サイレント・ノイズ 第三話
――柔ラカイ光――
03
カイに会ったのは、それから数日後のことだった。組織の人間以外は滅多に来ることのない、メイの応接室で、ゆったりと腰掛けていたのだ。いや、組織の人間だって、この部屋に来ることは珍しい。
緋色の短い髪に、緑色の瞳。よく見るとそれはコンタクト型簡易コンピュータで、本当の瞳の色はわからない。背丈はジェイク並に高いのに、華奢な印象を受けるのは、その白い肌と細くて長い手足のせいだろう。
カイは、組織の人間なら緊張して仕方がないだろうところで、ジェイクとメイ相手に和やかに談笑している。ウォンはその中、話に混ざることも出来ずにお茶だけを出した。メイのお気に入りの、混ざりもののない花茶だ。芳醇な匂いが、部屋の中にふわりと香る。
「で、それを言われにわざわざ呼ばれたの、俺」
前回の仕事の話をしていたらしいカイが、そう言ってソファーに背を預けた。ジェイクやメイ相手に、こんな口の聞き方ができる人間も、組織の中にはあまりいない。
「何、その早く帰りたいって素振りは」
メイがそう言って、艶やかに笑った。少し睨むような目に、カイが肩をすくめる。そんな一連のやり取りを見ながら、知らずにつきそうになったため息を飲み込んだウォンに、ジェイクが目で出ていけという。もとより逆らえるウォンではない。
それでも、自分のいることの出来ない空間に、当然のようにいるカイを睨むことを止められなかった。その姿を、目に焼き付ける。
ジェイクが相棒にしたいという、そのカイを。
「ウォン」
部屋で、所在なさそうに携帯端末を眺めていると、戸口にメイが立っていた。姉だと言われても、すぐには懐くことが出来ないウォンは、今でもメイに他人行儀だ。
メイはそれを少なくとも淋しいと思っているようだが、ウォンにも時間が要るということをわかっていた。
「部屋にいらっしゃいな」
にっこりとそう笑うメイは、年齢不詳だ。艶やかな青い衣装を翻して歩くその容姿は熟女を思わせるが、肌は十代後半の張りとつやを保っている。それが闇ルートで手に入れた様々な美容品の成果なのだと聞いたことはあるが、真相は定かではない。
ウォンは携帯端末を閉じると、そっとその姉の後を追った。まだ、並んで歩くことは出来ない。ウォンの中では、姉と言うより、組織のボスと言うイメージが強かった。
「仕事はどう?」
部屋に行くと、手ずからお茶を淹れるメイが、にっこりと笑いながらそう聞いた。ウォンは答えようがなくて、視線を泳がせる。ジェイクからは、何も聞いていないのだろうか。
仕事と呼ばれるほどのことは、まだ何もしていない。
「まぁ、ジェイク相手じゃね……」
メイがお茶をウォンの前に置きながら、そう困ったようにため息をついた。
ジェイクに付きたいといったのは、ウォン本人だった。ただ信じられるものが、他になかったのだ。雛鳥がはじめてみた物を親鳥と思うように、ウォンがついていけるのは、ジェイクだけだった。でもだからこそ、ジェイクは時間が経つのを待っている。ウォンが色々なことを知り、世界を広げれば、自分にこだわることもなくなるだろうと。
それが間違いであることを、ジェイクは気付いていない。
「それでも情報屋をやめるつもりも、ジェイク以外の人につく気もないのね?」
メイのその問いかけに、ウォンははっきりと頷く。それだけは、わかるのだ。
「探し出してくれたこと、本当に感謝しています。でも、だからこの仕事を手伝うとか、そういうことではないんです」
ウォンのその言葉に、メイはわかっていると言う風に頷く。自分の好きなようにしなさい、と言ったのは、ウォンが情報屋をすると言ったときだった。その言葉が、どれだけウォンを自由にしたかわからない。いつか、そのお礼はいつか、きちんと返したいと、ウォンは思っていた。
目の前のメイは、あまり他人には見せない穏やかでやさしい顔をしている。それが、いつか見た、美しい聖母のように、ウォンには思えた。
何もすることのないウォンは、カイのことを調べ始めた。あれだけ組織に密着しているように見えるのに、得られる情報は以外に少ない。さすが、フリーの情報屋と言うべきか。
ウォンは組織のメインコンピュータへのアクセスを切って、小さな携帯端末の画面に収まるほどのその情報を眺めた。
年は、ジルが言っていたとおり、自分より二つ上の十八。両親についての記述はない。その代わり、祖父が情報屋だったと書いてある。あの赤い髪がどこから来たのかも、書いていなかった。ただ、瞳の本当の色は、グレーのようだ。鮮烈な印象の赤い髪に、冷たい印象のグレーの瞳は、ひどくカイに似合っている気がした。
情報屋を始めたのが、まだ幼い頃らしい。祖父が亡くなった五年前をきっかけに、完全にフリーの情報屋として働き始めている。
五年前ならば、十三歳か……
自分が十三のときは、などとウォンは考えない。あの街で、十年以上も同じような生活をしていたのだ。十二も十三も十四も、なにも変わらない。そんなふうに、明確な時間観念のない過去を、ウォンは思い出したくもなかった。
それからずっと、カイのフリーになってから手がけた仕事が並べられている。梅花で把握できるだけのものだから、実際にはその何倍もの仕事をしているはずだ。ただ奇妙なことに、フリーの情報屋になる前の記述が、皆無と言って良いほどない。梅花にしては、持っている情報量が、少なすぎる気がした。カイの祖父のデータは、データそのものがなかった。顔写真さえもない、名前のみのデータだ。僅かに書かれた仕事は、どれも疑問符がついていた。梅花でも、確認できないほど、きれいに仕事をしていたのだろうか。
情報屋という家業なら、自分が掴んだ情報が他に漏れることは避けなくてはならない。そのために最も有効な手段が「情報を持っていることを知られない」ことだ。だから梅花も、極力顔を出しての交渉ごとはしない。
カイも、梅花が確認できない仕事をたくさんしている。疑問符の方が、確定のものより多いのだ。
ウォンは携帯端末を仕舞うと、部屋を出た。
太刀打ちできない相手とは、思いたくなかった。ジェイクと笑い合っているカイの顔が、浮かんでは消えた。