サイレント・ノイズ 第三話
――柔ラカイ光――
07
「あぁそうだ。お前な……余計なことを吹き込むなよ」
カイを探している謎の男の話が一段落つくと、思い出したようにジェイクがカイを睨んだ。人のことに首を突っ込んでいる場合じゃないだろう?とその目が言う。カイは一瞬思い出すような顔をしたが、何のことを言っているのかすぐにわかったらしく、にやりと笑った。
「先にお節介を焼いたのは、どっちかなぁ?」
カイはそう言いって、ジェイクのグラスに、模倣モノのワインを注ぎ足した。こんな場末の酒場では、闇でも本物は飲めない。そんな高いものを飲もうと言う輩がいないのだ。
「お節介……?」
「だろ。ウォンの追跡を邪魔して」
カイがそう言って、それがウォンがカイのことを調べに政府のコンピュータに潜り込んだのを阻止したことだと、やっと思い当たる。
「お前……なんで俺の認識コードを知ってるんだよ」
「見くびらないで欲しいなぁ……それぐらい、ね」
カイはなんでもないことのように言うが、梅花の人間以外に、例え偽造だとしても、端末の認識コードは教えないことになっている。それも、ジェイクはかなり用心しているのだ。そんなに簡単に見破られるものではないと思っていた。
やはり、カイは侮れない。
「何言われたの?単刀直入に聞いてきた?」
カイは、どことなく嬉しそうにそう言った。人のトラブルを楽しんでいるのだ。
「パートナーを作らない、本当の理由を知りたい、じゃないとコンビ解消は納得できない」
注がれたワインを煽って、ジェイクがそう呟いた。ウォンらしい、素直な問いかけだ。情報屋なんて家業をしている性で、会話も何もかも、駆け引きのようになっている自分たちとは大違いだと、カイは笑う。
「何笑ってるんだよ。……こっちは笑い事じゃないんだよ」
そう言うジェイクの顔は、心底困っているようだった。ウォンは傷つけたくない。でも、だからこそ、パートナーは組めないのだ。
過去のことを、いつまでも引きずるのはらしくないと、ジェイクは思う。それでも、これだけはどうしても振り切ることが出来ないのだ。
「もう、五年かぁ」
「あぁ……」
カイがフリーの情報屋として独立してすぐだったから、カイもはっきりと覚えている。その頃からずっと、カイは梅花と関わっている。だいたい、祖父とメイが知り合いだったのだ。祖父はメイのことを本当の娘のように可愛がっていたし、メイはカイの祖父を自分の祖父のように大事にしていた。
その祖父が亡くなって、半年ほどした頃だ。ジェイクは、当時コンビを組んでいた相手を自分の不注意で死なせている。
当時、ジェイクは今のカイと同じ年で、情報屋になったばかりだった。そのジェイクの、気負いがなかったとはいえない。でも、それすらわかった上での、コンビだったのだ。
「まだ、探してるんだろう?」
殺されたジェイクの相棒の屍は、未だこの地下回廊のどこかに埋まっている。そして、実際に手を下した殺し屋は、見つかっていない。
情報屋の末路は、たいがいそんな風に無残なものだ。カイの祖父も、最後まで安住の地を持つことなく、死んでいった。
カイの問いには答えずに、ジェイクがまた、グラスを煽った。それから、今度は自分でボトルにほとんど残っていないワインを注ぎ足す。カイはその速さに、こっそりとため息をついた。
ジェイクの気持ちも、わからなくはないのだ。遺体さえも見つからないまま、新たなパートナーを作る気になれないのも、その新しいパートナーを、自分のその過去に巻き込みたくないのも。いや、それが過去にはなっていないから、問題なのだ。
「俺もまぁ、同じだけどな……」
カイはそう言って、下を向いて小さく笑った。二人とも、過去に囚われている。カイは祖父の死に。ジェイクは、相棒の死に。
「なんでそこで、慰めあおうって誘いに乗らないかなぁ」
ジェイクがそう流し目を送るが、カイは知らない振りだ。
「誤魔化すなよ。それで、ちゃんと答えてやったか?」
「どっちが誤魔化してんだか……」
ジェイクはそう言ったきり、口を閉ざした。この様子では、言っていないのだろう。
『……どうして、僕を探し出したりしたの』
何も答えないジェイクに、ウォンはそう言った。深い、深い、底のないような瞳をしながら――
ウォンが夜中に出ていくようになったのは、それからすぐのことだった。
ウォンは一つ、ヒントを手に入れている。カイからのメールで、ジェイクに昔、パートナーがいたことが分かったのだ。
『さて、ジェイクには一度もパートナーがいたことがないのでしょうか?』
という、少し人をからかうような口調だ。ウォンがすぐに調べると、五年前、ジェイクが新人でついたばかりのパートナーがいたことが分かった。どうやら彼は、なんらかの事件に巻き込まれて亡くなったらしいが、それがどんな事件だったのか、詳しいことはロックがかけられていて、分からなかった。
わからないことだらけだ、とウォンは天を見上げる。地下では、空に星を作っていない。地上では、本物の空を忠実に再現した星たちが、輝いているのだと言う。
真っ暗だ。
辺りは、街の明かりに溢れている。でも、見上げると、闇が広がっている。
落ちそうだ、とウォンは思う。どちらが上で、どちらが下か分からなくなって、落ちていきそうだと。
分からないのは、自分のことも同じだ。
あの夜から、ウォンは自分の中の疼く火種を消すことが出来ない。自分の唇に感じた熱が、身体の中に入り込んで、燻るではなく、小さく、燃えている。
ジェイクが欲しかった。
そう思う自分が、ウォンにはわからなかった。何年も、男に抱かれ続けて、そのことを思い出すのも辛いのに、その自分が何故、ジェイクに抱かれたいと思うのか。
ジェイクの近くに行くのが、次第に辛くなっていった。その手も、腕も、瞳も口も、全てに触れたくて堪らなくなる。そんな自分が、怖かった。
『なぜパートナーを作らないのか、その理由がわからないなら、コンビ解消は納得できない』
ジェイクにはそう言ったのに、ウォンはジェイクの傍にいるのが辛くなっている。でも、離れることもまた、出来ないのだ。
疼く火種を、ウォンは消すことが出来ない。
だからウォンは、それを消してくれる誰かを探して、夜の街を歩いていた。
少し歩けば、声を掛けてくるものはいくらでもいる。ウォンはただ、その後をついていけばいいのだ。
気絶するまで抱かれることを、ウォンは好んだ。
眠れないのだ。
疼きは消えず、自分のしたことに、嫌悪感を隠し切れなくて。
籠の中で育った鳥は、籠の中でしか生きていけないのだろうか。
あの頃は、夜が明けるのを待っていた。でも今は、明けない夜を、ただひたすら、待っていた。