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どこかわからない遠い場所でサボテンを抱きしめる夢を見た 第二話

12
 ばっと突然和高が離れて、樹は眉根を寄せた。寄せては見たが、和高の反応のわけはわかっていた。
「撮られたな」
「チャイム、鳴ってましたね……迂闊」
 不機嫌な和高が珍しくてその顔を面白そうに樹は見ていたが、和高はそれを崩さなかった。
「どうせうちの連中だ。取り返すよ」
「でも、先輩寮長なのに……」
「だって嫌なんだろ?」
 ええそれはまあ、と和高は歯切れ悪く答えた。それに樹は、目を眇める。
「負けるのが嫌なのか?それとも恥ずかしい?または、別の理由?」
「まあ、先輩と同級生に文句言われるのはいいとして、恥ずかしいってわけでもないんですけど……」
 ふーん、と樹が誠意ない声で呟いたのを、和高は聞き逃さない。本当ですよ、と悪戯な光を宿らせた目で笑った。
「俺の写真はどうでもいいんです。でもあれ、先輩も映ってるでしょ?」
 それはそうだろう、と樹は眇めた目をやめない。
「それが嫌なんです」
「それってなんだよ」
「だから、先輩が映っているのが。今回の事だって、絶対、先輩の写真を撮るのが目的だったと思うんですよね。でも、先輩は絶対織姫にはならないし、対決に参加もしない。裏校則で禁止されている隠し撮りをする、絶好の機会なんですよ、この対決」
「おまえも、ろくでもない友達もったな……」
 そのお祭り好きさえなければ、あの友人たちはとても頼りになると、樹も和高も思うのだが。
「本当に。というわけで、東郷と共同戦線張ったんです」
 和高がにっこりと、でも少しばかりご機嫌伺いをするような顔をした。
「共同戦線?うちの織姫と?」
「はい。なので、怒らないで下さいね。まあ……嫉妬はいいですけど。でも、振りなんで、間違わないで下さいね。それと、さっきの写真は取り返してください。お願いします」
 わけのわからないことを言う和高に、樹は首を傾げた。和高は、それに悪戯を隠しているような目をしている。たぶんそれが、本来の和高なのだろう。乗り越えた、と言った高居の言葉を、樹は思い出した。
「何をするつもりなんだ?」
「見に来ます?」
 え?と樹が言ったときには、手を引かれていた。そのまま、和高は出口に向かう。
「おいちょっと……ここから出たらそれこそ戦場だぞ」
「わかってますけど。東郷と約束もあるんで」
「だったらなんでここに来たんだよ」
「先輩がいるかなあ、と思って」
 いたことに驚いたくせに、と思いながら、樹は大人しく手を引かれていた。
 でも、二人が植物館を出た途端、誰かの声が上がる。和高を探していた東寮生だろう。和高はその途端、樹の手を離して走り出した。
「グラウンドに」
 一瞬振り返って、そう叫ぶ。樹はしばらく呆然と立っていたが、すぐに走り出した。グラウンドに出るには、腰の高さほどの垣根を避けなければならないが、和高はそこを飛び越えていったようだった。樹は無理をしないで、迂回する。無茶をすると思いながら、なぜか笑ってしまう。
 グラウンドに着いたときには、大勢のギャラリーがいた。その真ん中に、今年の東西の織姫がいる。
「考えたな、二人とも」
 樹の横に、高居が来た。陸上部の練習を邪魔されて少しばかり不機嫌だ。
「早く終わりにしろよ、おまえたち」
 そう叫ぶと、二人が「はーい」と場違いな明るい声を出した。
「何するんだ?」
「聞いてない?」
「訳のわかんねーことばっかり並べ立てられた」
 樹が不機嫌に言うと、高居が苦笑した。さすがに、言うのは抵抗があったのかもしれない。
「まあ、仕方ないな。諦めな」
 何を、と樹が言う前に、「あ」と声が上がった。二人の方を見ると、まさにキスシーンが繰り広げられていた。
 ぎょっとして、樹はそれを唖然として見ていた。その位置からだと、二人が本当にしているのかどうかはわからなかった。だが。
「東郷っ」
 OK、とカメラマンが声を出したところで、和高が焦ったような声を上げた。がっしりと頭を掴まれていたその手が緩んで、ばっと思い切り顔を離す。
「あれ、まじだった、今の?」
「振りだって言ってたけどな……くっついてたよな」
 ギャラリーがざわざわと騒いでいる。樹は一瞬目を眇めてから、二人のもとに歩いていった。
 和高の言った意味が、今ならわかる。織姫同士でキスをして、東西の引き分けを狙ったのだ。それでも振りだから怒るなと言った。でも。
