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どこかわからない遠い場所でサボテンを抱きしめる夢を見た 第二話

10
 改まって話をしようと思ったわけではない。だから、和高が訪ねてくれるのを待っても良かったし、遊びにおいでと樹から誘っても良かった。それなのに、なぜか和高は部屋に来ることはないし、樹が教室に向かったら、阻まれた。
「何の冗談?」
「冗談なんかじゃないですよ。しばらく邪魔させてもらいますんで」
 訳がわからなくて、樹が思わず睨むと、ずらりと並んだ二年生たちの背が一瞬びくりと震えた。
「おいおい、苛めないでくれ。おまえたちも、先走りすぎだろ?」
 苦笑しながら現れたのは大庭だった。
「なんだこれは」
「おまえね、寮長だろう、仮にも」
 仮と付けるあたり少し気に食わないが、事実なので放っておこうと樹は先を促した。
「あれだ、七夕対決」
 はあ?と樹は思い切り怪訝な顔をした。
「あれはまだ一週間後だろ。それに、なんで和高が……」
 そこまで言いかけて、思い当たったことに樹が眉根を思い切り寄せた。
「まさか……」
「そのまさかだよ」
 大庭のにこやかな顔を、樹は思い切り睨んだ。その人選に、最終許可を出したのは大庭なのだ。
「仕方ないだろう。ほとんど全員一致だったんだよ」
 九重の古の行事を外さない姿勢は、一体伝統なのか、理事長の趣味なのか、祭り好きの生徒の悪乗りなのかわからないが、いつでも崩れない。七月の初め、学期末試験も近づき、運動部はインハイも控えていると言うのに、七夕祭りをするのだ。ちなみに、理事長からはそれは大きな笹が二本差し入れられる。
 そして、その準備委員会の選出が対決によって決まるのだ。西から出すか、東から出すか。笹には短冊をつけるのが義務になっていて、その短冊の用意、笹の取り付け、食事は準備してもらうが、それを運ぶのは生徒だし、机も運び出さなければならない。それら全てを片付けるのもまた、負けた寮生なのだ。準備はまだいい。でも、この片づけがなんとも嫌なのだ。
 そして、対決は七夕にちなんで(と言っても、樹にはどこがちなんでいるのかわからない)少々ふざけすぎた内容になっている。
 寮生の中から一人選ばれた生徒の唇を奪うこと―――この九重ならではの、あまりにふざけた対決の一つが七夕対決だった。もちろん、ノーマル嗜好の生徒もいるが、そちらはカメラマンにまわる。実際には、「している風に見える」だけでも写真があればいいのだが、その方が実は難しい。
「あんの馬鹿……」
 なんだってそんなものに選ばれてしまうのだ。
 選ばれた生徒は「織姫」と呼ばれ、対決当日、一日中あらゆる輩に追いかけられる羽目になる。
「そっちも決まってるんだろ?織姫」
「異様な盛り上がりだったから少しおかしいとは思ったんだ……」
 選出は終わっている。普通は、フライングを避けるために、当日まで織姫は発表されない。
 両方の寮生の中で、少なからず情報交換がなされていたらしい。東の織姫はあの東郷だった。
 二人の対決再び、というところだろう。
 二人とも、短距離走者だから逃げ足のことを考えれば妥当だと言える。でも、樹は作為を感じずにいられない。
「こういう馬鹿なことを考えるのは大方宮古辺りだな」
 樹の呟きに、宮古もかわいそうに、と大庭が笑った。
「それが違うらしいんだな。どうやら二年が企んだみたいだ」
 その言葉に、ふいに和高の友人面々が思い浮かんだ。あの中には、報道部の長柄もいる。どうして自分が友人になっているのかときどきわからない、と和高が言う友人達だった。
「あいつら……」
「心当たりあるのか?」
「たぶんね」
「あれ、深山先輩」
 そこに哲平が通りががって、にっこりと笑った。偶然、ではないだろう。樹はその哲平を睨んだ。いつもは和高が一緒にいるのに、いない。この哲平が多分、一番厄介なのだ。宮古と同じ匂いがする、と前々から思っていた。
「おまえら、何考えてんだよ」
「何です?」
「とぼけんなよ。今回の七夕対決、おまえらの仕業だろ」
 和高は平和で平穏な学校生活というものに憧れている。だから、こんなものに出るのをそう簡単に承知するわけがなかった。上手く丸め込めるとしたら、この哲平達だけなのだ。
「仕業、なんてひどいですよ。ちょっと推薦しただけです」
「ついでに東のことまで考えて?」
「あ、それはそっちからの提案ですよ?」
 大概、みんな悪乗りなのだ。樹は深く深くため息をついて頭を振った。
「なんだ、哲平たちだったのか」
 大庭は呆れたように笑っている哲平を見た。
「坂城はまともで良い奴なのに、とんだ友人を持ったな、おまえの彼氏」
 大庭の声に、樹は頷く。全くだ。
「ええー?それひどいじゃないですか。今回二人のことに色々協力したんですよ?ちょっとくらいお礼を貰ったって……」
「他のことにしろよ、礼なら」
「いえ、これが一番です」
 にっこり笑う哲平が憎らしい。この分では、寮でも監視されていることだろう。何しろ鼎が同室だ。
「そちらも結構良い条件だと思うんですけど……先輩が勝っちゃえばいいでしょう?」
「誰が写真なんか撮らせるか」
 それがあったから、先輩方も実は賛成したのだ、とは哲平は言わなかった。
「というわけで、俺は和高と話したいんだけどね」
「いいですけどねえ……たぶん、ギャラリーというかカメラマンと言うか、一杯いると思いますよ?」
 哲平の言葉に、樹は唖然とした。たしかに、今はひどく目立つだろう。こちらにその気がなくても、自分のところの寮生は勝てるチャンスだと思うだろうし、好奇心で覗く者もいそうだ。まだ対決ではないとしても、そんなことは関係ない。
「おまえたち……恨むよ」
 タイミングが悪すぎる、と樹は思う。少しギクシャクしていた関係が、これで一気におかしくなったらどうしてくれよう。
「障害があったほうが、今度逢ったときに嬉しさが増すじゃないですか」
 織姫と彦星みたいにね、と笑った哲平はものすごく楽しそうで、樹はこれから先のことまで、心配してしまった。


