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あふれ出る言葉など何の役にも立たない
11
右、と呼ばれて、止めたくない足を無理やり止めた。振り返らなくても、「う」をきちんと発音する独特の口調に、それは新だとわかる。
「どうしたんだ?みんなが祝賀会やるとか言ってなかった?」
右が微笑みながらそう言うと、おまえこそいかないのか、と言われた。
負けたというのに、一年は三年相手に良くやった、と自分達の同級生を祭り上げていた。これで、芳明の総代は決定だろう。
「俺、昨日結構遅くてさ。少し疲れてるから、ちょっと休んで後で顔出す」
そう言う右は、笑顔こそ絶やさないが確かに疲れたような顔をしていて、新は心配そうに右を見た。そこへ、「あ、いた」というような声が聞こえて、ばたばたと人が走りこんできた。
「すみませーん。報道部の長柄です。一年総代の同室者インタビューさせていただきたいんですけど」
そう言った生徒の横で、ぱしゃり、と写真を撮った音がする。それに右が、困ったような顔をした。
「すみません……俺、そういうの得意じゃないんで……」
休日なのに、部活動だからか制服を着た生徒二人は、上級生だ。それなのに丁寧な言葉遣いで話し掛けられて、右は戸惑っていた。でもそれは最初だけのことのようで、すぐに砕けた口調で話し掛けてくる。
「ちょっとでいいよ。同室者が総代になった感想を一言」
そう言われても、右は何も言えなかった。応援している、と言うのは簡単だったが、圭一との約束をしなかった自分と、本音では少し嫌がっている自分が、素直には言葉を吐かせない。
「嬉しいとか、嫌とか、なんでもいいよ?」
嬉しいとは、全くの嘘だ。嫌と言うのも。そもそも、余計なことを言って芳明を困らせたり怒らせたりしたくなかった。
黙っていると、長柄が困ったような顔をしたのがわかった。何か上手い言葉がないか、と右が思っていると、それまで傍観していた新がふらりと寄ってきた。
「嫌なら、嫌といえばいい」
新の言っていることが、右には一瞬わからなかった。インタビューのことかと思ったが、そうではないようだった。
「滝口……べつに、嫌なわけじゃない」
「そうか?さっきから浮かない顔してるのは、その所為だろ?」
長柄を放っておいて始めた口論に、右は気付いていない。長柄は写真を撮るのを止めさせて、そっと二人の様子を伺った。
「そうじゃない。ただ疲れて」
「右、少し素直になれ。ホウメイが総代になるのが嫌なら、それはそれでいいんだよ」
新の断定的な言い方に、右はそんなんじゃない、と小さく答えただけだった。それから、ぐっと唇を噛み締めると、走って行ってしまった。
「えーと、滝口くん、だったっけ」
長柄に話し掛けられて、新は右を追っていた視線を横に移した。
「はい、よく知ってますね」
「有名だよ。親衛隊長さん」
にっこり、と笑われて、ああそうか、と新は納得した。報道部に、知られていないはずがないのだ。
「それで、さっきのはどういうこと?」
新がわざと長柄たちに話を聞かせたのはわかっていた。
「うーん、そのままというか」
「報道しちゃっていいってことだよね?」
「できれば、俺のことはオフレコで」
他の親衛隊員とは微妙に右への感情が違う新は、そう言った。右と芳明の関係を認めたがらない隊員は実は多い。それはあとで認めさせればいい話だが、そもそも二人は付き合っているわけでもなんでもない。でも、新としては二人がくっつけばいいと思っていた。ようは世話好き、なのだ。
「わかった。まあ、本人はああ言ってたから、かなり曖昧な表現にはなると思うけど」
新にとってはその方がいい。だから、何も言わずに頷いた。
「できたら、あとでからくり、教えてね」
やはり、何か企んでいるのはばれているか、と新は肩を竦め、小さく礼をした。
「おまえ、何かした?」
昼の食堂で珍しく一人だった芳明のところに来た基一と圭一が、にやりと笑った。今日は、右は食欲がないからと寮に帰ってしまっていた。
「知らないよ。こっちが聞きたいね」
昨日のバスケ対決とそれに続く総代任命で、芳明は朝から煩い外野に少しイライラしていた。右の元気のない様子も知っていたのだが、声を掛ける暇もなかったのだ。
「まあ、うちの所為かも知れないけどさ」
そう言って、ばさりとテーブルに置かれたのは今日付けの九重新聞だった。自分のことが書かれているのはわかっていた芳明は、敢えてそれを見ていない。でも、指された場所をちらりと見ると、右のことが書いてあった。
「へえ……あいつ、こんなこと一言も言ってなかったのに」
記事には、どうやら右は芳明の総代をあまり歓迎していない、というようなことが書いてあった。
