サイレント・ノイズ 第三話
――柔ラカイ光――
08
「ジェーイク……お前、何やってんだ?」
同僚のクリストフに突然そう言われて、ジェイクは怪訝な顔をして振り向いた。金色の髪に白い肌、灰色の瞳を持ったその男は、人形のように綺麗な顔を顰めていた。
「何だよ突然」
ジェイクは見ていた画面から視線を外し、頭を振った。集中しすぎて、休憩を取るのを忘れていたらしい。
「なんだよじゃないよ。パートナーのことくらい、ちゃんと見てろよ」
クリストフはそう言って、ジェイクにコーヒーを渡す。ジェイクはそれを受け取りながら、さらに眉根を寄せた。
「ウォンがどうかしたのか?」
「お前ね……」
クリストフはそうため息をついた。それから、情報屋の名が廃るね、と厭味な口調で付け足す。
「なんだよ」
お前に言われたくないね、と言う風に、ジェイクは呟いた。彼自身、パートナーであるジルを邪険に扱っているはずだ。言い寄られて困る、というまた違った理由では在るが。
「俺はジルのことは把握してるよ。今回も、そのジルから聞いたことだしな」
把握しているのは、自分の身の危険を守るためも在るのだが、それはジェイクには言わない。言ったら、またどうからかわれるか分からないからだ。
「で、何の話だ」
ジェイクは一向に見えない話に、少しイライラしたような顔をする。ウォンのことでは、ずっと頭を悩ませているのだ。
「夜になればわかるさ。ちゃんと見てろよ。あんな可愛いのがあれじゃぁ、そのうちなんかに巻き込まれるぞ」
だから、ウォンがどうしたと言うのだ。ジェイクはそう思ったが、ため息をついてコーヒーを口にしただけだった。情報屋仲間は、どうも回りくどい会話しかしない。
ジェイクは訳のわからない自分を腹立たしく思いながら、また大きく、ため息をついた。
にやにやと笑う顔に、どこかで見たことのある顔だとウォンは思った。アルコールのせいで回らない頭で、必至に思い出す。
行こうか、とふと笑いをとめて言った男に、ウォンはその顔を思い出す。
――ジュリアーノだ。
ジェイクが調べていた、男だった。茶色の巻き毛も、弱々しい瞳も、今はっきりと思い出した。
「どうしたの?」
「……いえ」
ついて行くべきか、一瞬躊躇した。でも、何かわかるかも知れないと、すぐに思い直す。
男が連れて行ったのは、わりと高いホテルだった。さっきまでいたバーも、高級なところに入るだろう。この男が、どうしてそんな金をもっているのか、ウォンにはわからない。銀行員は、それほど儲かるのだろうか。
「君は本当に綺麗だねぇ……」
部屋いはいると、男の目が、舐めるようにウォンを見る。いつもなら、こんな男の誘いには乗らない。馬鹿なことをしているな、と自分でも思う。ジェイクがこの男の何を調べているのかさえ、知らないと言うのに。
「ねぇ、楽しもうね……」
ジュリアーノはそう言うと、嫌な笑い方をした。ウォンは反射的に、やばいと思うが、そのときはもう、遅かった。
くらりと、頭が揺れた。ウォンは思わず、すぐ傍のものを掴んだが、それは男の腕だった。見上げると、いやに楽しそうな男の目が、ウォンを見つめて笑っている。
「何……?」
この感覚は、知っている。以前、客の一人が使った薬が、こんな風に身体の自由を奪うものだった。堪らないのは、意識と感覚ははっきりとしていることだ。ただ、身体が思うように動かない。何をやられても、逃げられないのだ。ウォンは恐怖に、身を震わせた。その様子に、ジュリアーノは満足そうに笑う。
手も足も、次第に重くなってくる。まるで人形のように、ぐらりとベッドに倒れた。
「何を……」
口も、重い。でも、抱かれるとそこから、悲鳴に似た音が出るのをウォンは知っている。
「いい気持ちにしてあげるだけだよ」
ジュリアーノはそう言いながら、不気味な笑顔のまま鞄からハサミをとりだすと、ウォンの服を切り出した。ときおり当たる、ハサミの金属質の冷たさが、ウォンの背筋を震わせる。そんな風に怯えれば怯えるほど、男が嬉しがるのは分かっていたが、震える口を止めることは出来なかった。
「なんて綺麗な肌だろうね……食べたいくらいだ」
するりと、男の手が腰から胸へと撫でる。男の言葉は甘いものではなく、気味悪いものだった。本当に、噛み付かれそうな気がしてくる。思わず重い身体を引くと、男の手がウォンの手首を思い切り握ってベッドに縛り付けた。
「駄目だなぁ、焦っちゃ。朝までたっぷり時間はあるよ」
「泊まる……?」
「そう」
にっこりと、ジュリアーノが笑う。あまりに楽しそうなその笑顔に、ウォンは顔が引きつるのがわかった。
「高い、だろ?」
「部屋?心配要らないよ。金はあるんだから」
「何の……仕事?」
「……好奇心旺盛な子だね。それとも、俺に興味がある?」
男が思っているのとは違う興味だが、ウォンはなんとか笑った。その薄い笑いに、男は目を細める。本人は意図的にやったわけではないが、そう言う顔は、ひどく征服欲を誘う。
「お金のなる木をね、持ってるんだ」
「お金の……なる……?」
「そう。じっと見つめているとね、その木が大きくなるんだ」
「みつ……め、て……?」
「さぁ、おしゃべりは終わりだ。じっくり楽しもう、ねぇ?」
ジュリアーノがそう笑う。間近のその目に、ウォンは息を呑んだ。ひどく妖しい光が、その目に映っていた。