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la vison 第二話
09
神聖な気持ちで、確かめるように抱き合うのは久しぶりだった。激しさを二人は嫌うわけではない。ただ、こんな穏やかな気持ちで満たされたセックスをしたのは、もうずいぶん前のことだった。
足りないものは、たくさんあるのだろう。穂積にも、周にも。それを少しずつ埋めていくことを、忘れてはいけないのだ。
坐った穂積の胸にくたりと身体を預けて、周はその背を抱き締めた。穂積が、その周の肩に頭を預ける。まだ繋がったままの部分が、ひくりと動いた。
「あったかいな」
穂積が呟いた。抱き締められて、包まれて。いつだって周は自分を柔らかく包み込んでくれているのだ、と穂積は思う。
いつから―――そう思ってみて、穂積は少し笑った。
初めからだ。最初から、自分を弄ぶ穂積を周は受け入れていた。
縋るような穂積に、周は知らず微笑を浮かべた。ともすれば、泣いてしまうかと思った。
「なんだ?」
「ん?気持ちいいなと思って」
「もっと気持ちよくするか?」
微かに腰を動かされて、周は小さく吐息を吐き出した。
「待って……もう少し」
少し哀しそうな声に、穂積が顔を上げた。こんな穏やかに抱き合って、どうして哀しいのだ、と目を眇める。
「周?」
「俺、どうしたらあなたを抱けるかなあ」
すっと前髪を掻き揚げられて、周は目を細めた。一瞬穂積は言葉に詰まったが、すぐに周の言いたいことがわかって、苦笑する。
抱きたいなら、それでも構わない。でも、周はそんなことを望んでいるのではなく。
「抱いてるじゃないか」
おまえは温かいぞと言いながら、言葉を探すように僅かに開いた唇にゆっくり口付ける。
「俺はいつだって包まれてる」
耳元で囁くように言うと、周が身を震わせた。包み込むところも伸縮して、穂積は「ほら」と熱い息を吐いた。
周は降る口付けに身を任せながら、目を閉じた。
いつでも、仕事をする穂積の隣には尋由がいた。そして、ライバルと言う座には指月がいる。だから、自分は焦ったのかもしれない、とようやく知る。
穂積はこれほど、自分を求めてくれるのに。
抱き合っている、という感覚が周にはなくて、親の背を追う幼い子供のように必死だったのだと。
でも、そうではない。
どうして忘れてしまっただろう、と周は思った。熱くなる身体をどこか心地よく感じながら、うっすらと笑う。
あれほど、孤独を纏った穂積を、どうして忘れてしまっただろう。今は、周といると穏やかな空気を纏っていることに、どうして気付かなかったのだろう。
覆い被さる、穂積だけが周を抱き締めているのではない。周はそれを包み込んでいるのだということを、初めて知った。
「周、今夜付き合えよ」
休み前日の日曜日、指月に誘われた周は困ったように笑って首を横に振った。
「先約があるんです。すみません」
その周に指月が目を眇める。穂積とは上手くいったのか、このところ穏やかさが戻ってきた周は、それと一緒に付き合いが悪くなった。
「この間から断ってばっかりだな。誰との約束なんだ?」
「指月さんも一緒でも、まあいいんですけど」
その言いように、指月は相手を知る。知って、長い長いため息を吐いた。
「おまえ、穂積とはしょっちゅう会ってるんだろ?だったら俺を優先しろよ」
「俺に言わせれば、おまえは一日一緒じゃないか」
いつのまに来たのか、指月の後ろに穂積が立っていた。周がゆっくりと微笑んで、もうちょっと待ってください、と言う。
「ああ。思ったより残務処理が早く終わったから来ただけなんだ。少し見てるよ」
店内にはもうほとんど客がいない。穂積はこういうときにゆっくりと見るのが好きだ。
「飯食って、飲みに行くけど、指月も来るか?」
壁に並ぶセレクトされたCDを見ながら、穂積が指月を振り返った。
「やだよ。わざわざ当てられに誰が行くか」
「じゃあ、周が来るまで付き合え」
穂積がそう言って、外村に声を掛ける。
「おい、勝手に決めやがって」
「飲みたかったんだろ?いいじゃないか」
「おまえとじゃないよ。俺は周と……」
その周にまで、いってらっしゃい、と声を掛けられ、指月は諦めて首を振った。
「まあいいか。おまえで我慢しよう」
そう言った指月に、穂積は笑っただけだった。
本当は、指月と話がしたかったのだ。だから早く来たのであって、周もそれをわかったのだろう。
「で?周とは落ち着いたんだな」
「ああ、おかげさまで」
いつものバーのカウンターだった。穂積は一層穏やかな顔をしていて、指月は馬鹿みたいだとため息を吐いた。
「柄でもないお節介なんてするんじゃなかったな」
呟くと、穂積がふっと笑う。
「それだよ」
「何が?」
「おまえがパートナーを求めるのも、柄じゃない」
穂積が言った言葉に、指月は一瞬持ち上げかけたグラスをまた置いた。
「やっぱり周が候補になるのも嫌か」
そう言うことを言っているのではないとわかっていながら、指月はわざとからかうようにそう言った。
