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コレガ僕ラノ進ム道

15
 ぱたり、と音がしてドアが閉まって、二人きりになると、映は藤吾を抱きしめた。ともかくも、抱き締めたかったのだ。
「ごめんな、藤吾。俺が油断したばっかりに……」
 藤吾はようやく安心したのか、肩の力を抜いて深く息を吐いた。それから、小さな声で呟いた。
「俺が勝手に誤解したんだ」
「そうじゃないよ。わざと誤解するようなことを、あの馬鹿がしたんだ」
 全く、あいつは人の気持ちってもんがわかっていない、と映は言う。瀬戸口は、みんな自分と同じように思い、感じるものだと、勘違いしている。
 藤吾はどっと疲れが出て、ふらりとベッドに寝転がった。
「こら藤吾。誘ってんのか?」
 映が綺麗な顔でいやらしく笑う。藤吾は「ち、違うよ!」と慌てて否定して起き上がろうとしたが、映がその腕を取って寝転がったために、結局ふたりで天井を見上げることになった。
「昨日から楽しみにしてたからすぐにでも欲しいけど。その前に話だ」
 映が横を向いて、藤吾の髪にキスをする。藤吾はその優しく甘い口付けに、ほっとした。それを、失わなかった、そのことに。
「あのな、藤吾」
 映はしばらく藤吾の柔らかい髪を楽しんでから、天井を睨むように見た。
「なんか情けないっていうか、まあちょっとプライドみたいなものもあってちゃんと話さなかったけど、俺、本当に誰かに抱かれるのは駄目なんだ。怖いんだよ」
 怖いんだ、と映はもう一度呟いた。藤吾は顔を少し横にして、その映の横顔を見つめた。
「俺は昔からこんな形で、からかわれたり苛められたりしてたんだ。それでまあ、悪戯みたいなものもされたしね。でもほら、俺は負けず嫌いだからさ。身体を鍛えたり武道を習ってみたりしたんだ。そんなことをしているうちに、どうやら俺は男を組み伏したいんだって自覚した。武道とか、だから異様に好きでね」
 屈折してるよなあ、と映が明るい声を出した。藤吾は、その映にするりと身を寄せた。
「で、中学の時にはもう、俺は自分がホモだって自覚した。そう言うの、結構同じ人間にはわかるだろ?男が好きだって。その頃はそういう勘が働くことも知らなかったから、腹括っちゃうと余計に無防備だし。それで、俺に言い寄ってきた先輩がいたんだ。でも、相手にして見れば俺に抱かれるなんて考えてもいないだろ?……付き合ったんだよ。でも、いざってときにお互いタチだってことになって、ちょっと無理やりね、やられたんだ」
 二人の手が触れ合って、指を絡めた。冷たくなっている映の手を、藤吾は温めようと何度もゆっくりと擦る。
「それから、駄目なんだ。もう、抱かれるのは怖い。冷や汗もんなんだ。それから、ガタイのいい奴を組み敷くのが好きになっちまった」
 それを情けないというのは、映が厳しすぎると藤吾は思う。
 自分たちは、本当は似たもの同士なのだ。映は恐怖を攻撃的に克服しようとし、自分は逃げることで解決しようとしている。方法は正反対だけれど、同じ傷を持っている。そんな自分たちが出会ったのは、本当に運が良かったのだ。
「俺は……抱くのは本当に本当に駄目で。特に映みたいなタイプは絶対だめなんだ。やっぱり、怖くて。傷つけそうで、怖い。集中なんかできない」
「俺とやってるときはぶっ飛んでるときが多いのにな?」
 映が嬉しそうに笑う。藤吾は顔を赤らめて、ものすごく小さな声で、「だって気持ちいい」と呟いた。それを映が聞き逃すはずがなく、笑ったまま口付けてきた。その笑顔はひどく優しくて―――どこか泣きそうだった。
 藤吾はそれをうっとりと受けながら、映の背に腕を伸ばした。
「い、いつも俺ばっかりで。だから、映は満足してないと思ったんだ。だ、だから……」
「あいつに抱かれてると思ったのか」
 伏せられた瞼にキスをする。藤吾の頭を抱えるようにして、その髪をくしゃりと混ぜる。
「俺だって、ずっと心配だったんだ。最初の頃なんて、藤吾がリバだったら我慢して抱かれようかと思ったくらい」
「む、無理!」
「うん。正直、ほっとしてる」
 恋愛は心でするものだとしても、その心が欲することの一つがセックスに繋がっている。欲しいと―――思うのだ。それは、何も残さないのに。
 映は藤吾の腕の中に抱かれながら、何度もキスを繰り返した。欲しいのは、この温かい、優しい腕なのだと思う。
 身体が藤吾を欲しいと思うのと同じくらいに。
 心も藤吾を欲しいと思う。
 どちらが先というのではなく、多分それは同じことなのだ。
「藤吾の身体が大きいのは」
 口付けを耳元に落としながら、ふいに映が囁いた。
「きっと、こうして誰かを抱き締めるためなんだな。すげーあったかい」
 柔らかい、幸福そうな映の声に、藤吾はそっと目を閉じた。
 涙が、零れそうだった。


