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ゲーム


2nd.stage

10
「ヨシュア、待って。離して。離せって。痛いんだって」
 サキがそう叫んでやっと、ヨシュアははっとしたようにサキの腕を離した。そこには路上に派手に止められた車があり、ヨシュアがとりあえず乗って、というので、サキはため息をつきつつそれに従った。
 サキにしてみれば、まったくわけがわからなかった。ブライアンから突然電話がきたかと思えば、ヨシュアが自分のためにやりたくないモデルをすると聞かされ、それなら自分がモデルをする、と言うことになってすぐにスタジオに連れて行かれて覚悟を決めたところで、ヨシュアがやってきて……まったく、怒涛の展開に自分はついていけない、とサキはため息をついた。その上、隣で運転しているヨシュアは、どこか怒っている。
「ねえ……」
「着いた」
 沈黙に耐えられずに、サキが口を開いたところで、ヨシュアがそう言って車を止めた。見ればそこはヨシュアの家の駐車場で、でも、ヨシュアが誘ったのは公園だった。
「晴れてるから、部屋の中よりきっと気持ち良いよ」
 そう笑ったヨシュアは、もういつものヨシュアだった。
 公園の裏手に回ると、大きな木が四方に植えられた広い芝生に出た。その木の一つの根元にサキが腰を下ろすと、ヨシュアはそこにごろりと寝転がった。
「ねえ、なんでヨシュアがあそこにいたの?」
 サキは木の幹に寄りかかりながら、先刻から気になっていたことを聞いてみた。ブライアンの電話は突然だったし、ヨシュアは確か撮影だといっていたのだ。
「……サキは、俺だと嫌だけど、あいつなら撮られても良いんだ」
 ヨシュアはサキの質問には答えずに、ぼそりと呟いた。程よい風が、とても気持ちがいい。
「あれはっ」
「あれは?」
「ヨシュアこそ、なんでモデルなんて引き受けたんだよ。嫌だったんだろ?」
 サキの言葉に、やはりブライアンは同じような手でサキにモデルを承知させたのだろう、あの詐欺師め、とヨシュアは心中で悪態をついた。
「嫌だったよ。サキが誰かのモデルになるのは、どうしても嫌だった」
 ヨシュアはサキを見ることが出来ずに、さわさわと揺れる木々の青々とした葉を見ていた。そこから、ときおり青空が見える。
 ―――君の目は、青空をそのまま映したみたいだ。
 ふいにサキがそう言ったことを思い出して、その照れたような顔まで思い浮かんで、ヨシュアは堪らず目を閉じた。
「ヨシュア……?」
 独り言を呟くように人の胸をひどく揺さぶるようなことを言っておいて、眠ってしまったのかとサキは思って、その顔を覗き込んだ。その気配を感じたのか、ヨシュアがぱっと目を開けて、サキは驚いてがばりと少しだけ倒していた身を起こした。
「なんだ。寝たのかと思った」
 どきどき言っている心臓を宥めながらそう言うと、ヨシュアが笑った。さわりと風が吹いて、サキの髪が揺れる。日に透けると茶色いその髪は、ひどく柔らかく風を孕んだ。
「サキは、俺に撮られるのいや?」
 ヨシュアの気弱な声が、隣から聞こえてくる。サキはそれに首を振った。
「違う。そうじゃない」
 ヨシュアのあの目に、堪えられる自信がなかった。ヨシュアの写真が、巷に溢れて、遠くなってしまうのが嫌だった。それを言えたら、どれだけ良いだろう、とサキは思う。でも、サキはあの夜のことを、どうしても忘れられない。本物だとわかっていて、その銃口をこの額に向けたことを、忘れられるはずがなかった。
「俺は―――サキが撮りたい」
「ヨシュア」
「サキが、撮りたい」
 本当に言いたいことは、別にあるはずだった。でも、ヨシュアはそれしか言えず、そしてサキは、それにただ、頷いた。


