サイレント・ノイズ 第三話
――柔ラカイ光――
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ジェイクがまだ、カイと同じ年のころだった。組織に入って一年が過ぎていたが、その頃の梅花は今ほど大きくはなく、大きな仕事もときどきしか入ってこなかった。そんな中で、トップクラスの情報屋であるキースと組めたことに、ジェイクは舞い上がっていた。
必至だった、と今でも思う。重荷ではなく、足手まといでもなく、パートナーとして、キースにも周りにも認められたくて。それで、先走ったのだ。
「当時、何を調べていたのかは、俺も良く知らないんだ。まぁ、今のお前と同じようだったんだ。断片的な情報を持っているだけで、それが何なのかはわからない。それについては、メイも教えてくれない」
そのことについては、メイは話題に出すことも禁じている。そのメイの顔が、あまりに厳しく、そして哀しくて、ジェイクは今でも忘れられない。
『二度と言わないでちょうだい、ジェイク』
そう言って、ふいに優しい顔になって、忘れてね、と呟いた。このことは、忘れてしまってね、と。それは、祈りにも似た言葉だった。
「そのわからない状況の中で、動いた俺が馬鹿だったんだ。そうやって、キースの命を奪ったんだ」
あのとき、キースは取引をしたはずだ。ジェイクの命と、持っている情報とを交換すること。でも、それがひどく危険なことだと、キースはわかっていたはずだ。だからあのとき、逃げろと言ったのだ。隙を見て、逃げろと。
二人が生きて帰れる保証は、どこにもなかった。ジェイクはどこか分からない地下で監禁されていて、そこで殺されることは、容易に想像が出来た。
どこからかガスのようなものが漏れてきたのは、ジェイクはキースの仕業だと思っている。梅花の人間は、特殊なガスマスクを歯に仕込んでいる。それを知っているキースが、ジェイクを逃がすためにガスを撒いたのだ。
でも、そのキースは戻っては来なかった。
数日後に、キースの片目だけが、小包で送られてきた。瞳の個人識別コードは、確かにキースだった。
青く、空のような色の、瞳。それが、場違いなほど澄んでいた。
生きているかもしれない、とときどき思う。でも、そんな残酷なことを信じたくはないし、生きていれば、キースなら帰ってくると思うのだ。
それが、五年前のこと。
「まだ、探しているの」
ウォンは一度起き上がろうとしたが、ジェイクに止められて、横になったまま問いかけた。ジェイクはその問いに、軽く頭を横に振る。探していないことになってるんだ、と。
「俺が生きていること自体、おかしいんだ。どいうかたちでキースが交渉したのかわからないけど、逃げた俺に何の追跡がないのもおかしい。まぁ、相手がわからないからなんとも言えないけどね。メイが上手くやった、と言うこともありえる。だから、俺はもう、そのことに触れてはいけないんだ」
それでも、諦めきれていないことを、ウォンはジェイクの遠くを見る目から感じ取った。
――だから、パートナーを作らないのだ。
たった一人で、迷路のような事件に立ち向かおうとしているのだ。いや、もう、踏み込んでいる。
「ジェイク、あなたは優しすぎるね」
ウォンがそう、笑う。ジェイクは思っても見なかったことを言われたとでも言うように、ウォンを見つめた。
「雑用で良いよ。そうやって、僕を利用してはくれない?」
巻き込みたくないのなら。一人で立ち向かうと言うのなら。
「ウォン……」
「ねぇ、それで、いざってときは、助けてくれるんでしょう?――キースみたいに」
じっと見つめる目は、揺らがない。深く深く、吸い込まれそうに、黒い瞳。その瞳もまた、澄んでいて。
大切なら、守ればいい。自分の手で、なんとしてでも。
「ジュリアーノの話をしようか」
しばらく黙っていたジェイクはそう言って、自分の携帯端末を開いた。
「手伝って、くれるんだろう?」
ウォンが驚いて立ち上がろうとして、痛みに顔を歪める。ジェイクがそれに苦笑して、寝るように促す。
そうやって触る手が、あまりに温かくて、ウォンは顔を伏せた。
「ジュリアーノが銀行員ってことは知ってるな?」
ウォンのその戸惑いには気づかないのか、ジェイクはジュリアーノのホログラムと略歴をウォンに見せる。見たことのある画面に、ウォンは頷いた。
「その銀行からの依頼なんだが、誰か横領をしてるんじゃないかってね。それで、色々調べているうちに出てきたのが、この男だ」
確かに、銀行員にしては、羽振りが良すぎただろう。それも、二流銀行の平社員だ。
「お金のなる木……」
「それが、横領のことだろうな」
「そこまで分かっていて、どうして……」
ジュリアーノの自由にさせているのだ。
「奴の横領方法がわからないんだ。つまり、証拠がない。会社の奴のコンピュータも、個人端末も、使っていないんだ。どこからかメインコンピュータにアクセスして、上手く金の動きを操作しているのは分かっているんだけどな」
ウォンは昨晩のことを必至で思い出してみる。お金のなる木。見つめると、大きくなるんだよ……。
「コンタクト」
「え?」
「あいつ、コンタクトをしていた。もしかしてあれ……」
カイのように、色がついていない分、分かりずらかったが、瞳に違和感を感じたのは、そのせいだったのだ。簡易コンピュータを起動させているときには、瞳が一種異様な光を放つときがある。
「簡易コンピュータか……」
コンタクト型簡易コンピュータは、あまり市場に出回っているものではない。開発されたばかりで、高価なのもあるし、操作もわかりずらい。
「よし、調べてみよう」
「ジェイク」
立ち上がろうとしたジェイクの腕を、ウォンが掴んだ。
「僕が、もう一度ジュリアーノと会うよ」
「ウォン、それは」
「だって、やられっぱなしも嫌だし。それに、危なくなったら、助けてくれるでしょう?」
ウォンがそう言って、にっこりと笑った。その笑顔に、ウォンは確かにメイの弟だと、ジェイクは今更ながら実感した。