が言っていたのを思い出す。これは、一年総代の座を賭けた戦いというより、反対派潰しのためなので、そのことをきちんと芳明は理解している、とも。
「こっちは現役がいくら俺一人だとしても、そうそう簡単に負けないからな」
「はーい。お手柔らかにお願いします」
 首を摩りながら言ったのは沢辺だった。そこに、今日の審判を頼まれたバスケ部副部長の松宮が「そろそろ準備しろー」と叫んだ。
 改めて体育館を見渡した芳明は、そのあまりの熱気に、呆れるより他なかった。


「なんだよあれー。あの二人、本当にバスケ部じゃないのかー」
 そう叫んだのは沢辺だった。試合は前半を20対24の四点差で瓜生チームが取っており、後半もそのわずかな点差が縮まらないまま進んでいた。体力がない、と海田が言った通り、重藤に疲れは見えていたが、前半からその分は海田がフォローしている。そのうえ、海田と重藤はやたら息の合った連携プレーをする。そして、瓜生は瓜生で、その海田たちに十分ついていっているのだ。背が高い分、リバウンドを取るのも上手い。
「詐欺だよなあ」
 八重樫も苦笑しながら、ボールをエンドラインから沢辺に投げる。途端に、三人で走り出す。とにかく、年齢だけは若いのだから、走り回ってかき回そう、というのが三人の考えたことだった。
 沢辺からパスを貰った芳明がちらりと二人の位置を確認する。重藤の負担を考えてか、相手チームはマンツーマンでのディフェンスをしていない。八重樫がかなりの勢いで走っているのを確認して、芳明は、ぽおん、とボールをそのディフェンスの中、ゴール間近に投げ入れた。そこにはまだ、誰も居ない。でも、それが放物線の頂点に達する前に、駆け込んだ八重樫がジャンプをして、そのボールを取ると、そのままゴールへシュートした。だんっと音がしてボールがゴールに吸い込まれると、観客のどよめきが聞こえた。
「ナイス・シュート」
 芳明が八重樫の肩を叩くと、無茶やらせるんじゃないよ、と八重樫がため息をついた。
「おまえなら楽勝だろ」
 あれくらい、とさらりと言われて、八重樫は諦めたように首をふるふると横に振った。芳明のあんな無茶なパスには、もう中学時代からならされている。今更、なのだ。
「ナイス・カッ」
 体力だけはある芳明たちはプレスディフェンスをしていた。遠慮のない当たりのディフェンスに、海田たちが苦笑しているところで、沢辺が重藤に回ったパスをカットする。すぐに海田がフォローに走ったのを見て、芳明は沢辺の後ろに回った。自分よりずっと背の高い海田にシュートを阻まれた沢辺の名前を呼ぶ。
 既にジャンプをしていた沢辺はちらりと後ろを見て、シュート体勢からそのまま、くいっと手首を返して後ろの芳明にパスをした。それを受け取った芳明は、スリーポイントラインからシュートを放つ。
「っしゃ。一点勝ち越しっ」
 沢辺がこぶしを上げる。体育館中にも、歓声が沸いた。
「まだまだ」
 海田が叫ぶ。時計はあと三分を示している。
「なんか、すっげー楽しいな」
 沢辺が興奮したようにそう言う。それに、芳明も頷いた。対決などどうでもいいから、勝ちたいと思った。
 ぽんぽんぽんっ、とドリブルなしで繋がれたボールを持って、重藤がふわりとジャンプをしてシュートを放つ。見惚れそうになってしまうシュートは、ちょっとずるい、と休憩中に沢辺が言ったシュートだ。
「お返しー」
 とにっこり笑う重藤に、一年生三人は何も言えないばかりか、観客達もぼーっとその重藤を見ていた。
「千速、愛想を振り撒くな」
「なんでだよ。こいつら面白いじゃん」
 そうではなく、ここには全校生徒かとも思われる人数の生徒たちがいるのだ。心労を増やしてくれるな、と海田は小さくため息をついた。重藤をメンバーに入れたのは、小学校では一緒に、別々となった中学でもバスケをやっていたことを知っていたのとは別の理由もあった。春姫となったはいいが、「姫」という呼称に間違ったイメージを抱く生徒が出始めたからだ。九重の姫たちは、常に守られるような、か弱い姫ではない。そのあたりを手っ取り早く教えるために、重藤をメンバーにしたのだ。
「逆効果、というか別効果、なのか?」
 瓜生が苦笑しているのを見て、海田はもっと深くため息をついたのだった。