「緊張してる?こんなにいい天気なのに!」
「そんなこと言って、やっぱり気になるだろ」
「気にすんなって」
「だから、それが無理なんだってば」
 ヨシュアが早速、とカメラを持ってきて、二人は公園で、写真を撮り始めた。ちらほらと散歩や日光浴をしている人たちもいたが、それはあまり気にならなかった。サキが気になっていたのは、ヨシュアのあの視線だけだ。
 思い出すと、身体の芯が疼くような。
「サキ」
「ん?」
 普通に呼びかけられて、思わず振り向いたところで一枚。驚いて抗議しようとして一枚。ストップ、とヨシュアに向かっていって一枚。挙句に、レンズを掌で覆ったときまでシャッターの音がして、サキはそこで笑ってしまった。
 それがあまりに眩しくて、ヨシュアは夢中でシャッターをきる。どうしてもカメラを手離さないヨシュアに、サキが呆れたように目線を向けてふと、その瞳が一瞬、切なげに揺れた。
「サキ?」
 ふいに笑いを止めたサキを不審に思ったヨシュアが声を掛けると、なんでもない、とふいっと顔を逸らす。それから、そのまま空を見上げたサキはひどく美しく、今度はヨシュアが手をとめてしまった。ゆっくりと、その青空に溶け込むように目を閉じたサキは、とても遠くにいるようで。
 手をとめたのは一瞬で、ヨシュアは今度は夢中になってシャッターをきった。
「ヨシュアの、目みたいだ」
 サキがふいに呟いて、カメラを見た。どきりとするほど真摯な目で、手はシャッターを無意識にきっていたが、そのサキから目が離せずにいた。心臓を鷲掴みにされるように、ぎゅうっと疼いたのがわかる。
 青空を見上げたサキは、どこもかしこも、ヨシュアの目に囲まれている感じがしていた。もう、隠し事は出来ないといわれているようだった。でも、本当の目は、レンズ越しにしかサキを見ていない。それがひどく切なくて、見えるはずがないのに、サキもレンズ越しにヨシュアの目を探した。
 サキ、と話し掛けられて、一層カメラを注視する。
「どうして、俺に撮られるのを嫌がった?」
 シャッターの音は鳴り止まず、サキはそれなのに動揺した。急にまた、あのヨシュアに見られているのだと認識して、体温が上がったのがわかった。思わず俯く。
「ヨシュアは、知らないから」
「何を?」
「カメラを覗いてるときの、自分の目を、知らないから」
「俺の目?」
 サキは俯いたままで、顔を上げない。ヨシュアは手はとめていたが、ファインダーを覗くことはやめていなかった。その四角い額縁の中で、サキの耳がどんどん赤くなるっていることに気付いたヨシュアは、思わず息を呑んだ。
「サキ?」
「そう、目だよっ。肉食獣が獲物を狙うみたいな、食い尽くされそうな目をしてるから。だから」
 サキはそこまで言うと、片手を口に当てて、とうとうくるりとヨシュアに背を向けてしまった。ヨシュアは少し呆気にとられたように、構えていたカメラを下ろした。
「サキ、なんでそれでそんな真っ赤になってるんだよ」
 ―――ヨシュアに撮られるとね、気持ちイイの。
 サキはふいにメリッサの言葉を思い出して、どうにも居たたまれなくなった。確かに知っている感覚が、身体の奥で疼いている。
「サキ」
 もう、名前を呼ばないで欲しい、とサキは思った。その声で呼ばれるだけで、落ち着くものも落ち着かなくなってしまう。静めたいのに、体温はどんどん上がっていくだけで。
 ヨシュアは、目の前で真っ赤になって俯いているサキに、ごくりと唾を飲み込んだ。呼びかけた声は掠れて、情けないにも程があると思ったが、そんなことを気にしてはいられなかった。今心が、全身が要求しているのはたった一つのことだった。
「サキ、触ってもいいか?」
「ヨシュア、何言って」
 真っ赤で、目を潤ませたサキがぱっと振り返って、ヨシュアはもう駄目だ、と思った。今すぐここから逃げるか、手を伸ばすか、どちらかしなければ、このままではいられない。
 許可を求めることがおかしいことはわかっていた。普段だったら、もちろん何も言わずに抱きしめた。でも、サキにだけは、迂闊に触れることは自分が許さなかった。自分が、今でもサキの感覚を思い出すように、サキもまた、あの暗くつらい感覚を忘れているとは思えなかった。
「サキ……逃げろよ。駄目だ。すげー触りたい。抱きしめたい」
 それなのに、言ったときにはもう、ヨシュアは我慢できずにサキを抱きしめていた。すっぽりと、とはいかないが、胸がない分丁度良かった。
「ヨ、シュア」
 突然触りたいと言われ、もうどうしたらいいのかわからなくなっていたサキは、同じように突然ヨシュアの温もりを感じて、もう心臓は壊れるのではないかと思った。でもその腕の強さもぬくもりも、とても心地よくて、サキは自分が何を求めていたのか今ならはっきりわかる、と思った。
「サキ、好きだ」
 ごめん、でも好きだ、と言ったヨシュアに、サキは何で謝るんだ、と顔をその胸に埋めながら呟いた。
「謝られたら、俺は何て答えればいいんだよ」
「サキ」
「好きになる資格がないのは、俺のほうなのに、それなのに喜んでる俺はなんて言ったら良いんだよ」
 サキはぎゅっとヨシュアのシャツを握り締めた。もう、こうなったらこの手は離せない。それが怖くて、余計にきつく握り締める自分が滑稽だった。