「まあ、どっちかって言うと中立というか、おまえ次第って感じだったよな」
基一がそう言って、うーん、と考え込んだ。箸を咥えたままで、圭一に行儀の悪さを窘められる。
「今回は、そっちは絡んでないのか」
芳明の言葉に、今度は圭一が苦笑を返した。やはり、すっかり裏のからくりはお見通しのようだ。
「俺は聞いてない……って言うより、目論見から行けば反対というか」
「逆の記事が載るはずだった、ってことか?」
「ああ。でも実は断られてる」
そのときの右のことを思い出して、圭一は苦い顔をした。右が無理に笑っていたことは、圭一だって気付いていたのだ。
「ということは、この記事はあながちガセでもないってことか」
基一がラーメンの汁をごくりと飲みながら呟いた。ちらりと芳明を見ると、何か考えているようだった。
「でもなあ。右がこんなことをそんなに簡単に言わないって俺は思うんだけど」
「圭一、右に何を言われた?」
「何って?」
「その取り引きのときにさ」
「取り引きって、何だかなあ……」
「そうだろ?はっきり言えばさ」
確かに、そうかもしれない。でも、苦い思いをした圭一はあのときのことを考えると、ため息をついてしまうのだ。あれから、右とも少しギクシャクしている気がした。
「悪い。おまえも巻き込まれた口だったな。それは、本当に悪かったと思ってるんだ」
「いや、別に巻き込まれたとかさ、そんなことは思ってないんだ。ただ……」
圭一が言葉に詰まって、基一も顔を上げた。
「右には、悪いことをしたかも、な」
あのときまで、右の気持ちに圭一は気付いていなかった。よく考えれば、わかったことかもしれなかった。右が芳明といるときだけ、とても自然で、どことなく甘えたがることを圭一だって知っていたのだ。
大きくため息をついた圭一に、基一がぽんぽんっと肩を叩いて笑った。たぶん、基一もわかっているのだろう。
芳明は、その二人を見るともなしに見ながら、何か考え事をしていた。
昨日は部屋に戻るのが遅くなって、朝はいつも部の練習がある芳明と右は同じ時刻には起きないために、二人は話をしていない。それでも、朝から右がときどき自分を見つめているのは芳明もわかっていた。それに気付いて顔を上げると、絶妙のタイミングで逸らされてしまうのだが。
それでも笑顔を絶やさない右に、芳明は少し不安を覚えていた。最近は自然な表情もするようになった気がしていたのに、また逆戻りした感じだった。笑うことで、全てを押し込んでしまう。
自分にだけは、さらけ出して欲しい。そう思うのは、やはり穿っているだろうか。
芳明は窓の外を見ながら、脳裏に浮かぶ右の笑顔を思い出していた。
「随分遅かったな」
控え目な音をさせて開いたドアの向こうで、右が目を見開いたのに構わず、芳明はそう言って壁から身を起こした。右の目が、泳いでいるのがわかる。
時計の針はもう十二時を回っていた。寮の門限は十時、消灯時間も一応十二時と決まっている。芳明とて同室者のプライベートにまで口を出すつもりはなかったが、今回のことは自分が絡んでいる気がして、どうしても聞かずにいられなかった。
「珍しいね、ホウメイがこんな時間まで起きてるなんて。それとも、起こしちゃった?」
「いや。待ってた」
「え?」
右は靴を脱ごうと俯いていた顔を上げた。
「少し、話がしたい。コーヒーでいいか?」
右は、頷かなかった。話など、右にはない。話したくないから、友人達の部屋や娯楽部屋に行っていたのだ。
「ホウメイ、ごめん。疲れてるから眠りたい」
右は芳明と目を合わせないまま、そう言ってその脇を通り過ぎようとした。でも、すっと腕を掴まれて、思わず立ち止まった。ふいっと顔を上げると、真っ直ぐな目にぶつかる。逸らす必要がないのに逸らしてしまうのは、自分の弱さだろうか、と右は思う。
「結局、おまえまで巻き込んだ。悪かった」
「な……に?」
「基一はまあ、巻き込もうと思って巻き込んだんだ。でも、圭一も、右も、巻き込むつもりはなかった。ごめんな」
芳明の目は真っ直ぐのままで、右は自分の瞳が濡れてくるのがわかった。
そうじゃない。
そんなことは、どうでもいい。むしろ、巻き込んでくれたほうが良かったのだ。突き放されたくない、離れていたくない、そう思ったら、苦しくて堪らなかった。
「わかってない」
「え?」
「ホウメイは、何もわかってないっ」
ばっと腕を振り上げてその戒めを解いた右は、そのまま自分のスペースに駆け込んだ。
泣くことは出来ない。すぐ隣に、芳明がいる。ぎゅっと目を閉じて、震える唇で呼吸を繰り返した。
離れたくない。
でも、伸ばされない手を無理やり掴む傲慢さを、右は自分に許すことは出来なかった。
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