「うっわー。それはないっす」
 沢辺の叫びは、観客の歓声にかき消された。よっ、と言う感じにぶら下がったゴールから地面に降りた瓜生に、芳明が呆れたような視線を向けた。
「どこが普通、なんですか」
「背が高いってだけだよ」
「それだけでできるほど、ダンクは簡単じゃないです」
 一時勝ち越し、でもすぐに追いつかれた点差はまたもや四点。調整されているんじゃないかと、芳明は疑わしそうな目をして瓜生を見たが、くすりと笑われた。
「こっちも結構必死だぞ。小細工なんてしてられない」
 どうだか、とは思ったが、確かに先輩達に余裕は感じられなかった。
「そうだよ。まったく、少しは遠慮ってものをしろ。まあ、俺は今後が期待できて嬉しいといえば嬉しいんだけどな」
 海田もそう言って、芳明の頭をぽんっと叩いていった。
「木田っ、あと一分」
「まだ行くぞ」
「当たり前っ」
 八重樫も沢辺も、ひどく楽しそうだった。それはもちろん、芳明も同じだ。海田とするバスケだけではなく、こいつらとするバスケもまた、絶対に面白いに違いない。やはり、バスケ部に入って良かったと、こんなときだというのに芳明は思った。
「っしゃー。あと一本」
 せめぎ合ったゴール下のリバウンドを芳明が半ば意地で取って、ゴールを決めた。これで点差は二点。会場から、「あと一本っ」とコールが聞こえた。バスケ部の他の一年のその声に呼応して、拍手の音と共に「あと一本」コールが瞬く間に広がる。大半は一年生で、それに対抗して上級生はカウントダウンを始めた。
「ゼロッ」
 という叫びと共に、甲高い笛の音が響いた。ボールを持っていた海田が、ほーっと力を抜いてぽーん、とボールを遠いゴールに投げた。ボールはゴールに届くことなく、床を点々と転がった。一年三人は、思わず天井を仰いだ。
「くっそー。負けたー」
 沢辺はそう言いながら、口調とは裏腹に笑っている。あとの二人も満足そうに、思わず顔を見合わせた。
「惜しかったな」
「ああ。でも」
 面白かったな、と笑うと、どっと人の波が押し寄せた。三人が驚く間もなく、もみくちゃにされる。
「すっげーよ。おまえら」
「惜しかったよなー」
 顔も知らない生徒たちに、次々に何か言われては頭や肩を叩かれたり、体当たり状態で突っ込まれたりして、芳明は悲鳴を上げた。
「おまえらー。なんだよ。離れろっ」
 それを横目で苦笑しつつ眺めていた瓜生の肩を、海田がぽんぽんっと叩いた。
「お役目は無事果たした、ってところか?」
「ああ。正直ほっとした。そっちもご苦労さん」
 二人で笑い合う。内心、ひやひやものだったのだ。この結果は、最も好ましい形だったといえる。
「お疲れさん」
 ほいっとスポーツ飲料のペットボトルを投げてよこしたのは、執行部の面々だった。
「今年はやたら苦労してるな、総代選びは」
 佐々野がそう苦笑する。それに、瓜生が肩を竦めた。
「年々難しくなってるんだよ」
「まあ、おまえのときも香住さんたち苦労してたもんなあ」
 一つ上の先輩の名前を出されて、周り中が笑っている。それにも瓜生は何も言わずに苦笑しただけだ。大体において、そういう彼らだからこそ、総代なんぞに選ばれてしまうのだ。
「二年は結局本命は落とせなかったんだろ?」
 佐々野がにやりと笑う。
「あれは次の総総代にするのが一番の目的だったから、まあいいんだ。菅野もそれでいいってことでOKしたしな」
「そうなのか?」
「むしろ、そうじゃなければ受けない、って言われたよ。あいつも自分を良くわかってる」
 わかっていないのは、芳明だ。瓜生はそう思っていた。状況の判断は優れているが、どうにも自分に関する視線や関心には無頓着すぎる。そのあたりは、きっと基一や圭一がうまくフォローをするのだろうから、それはそれでいいのだろうが。
「ともあれ、これで無事解決だな」
 海田のその言葉に、そこにいた執行部は、ようやくとほっとしたような顔を見せていた。


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