 さすがに真夏の強い日差しの中にいた二人は頭がぼうっとしてきていて、ヨシュアの部屋でシャワーを浴びると、窓を開け放って涼んだ。大きな窓際の床に座ると、ひんやりと気持ちが良かった。
「水、飲んでおけよ」
 そう言いながら、ヨシュアがミネラルウォーターをボトルごと渡してくれるのに礼を言って、サキはそれをごくりごくりと飲んだ。それほど喉は渇いていないと思ったのに、飲み始めると沁み込むように身体中を満たしてくれるのがわかった。
「なあ、さっきの、どう言う意味?」
 ヨシュアが、伺うように後ろから抱き付いてくる。サキはそれに苦笑しながら、そっとその腕に身を預けた。
「さっきの?」
「えーとほら、サキのほうが資格がないとかいう……」
 身を預けられたのを了解のしるしとばかりに、ヨシュアは今度はきっちりと抱きしめてきた。シャワーを浴びたての肌が、さらりと気持ちよい。
 ヨシュアの曖昧な口調に、ああ、とサキは言って俯いた。と言っても、ヨシュアの腕が邪魔をして、少ししか角度はつけられない。
「だって、俺、ヨシュアを……」
 その先を言葉にすることを躊躇ったサキに、ヨシュアはさらりとその頭を撫でて、もういいよ、と伝えた。
「前にも言ったけど、仕組んだのは俺だよ。サキにそうさせるようにしたのは、俺なんだ」
「でも」
 そう小さく呟きながら、サキはあのときどうして自分は、ヨシュアに銃口を突きつけたのだろう、と思った。今まで、考えているようで考えていなかったのだ。殺そうと思った、という事実だけが大きくて、なぜそう思ったのか、考えなかった。
 この力強く、温かい腕に抱きしめられている今は、少しだけわかる。あの夜のゲームを、終わらせたかったのだ。終わらせて、もう一度、始めたかった。きっとどこかで狂ってしまった、あの二人の関係を。
「俺、ヨシュアのこと好きだった」
「サキ、なんで過去形……」
「そう、あれは過去なんだ。俺達はまた、新しく始めるんだ」
 サキはそう言うと、ヨシュアの腕の中で身を捩って、ヨシュアと向き合うように身体を動かした。すぐ目の前に、あの大好きだった青い瞳がある。
「そうだな。ゲームオーバー。それからまた、始めればいいんだ」
 あの頃、何度も飽きずにゲームをしていた自分たち。でも、その過程も終わりも、決して同じものではなかった。繰り返すうちに、みんなは腕を上げ、上達していった。
 そんな風に、もう一度、始めてみても良いのではないか、とサキもヨシュアも思っていた。


2nd stage 了

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