サイレント・ノイズ 第三話
――柔ラカイ光――
09
ジュリアーノの抱き方は、手荒だった。最初の印象どおり、虐げ、傷つけることに快感を感じる男だったのだ。痛がればそれを、喜ぶような。
まだ薬が残っているようにだるい身体を動かすことが出来ずに、ウォンは目だけを開けた。それでさえ、ひどく労力のいる作業だった。
昨晩のことは、あまり覚えていない。傷つけるために、ジュリアーノは慣らしもせず、潤滑油を使うこともせずに、いきなり自分をウォンに突き立てたのだ。客の中でもそう言う行為を好むものもいたが、商売道具を傷つける分、追加料金が必要だったし、普通は自分でクリームなりオイルなりを使って、傷つかないようにしておかなければならなかった。
鈍い痛みが、全身を覆っていた。頭を動かすことさえ億劫で見ることは出来ないが、全身痣だらけになっているに違いなかった。男は容赦なく、あらゆるところを締め付けたり、握ったりしていたのだ。
何をしているのだろう。
ウォンはじっと、目の前にある窓を眺めていた。高級ホテルの最上階からは、電気で光る天井しか見えない。白く、全てを明るく照らし出している。
ずっとそのままだと思っていたあの部屋から、ようやく抜け出したと言うのに。
何も変わらない。
そうしているのが自分だと言うことに、ウォンは吐き出したくなるほど嫌悪を感じた。
こんな風にしか、生きていけないのだろうか。
白く、神々しいほどの昼間の光は、自分には似合わないのだ。
ようやく、と言う感じでウォンは起き上がる。ジュリアーノがいないうちにここを出ていかなければ、また何をされるか分からなかった。微かなシャワーの音が聞こえて、ウォンはそっと部屋を出る。
ひどい格好だ。切られた服は、どうにもならない。それに、そんなことを気にする余裕がないほど、身体が言うことを効かなかった。
豪奢な廊下に出ると、ウォンはその壁に寄りかかって、ずるりと座り込んだ。歩かなければいけないと思っても、身体は動かない。
「ウォン……」
呟きに顔を上げると、息を切らしたジェイクがいた。その顔を、ぼうっと眺める。どうして、ジェイクがいるのだろう?
「何をやってるんだ」
怒気を含んだ声で、ジェイクが言う。ウォンはそれに答えることも億劫で、視線を逸らしただけだった。揺れた髪が頬に当たって、髪まで切られたことに、今更のように気付く。
「帰るぞ」
何も言わないウォンに苛立つようにジェイクがそう言って、その腕を掴む。そのまま引き揚げられて、引き攣れるような痛みに、ウォンは思わず悲鳴をあげた。
「離して、ジェイク」
痛みに顔を歪めながら、ウォンがやっとそう言うが、ジェイクはその手を離そうとしない。
「ジェイク」
視線に、堪えられない。ひどく冷たい、その視線に。
「離して……放っておいてよっ」
見ないで欲しかった。さんざん男を咥え、その跡を流してさえいない。
触れないで、欲しかった。
温かく、大きなその手で。
「帰るぞ」
ジェイクはそう言うと、泣いていることに気付いてもいないウォンを、そっと抱き起こした。
「ジェイク、ため息が鬱陶しい」
何度目かの大きなため息が部屋に響いた後、クリストフが睨むようにそう言った。ジェイクに触れられるのをウォンが嫌がるために、今はジルと医者がついている。
「せっかく言ったのに、なんで人の忠告を素直に聞かないかね」
クリストフの言葉は、いちいちきつい。でもそれに反論する気力が、ジェイクにはなかった。
昨日、夜になってウォンの部屋に行ったら、誰もいなかった。ウォンも出かけることぐらいはあるだろうが、先日の一件が気になって、ジェイクは結局ウォンを探した。
24区域北地区で、ウォンは密かに有名になっていた。夜な夜な、男を漁っていると言うのだ。ジェイクはそれに、混乱した。ウォンが何を考えているのか、わからなかった。
探す必要があるのかもわからなくなって、一杯飲んでいると、つい先刻ウォンのことを聞いた男がやってきて、やばいのに連れて行かれたという。
『あいつは妙に人を痛めつけるのが好きでね。下手したらやられるよ』
男がそう言うのに、ジェイクはすぐにまた行方を探したが、男がホテルの上客だったために、ホテル側の口が堅く、すぐに情報を得られなかったのだ。
見つめていた扉が開いて、医者が出てきた。
「薬とアルコールの同時摂取で、少しばかり全体の機能が低下してますが、一日寝れば大丈夫でしょう。栄養剤だけ置いていきますから」
医者はそう言うと、帰るべく、組織の人間に連れられていった。
「ジェイク、どう言うことなの?」
メイが、その医者と入れ違いに入ってきた。ひどく深刻そうな顔に、ジェイクは視線を合わせられなかった。
頼まれていたのに。
ウォンとメイの関係を知っているのは、自分だけだから。
「なんでもないです。お騒がせして……」
ジェイクが答える前に、扉が開いて、まだ青白い顔をしたウォンがそう頭を下げた。まだ、身体は重そうだ。
「ウォン……その髪……」
「本当に、僕の無用心さが招いたことですから。ジェイクは関係ありません」
気丈にそう言うウォンに、誰も何もいえない。ジルがそっと、寝ていないと、とウォンを促した。
夜になってジェイクがウォンの部屋を訪ねると、明かりが漏れていた。ジルは家に戻っているはずだった。
「ウォン、いいか」
遠慮がちにジェイクが言うと、扉が開いた。ウォンはベッドに横になって、天井を眺めていた。光は、近づけば顔がやっと見えるくらいに、落とされている。
「ジェイク、まだジュリアーノのことは調べているの」
何もいえずにいるジェイクに、ウォンがそう呟いた。思っても見なかったことを言われて、ジェイクはとっさに反応できない。
「……なんでそれを……」
「調べているの?」
「あぁ」
ウォンの視線は、天井に向けられたままだ。
「お金のなる木があるって言ってた。じっと見つめていると、その木が大きくなるんだって」
ジュリアーノの、薄気味悪く笑った瞳が浮かぶ。
「お金のなる木……?」
「ねぇ、何を調べているの」
ウォンはそう言って、やっとジェイクに顔を向けた。じっと見つめる瞳は、ジェイクを試すように揺らがない。
「やっぱり、教えてくれないんだ。そんなに、僕と組むのはいや?」
「ウォン」
「忘れられない?前のパートナーの人」
その問いに、今度はジェイクがウォンを見た。二人の視線は絡み合っているのかもしれないが、ぼんやりとした光に、それを確認することが出来ない。
「知ってるのか……」
「カイがね、ヒントをくれたんだ」
ウォンが、微かに笑った気配がする。ジェイクはその顔を見たくて、すっとベッドに近寄った。
はっきりと、見える。
哀しそうな、笑う顔が。
ジェイクはそっと、椅子を引き寄せた。そこに座ると、覚悟を決めたように、息を吐いた。