 結局、その一週間は樹と和高は会うことが出来なかった。部活のときでさえ、監視のような目が光っているのだ。そもそも人前でするような話ではないと考えると、もう諦めるしかなかった。
「坂城も頑張ってるみたいだけどな」
 そう言ってきたのは高居だった。樹は今では、放課後になるとトラックを眺めるという、付き合う以前のような状態になっていた。
「部屋を抜け出そうとしたり、部活サボろうとしたり」
 え?と思わず高居の顔を樹は見上げた。とんでもないことを聞いた気がした。
「まあ、結局西寮生に連れ戻されたんだけどな。こうなってくると、それに感謝するべきか、そもそも原因を作ったのは奴らだから怒るべきなのかわからなくなってくる」
 呆れたような高居を樹はちらりと見て、それでも会っているのだからいいじゃないか、と思った。
 物理的に会えないのではなく、邪魔をされているのが樹には気に食わない。
 こんな風に、二人を引き離すのは簡単だと示されているようで、苛々する。
「俺としては深山がどうして会いに行かないのかも不思議だけど」
 あの程度の障害で。
 そう言う高居の真意がわからず、樹は校庭から花壇の方へと視線を移した。
「また走りが不安定にでもなってる?だいたい、どうして高居がここにいるんだ?」
「部対抗マラソンの日なんだよ。今日は俺は走らないから」
「ふーん」
 気のない返事をした樹は、また校庭に目を向ける。確かに集団で走ってくる生徒が見えた。
「あいつは、たぶん少し乗り越えたよ」
「え?」
「苛々してるのも、怒ってるのも分るけど。でも、走りは安定してる。その辺の切り替えができるようになったのかもな」
 それは、自分ほど和高が不安ではないからじゃないだろうか、と樹は思う。
 馬鹿馬鹿しい。
 なんでも、こんな風に不安に繋げている。高居が言うように、ただ和高が強くなっただけかもしれないのに。
「明日、どうするんだ?」
 七夕対決となる六月の最終金曜日。和高と東郷はきっと授業中だけしか休まるときはないだろう。
「別に」
「おいおい、いいのか?振りでもいいって言っても、その方が難しいんだぞ?」
 相手が協力的ではないとき、振りで顔を近づけても、勢いで接触することの方が多いのだ。事故のようなそんな写真は、毎年新聞部を喜ばせる。
「逃げ切れって言っといて」
「無茶言うんだな……」 
 高居がため息を付きながら立ち上がった。樹の、こんな不安定な状況は初めてで、どうしようかと思う。
 和高も、ときどきひどく剣呑な目をすることがあった。たぶん、周りが思っているより、今回のことは二人に悪いように作用しているのだろう。
 不安な気持ちは、高居も理解できる。思いが通じ合っても、それが確かになるまで、長い道のりがいることも、知っている。男同士だと言う、この厄介さからなんとか立ち上がるまでの、その長さ。
「……あいつが、逃げ切れる方法が、あるだろう?」
「高居?」
 写真ぐらい、撮らせればいい、と高居は思うが、それはそれで、和高は西の恨みを買うだろう。その後、七夕祭りの実行委員の雑用になるのは確実だ。それは高居も避けたいと思う。
 高居はすっと手を差し出して、にやりと笑った。
「植物館。あそこなら、誰も入れない」
「それはそうだけど」
「最後の授業はさぼるんだな。それまでは逃げ切るように言う。それで走りこみはできるだろ」
 だから部活も免除、と言いたいのだろう。その高居に、樹はしばし呆然とした。
「言っただろう?あいつは俺の可愛い後輩だって」
 深山には借りは返したけど、坂城にはまだまだたっぷり残ってるんだ、と高居が言う。
「俺が甘えるためにも、あいつにはしっかりしておいて貰わないと」
「……高居が甘えるためだと思うと、悔しいんだけど」
「本人は全く気付いてないからいいじゃないか」
「だからかえって嫌なんだよ」
 樹はそう言いながら、ポケットからキーホルダーを取り出す。その中の一つをはずして、高居に投げた。
「なくすなよ。それから、自分で返しに来いって伝えといて」
 樹の少し悔しそうな声に、高居はわかった、と笑った。
 これでまた、高居に借りができてしまったことになるのだろう。


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