淋しいと、ただ言えばいいのか。
でも、そう言ってしまって、一体誰がその寂しさを埋めてくれると言うのだ。
「周が、本当のパートナーって何度も確信を持ったように言うから、色々考えたんだ」
「周に見えてるわけでもないだろ?」
「ああ。でも、あいつはそういうことを違えない。だから、おまえの本当のっていうのは誰なんだろうって思ったんだ」
「それで?」
「そもそもそれが違う。誰かと完全に組んで仕事をするのはおまえのスタイルじゃない」
そもそも、穂積と指月の組織は違うものだ。
「だから、一人でするべきだって?」
おまえが変わったように、自分だって変わったかもしれないじゃないか、と指月は穂積を責めたい気分だった。自分だけ安寧の場所を手に入れるなど、ずるい。
「違うよ。でも、おまえには誰か一人のパートナーがいない代わりに、それぞれの分野のパートナーがいるじゃないか。それだけでも、俺は贅沢だと思うけどな」
例えば、外村だって立派なパートナーじゃないか、と穂積は言う。
「でも、外村も―――周も、ネイキッドにずっといたいと思っているわけじゃない」
「オーナーはどう思ってるんですか?」
ふいに聞こえた声に、二人が振り返る。店の暗い光の中で、周がにっこりと立っていた。
「ずっといて欲しいと、一緒にやっていきたいと、思ってないんですか?」
周はそういいながら、穂積の隣に立った。何か言いたそうな穂積は、肩に置かれた手に開けかけた口を閉じる。
「あそこを基点に、誰かが巣立っていくならそれもまた、誇らしいことだろ?」
指月がそう言うと、周は坐りながらくすくすと笑った。確かに穂積さんとちょっと似てる、と悪戯な目をする。
「どこが似てるって?」
「こっちの気持ちを無視して、人のこと大事にしてくれるところ」
寄ってきた定員に、ビールを頼みながら周が笑う。
「外村さんだって、引き止めたら引き止まるかもしれない。駄目ですよ。必要なら、ちゃんと必要だって言わなくちゃ」
「周……自分の首締めてるのわかってるか、おまえ」
「俺は、確かに引き止まらないかも知れないけど」
にやりと周が笑みを深くする。指月は詰めていた息をふうっと一息に吐き出した。
「言ってることが矛盾してるじゃないか」
「してないですよ。俺は引き止まらないって言っただけです。でも、引き止まる人もいるかもしれない。ただ、そのためには誰かが引き止めてくれないと」
それでも、引き止めてくれなくても、穂積の隣に留まりたいと周は願ったのだが。この場所を、誰かに明渡すなど考えられるはずがない。
「今更、だろう」
「そうですか?でも、まだ外村さんはいる」
「周、あいつと話したのか?」
「いいえ。でも、俺、あの人のセレクト、好きなんです。お店にもすごく似合ってて、指月さんの毎月のセレクトに負けない。そんな人なかなか見つかりませんよ?」
確かに、周の言う通りだった。外村がやめたら、一体誰にファッション部門のセレクトを頼めば良いのか、指月には見当もついていなかった。
思い返せば、外村は最初の二年は確かにいなかったが、そのあと十年近くは一緒にやってきたことになる。時には反発しあったりもしたが、結局いつでも二人で納得の行くものを作ってきた。
「あいつはでも、自分の店を持つのが夢だったんだ」
「今度の所も、自分のって訳でもないだろ。それに、その気ならもっと早くに独立だって出来たはずだ。それをしなかったのはなぜか、わからないか?」
穂積までそんなことを言い出して、指月はいても立ってもいられなくなってきた。ここで引き止めなかったら、後悔する気がしてきた。
後悔など、したことがない。
「パートナーが欲しい、なんて弱音を撒き散らすぐらいなら、身近な人間に甘えてみろ」
容赦のない穂積の声が聞こえる。それにはさすがに周も同情の眼差しを遣した。
「変わらず、おまえは嫌な奴だよ」
指月がそう言うと、穂積はグラスを飲み干しながら肩を諌める。
「おまえにいい奴だって言われる方が、俺には屈辱だ」
確かにそうだ。指月はそう思いながら、それでもこの男と、どうしてずっと友人なんてものをやっているのか、わかった気がした。
「じゃ、身近な人間に甘えて……ごちそうさん」
せめてもの腹いせにと、指月はそう言って店を出た。
歩いてすぐの、自分の店に向かうために。そこからまだ、薄く明かりが漏れているそのことに、ひどく安心している自分を、ようやくのことで自覚しながら。
いつか、自分もまた、穂積が周を見つけたように、誰かを見つけるだろうか。あんな風に、強くて真っ直ぐで、愛しいと包み込むように見つめることの出来る生き物を、手に入れられるだろうか。
自分は、周が欲しかったわけではない。ただ、穂積をそんな風に変えた周に期待しただけだ。
何を求めているのかと、周が聞いたことがある。
今なら、答えられるだろうか。
それは、周ではないと、言えるだろうか。
指月は、ふいっと空を見上げて、小さく笑った。
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