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サイレント・ノイズ 第三話
――柔ラカイ光――

04

 レベル24区域に行けば、カイを見つけられるかもしれない。
 ジルがそう言っていたことを思い出して、ウォンはそのあたりをうろつくことにした。情けないことに、カイのねぐらもわからないのだ。
 ジルから聞いたのは、ジェイクもよく行くと言う情報屋行き付けのバーやレストランだった。でも、そんなところにウォンは一度も連れて行ってもらったことはない。ジェイクはどうせ、こう言うだろう。
 ――お子様の行くところじゃない。
 辺りはすっかり暗くなっていた。でも、昼間の明かりの変わりに、色とりどりのネオンが街を彩っていた。それは、ウォンがいた夜の街を思い出させる。ほとんど外には出たことがなかったが、店の窓から見える街は、こんなふうに色とりどりだった。
 ウォンは少しだけ、背筋が震えるのが分かった。外の世界を知った小鳥は、もう籠の中では過ごせない。そこが狭く、自由がないことを知っている。
 ウォンは手近なバーに入ると、カウンターに腰掛けてウイスキーを注文した。まだ夜は浅く、十代前半にも見えるウォンの注文に、バーテンが少しだけ眉を寄せた。でも、ウォンはそんなことには気付かない。店にいた頃、客が良く注文する飲み物の名を覚えていただけのことだ。酔狂な客に、口移しを要求されたこともある。だから味も、知っていた。
 こんなところで出されるウイスキーも、自分が飲んだことがあるウイスキーも、天然ではないことは知っている。でも、その琥珀色に少しばかり心が惹かれた。
 まるで良く知っているかのように、ウォンは出された琥珀色の飲み物を、ちびりちびりと飲んでいた。店で出していたのよりは、まだ味はいい。
 店はそれほど混んでいなかった。まだ目的地にたどり着いていないと言うのに、ウォンはこんな店に入った自分を笑った。あのネオンに、堪えられなかったのだ。一息に、過去へと連れ戻される気がして。
 しばらく飲んでいると、ウォンは自分を見る嫌な視線に気付いた。いくつか、無遠慮な視線が自分に向かっている。それは、店にいたときに見られたのと、同じような視線だった。
 気のせいだと思ってみても、ねっとりと絡みつくような感覚を拭えない。ウォンは早々に引き上げて、もう部屋に帰ろうと思った。温かいベッドで、何もかも忘れて、眠ってしまいたかった。
「一人?」
 そう思って立ち上がろうとしたときに、するりと男が隣の席に座った。服の下で、ざわりと鳥肌が立つのが分かる。
 ウォンは無視をして立ち上がったが、その腕をぐっと握られる。びくりと、身体が怖がるのが自分で分かる。
 ――やっぱり、身体は忘れはしない。
「離してください」
 やっと、それだけ言うと、男がにやりと笑った。別に、一緒に飲むぐらいいいじゃないか。男は確かにそう言ったが、ウォンには、男が何をしたいのか良く分かっていた。今更、上品ぶらなくても良いだろう。身体は男を欲しがっているよ。……そんな風に、目が言っていた。
 こんな男が、客にいただろうか。
 ウォンはそう思ってみるが、客の顔をいちいち覚えているはずがない。そんな風に思うのは、自分がもの欲しそうな顔をしていることを、信じたくないからだ。
 店から連れ出されて、二ヶ月が過ぎていた。毎晩のように男を咥え込んでいた身体は、その快楽を忘れはしない。
 ジェイクの腕が、ふいに浮かんだ。神経質そうに画面を見つめる目。大きな手のひら。鍛えられた、すらりとした、均整の取れた身体。
 抱かれたい、と思った。
 その腕に抱かれたい、と。  気が付いたときには、男と外を歩いていた。ネオンが眩しい。
 男の腕が肩を抱いていた。ウォンはそれに気付くと、ふいに吐き気が襲うのを感じた。初めて、男のものを舐めさせられたときのような、嫌悪感があった。
 そんな遠い昔のことを、よく覚えている。
 立ち止まると、男が不審な顔をする。早くしろとでも言うように、その肩をぐっと引っ張った。
「離せっ」
 ウォンは思わず、そう叫んでいた。弾みで男の手は外れたのに、嫌悪感はまだ消えない。当たり前だ。嫌悪感は、自分自身に感じているのだから。
「おいおい、今更それはないだろ。誘ってきたのはそっちだろう?」
 男の言い分は、間違っていないだろう。もの欲しそうな顔をしていたのは、自分だ。ウォンはそう思ってみても、吐き気はおさまらない。目の前の、痩せた、黒髪の男。それは、ジェイクではない。
「ほら、早く行こうぜ」
 男がそう言って、首筋を撫で上げる。その感触に、ウォンは溜まらず座り込んだ。胃液が、逆流してくるのが分かる。お腹に何もいれずに飲んだ、ウイスキーの安っぽいアルコール臭が鼻をついた。
 男が、面倒くさそうにウォンの手を引き上げる。ネオンに浮かぶ蒼白な顔を見て、舌打ちをするが、今夜のこの上等な獲物を逃がす気はないようだった。
「ガキが早くからあんなもん飲むからだよ。ほら、歩けよ」
 男の声が、遠い。色とりどりのネオンが、眩しい。
「何をやってるんだ、こんなところで」
 不意に、ウォンの背後で声がした。男が立ち止まって、その声の主を睨み上げるが、それに構わず、近寄ってきてウォンの肩を掴んだ。
 この感触は、知っている。
「何だよ」
 男は意気がって見せるが、切れ長の碧眼にびくりとすると、そろりとその場を離れた。ウォンはそうやって逃げる男を、ぼんやりと見ていた。
「酒飲んだのか?」
 呆れたようなため息混じりのその声に振り向くと、ジェイクがいた。
 そうだ、あの手の感触はジェイクの手だ。
「少し」
 答えながら、置かれた手の感触に困っている自分を見つけて、ウォンは身体の向きを完全に変えることで、その手を避けた。
「ったく、変な男に引っかかるな」
 ジェイクはまた、ため息をつく。それが、ウォンを息苦しくさせる。
 チカチカと光るネオンの光に、蒼白な顔が浮かんでは消えて、ジェイクはだから、と呟いた。
 だから、連れてきたくなかったんだ。
「え?」
 ウォンが顔を上げると、なんでもない、とジェイクは言う。
 ウォンの様子が少しおかしいことに、ジェイクは気付いていた。
 夜の街。色とりどりのネオン。アルコール。――男たちの、におい。
 そう言うもの全てに、ウォンが堪えられるとは思わなかった。ウォンはきっと、あの部屋で自分がどんな顔をしていたのか、知らないだろう。
 空ろで、色のない目。
 まるで感情のない、表情。
 思い出すだけで、ジェイクは顔をしかめる。哀れと言うにも、あまりに悲しすぎた。
 だから、自分に食ってかかってくるようになったときには、内心ほっとしていた。少しずつ現れる感情が、嬉しかった。
 それが、さっきの顔だ。
 まるでまた、あの部屋の中にいるかのような、ぼんやりとした瞳。
 二度と、見たくないと思ったのだ。
 そんな顔は、二度と、見たくないと。
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