 窓を開けると、鳥の声がする。さわりと流れてくる風は少し乾いてきていた。
 藤吾は朝起きたらまず、ダイニングの窓を開けるのが最近の日課になっていた。後ろでは、映がコーヒーを淹れてパンを焼いている。
 今日は目玉焼きを作って、トマトを切ろう、と藤吾は大きく息を吸った。
 藤吾がここに引っ越してきて、一ヶ月が経っていた。随分と久しぶりに他人と暮らした藤吾は、最初こそは少し緊張していたが、今では自分のペースを取り戻した。映も、特に不満はないようだった。
 唯一、お互いの会社の人間が頻繁に遊びに来るのには、二人ともちょっと困っている。最初の頃は映を宥めていた藤吾も、最近ではその映の暴言に、何も言わなくなってしまった。もしかしたら、見えないところで頷いてさえいるのかもしれない。
 まあ、お互いの会社の社長が来るために、なかなか豪華な食生活はさせてもらっているのだが。
「今度の休みは、どっか行こうな」
 トマトを切る藤吾に、映がまるで決意表明のように言った。
「どっかって?」
「どこでもいいよ。泊まりで旅行しよう」
 泊まり、と藤吾が大きく目を開いて、ほんのり赤くなった。同棲までしているのに、どうして恥ずかしくなるのだか、と映はおかしくなってしまう。
「もういいかげん、休みは二人で過ごしたい」
 二人、の部分を強調する映に、藤吾はそうだね、と同意した。毎週毎週、この一ヶ月は、休みになると誰かが来ていた。
「どこか行きたいところある?」
「急には思いつかないけど……」
「のんびりドライブして、温泉とかでもいいかもな。まだ季節は早いけど」
 出来た目玉焼きとトマトを、皿に盛る。藤吾が簡単に後片付けをしているうちに、映がそれを食卓に持っていった。
「温泉……いいな」
「ん?じゃあ、それで探す」
 映はにっこり笑いながら、内緒だぞ、とまるで小学生のような口調で付け足した。
 藤吾はわかっている、と真剣な顔をして頷く。梶原のことだ。またホテルだの旅館だのお節介をやいてくれることだろう。でもそうなったら最後、当日も二人きりになれるか、怪しくなってしまう。それは、瀬戸口にしても同じ事だった。
「周りが偏見ないって言うのは幸せだけど、こうもお節介好きだと考えもんだよな」
 トーストにバターを塗りながら、映がため息を吐いた。全くだ、と藤吾もパンを齧りながら頷く。
 梶原など、ベッドの中のことまでお節介をやこうとする。それは映が怒るから、藤吾は言っていない。でも、そう言う映も、瀬戸口にあれこれグッズを貰って―――と言うより無理やり押し付けられて―――いる。
 大きなお世話だ、と二人とも思っている。
 二人は、とてもぴったりと、重なり合うのだから。



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