「おま、何……」
「えー。だってせっかくだし」
「なんだよせっかくって」
「あ、やば。うわー。怖い。俺走りこみ行ってきますっ」
 東郷が和高の後ろを見て、逃げ出した。それに誰が来たのか和高はわかって、恐る恐る振り返る。
「樹先輩……」
「東郷っ」
 ものすごく低い声に、周り中がびくりと震えたが、東郷は足を緩めなかった。
「先輩、先輩」
 和高が追いかけそうな樹を、慌てて引き止める。
「おまえもっ。大人しくやられてんなっ」
「いや、本当に最初は振りだって打ち合わせて……」
 樹はその和高を冷たい目で見て、その襟首を掴むと、ずるずると引きずるように連れて行った。
「少し自覚しろよ」
「何をですか」
 本気で言う和高に、樹はため息を吐くしかない。和高は少しもわかっていない。樹の写真が目的だ、と言っていたが、少なくとも西の織姫の唇を狙っていた輩だっているのだ、ということを。本人が鈍いから、どうしたって相手は積極的にならざる得ないのだ。そのくせ、あの優しさを惜しげなくばら撒く。厄介なのは、和高自身はそれを当然だと思っていることだ。
 衆人環視の中、和高が連れてこられたのは樹の部屋だった。寮に入った頃にはさすがに襟首から手は離されていて、二人でエレベータに乗る。
「なに笑ってるんだよ」
 樹は不機嫌さを隠さないというのに、和高は零れる笑みを隠せないでいた。
「いや、ちょっと嬉しくて」
 こうも素直に嫉妬されると。という部分は声に出されず、樹にはわからない。
「東郷とキスできたのが?」
「そんなわけないでしょう」
 和高が呆れた声を出す。でも、樹の不機嫌な顔は直らなかった。
「口直し、していいですか?」
 不機嫌さの中に、不安さを滲ませるその目は、和高を煽る。でも、顔が近づく前に、六階についてしまった。
「美味しいシチュエーションだったのに」
 そういう和高を、樹は睨む。それから、ふいっと歩き始めた。
「いやに積極的だな。東郷のキスに煽られたか?」
「それは先輩でしょ?」
 図星だが、樹はかっとして、部屋の鍵を開けると、自分だけ入ってばたんっとドアを閉めた。鼻先で閉まったドアに、和高が唖然としたのが瞬間見えた。
 いつもだ。
 いつも、求めるのはやはり自分だけなのだ。
 遊びだと分っていても、許せるほど自分はまだ自信がない。それを突きつけられて、樹は不安でたまらなかったのに。
「樹先輩、開けてください」
 とんとん、とドアが叩かれる。樹はそのドアに背を預けて、坐り込んだ。
 やっぱり、温度差がありすぎる。
 樹は無我夢中で、でも和高は、そんな恋は中学生のあのときに終わらせてしまったのだ。
「樹先輩、開けて」
 馬鹿みたいだ、と思う。こんなことに振り回される自分が。どうせ手離せないのだから、とことんまで溺れればいいのに。それが、自分だけだとしても。
 何度も何度も繰り返される自分の名前に、樹はようやくドアを開けた。和高がそれにひどくほっとした顔をしたのは、俯いていて見ていなかった。
「お願いですから、こういうの止めてくださいね。怖いから」
 和高はそう言って、樹をぎゅっと抱きしめた。それから、そのまま靴をぽいっと脱いで、ベッドまで樹を連れて行く。樹は靴を履いたままで、抱え上げられるような形になっていた。
 ああどうしてこれだけで、満足できないのだろう、と樹はその肩口に頭を押し付けた。この腕だけで。
 どさりとベッドに降ろされて、掠めるようなキスをされた。それから和高は樹の靴を脱がせて、ベッド脇に置く。変なところで几帳面だな、と樹は小さく笑った。それに、和高も柔らかい笑みを返す。
「まだ解決できていない不安があるみたいですね。なんですか?」
 啄ばむように口付けられて、樹は瞳を揺らした。自分でさえうんざりするこの状態に、どうして和高は忍耐強く付き合ってくれるのだろう。
「俺の過去の話聞いて、嫌になりました?」
「そんなことあるわけないだろっ」
「だったら何が?」
 優しく口付けるその唇が、ふっと震える。途惑うようなその唇と、揺れた瞳に、樹は和高の不安も知った。
 何も言わない自分に、きっと不安があるのだと。そして、言わなければわからないから―――和高は、聞くのだ。
「―――ありがとう」
 ふいに思って、腕を伸ばした。和高は、首を傾げている。それに、ただ樹は微笑んで。
 少しだけ、泣いた。
 涙は零れ落ちはしなかったけれど、近づいたら、きっと潤む瞳は見えただろう。
「ありがとう?」
「そう、忍耐強く俺を待ってくれて。俺自身がわからないのに、それを、ゆっくり待ってくれて」
「それは……」
 最初に先輩がしてくれたことだから、と和高が言った。
 スランプに落ちたとき、ただ見守ってくれたあのときが、あったから、と。
「俺は、何もかもが不安で。未来も過去も、自分の気持ちも、和高の気持ちも」
「先輩自身の気持ちも?」
「求めるのは、俺だけだなあとか。それが、どれだけエスカレートしていくんだろう、とか。きっと俺の気持ちだけが、どんどん進んで、深くなって、いくんだろうな、って。そう思ったら、不安も一緒になって加速していった」
「求めるのが先輩だけって……本気で思ってます?」
「思ってるよ」
 始めからそうだった、と樹は思う。あの、菫に雫を垂らす、その指を見たときから。
「聞きたいんですが」
 ぎしり、とベッドが鳴った。
「俺がここに、毎日のように来ることは、樹先輩を求めてることにはならないんでしょうか?」
 和高が両手を樹の顔の横についた。口調は少しふざけている感じなのに、目は真剣だった。
「俺もヤリたい盛りなので、ここに来ると期待しちゃうんです。でも、それじゃあ困るでしょう?」
「なんで?」
「先輩……きついのは先輩なんだから。どう頑張っても、身体に負担が掛かるのは先輩でしょう?」
 だから、翌日体育があるときは絶対にしない。平日は、できるだけしない。それを和高は心がけているのだ。
「それとも、先輩が抱きます?」
「おまえは陸上……」
「ね?」
 同じことだ、と和高は言う。
「好きだから、大切だから、無闇に抱けないことだってあるんです。それは先輩も同じでしょう?」
 年下なのに大人なこの男は。きっと、中学時代に子供の恋を卒業してしまったのだ。でも、そんな和高だからこそ、きっと樹は好きになったのだろう、と思う。
「まあとりあえず」
 和高がそう言って、唇を落としてきた。深く深く合わさって、呼吸がままならないほどで、樹はふっと唇が離れたときには、ぼうっとしていた。
「俺がどれだけ夢中になってしまうのか。教えてあげます」
 協力してくださいね?と和高が笑った。その笑顔に、樹は本能のまま、逃げかかった。
 もちろん、和高がそれを、許すはずがなかった。

 結局七夕対決は引き分けとなり。
 東寮では深山寮長が自ら準備委員会を引き受けたので、有志だけでも相当数が集まった。それに、西寮でも、和高は結局免れず、友人一同を引き込んだため、二年生とその後輩たちがほとんど無理やり参加させられた。ただ、珍しい東西合同作業は楽しそうで、暇があるといっては新たな有志がちらほらと集まったりするのだった。
「うーん。楽勝だねこれは」
「最初っから合同でやりゃーいいんだよ」
「あのねえ、カズ。それじゃあつまらないでしょ?」
「それで的にされてみろ。冗談じゃない」
「なんで?役得じゃん。東郷だってもてない顔じゃないし」
 能天気な哲平に、和高と、その後ろから樹の冷たい視線が注がれた。
「うわあ。先輩が怖い……」
「そう言いながら和高の後ろに隠れる君はいい根性してるね」
 樹がそう片眉を上げる。和高はそれに苦笑した。
「寮長!西より俺らの方手伝ってくださいよー」
「ああ、終わった?」
 くるりと振り返りながら、樹は惜しみないあの柔らかい笑顔を披露する。それに、和高がふいっと腕を掴んで、囁いた。
「たまには俺が妬いてみようかなあ、と思うんですけど」
「和高?」
「そうしたら、先輩の心配は一つ減る。ああでも……」
 それを教えるとなると、この間の非じゃないかもしれませんねえ、とのんびり言った和高に、樹は瞬間耳まで赤くした。
 あれは、違う世界を覗いたかと思ったのだ。優しさと意地悪さは、背中合わせだとひしひしと感じさせられた夜だった。
「なんで急にそう言うこと言うわけ」
「妬いてるからに決まってるじゃないですか」
「決まってるって……」
「ほら。東寮生が怒ってる」
 言われて和高から視線を外して振り返ると、確かに剣呑な目をした寮生たちが二人を見ていた。
「自分たちのものだと言わんばかりですよね、あれ。ね?先輩も、自覚してくださいね?」
 言われて、樹はため息をつくしかなかった。
 確かに、不安がっていた自分が悪いのだけれど。
 こうして言葉にしてくれたら、安心だけれど。
 あの夜だけは……少し遠慮したいと、樹は思ったのだった。

了 

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