home モドル  01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 18

la vision

17
シャワーを浴びた髪は、濡れたままだった。
ふざけるように、周を離さない穂積と、二人でシャワーを浴びた。
もつれるように、絡み合ったまま、服を脱がし合って、水を互いにかけあったりして。
「ちょっ…おい、やめろよ」
「体は洗ってあげるからね」
「いいよ」
「お約束だろう?」
「…何が」
「聞くほうがやらしいよなぁ」
「…」
白く明るい浴室に、似合うような声を探して。わざと、明るい声を出して―――
そうふざけながら、流れる水に隠すように、周は少し泣いた。優しく絡みつく腕も手も、求め続ける唇も、全てが切なくて。
泣いたことを誤魔化せない、少しだけ塩辛い味が、舌に残った。
触れ合ったままベッドに倒れて、周は穂積を見上げた。
その顔に、両手を伸ばす。
ゆっくりと、確かめるように指を滑らせる。
額、形の良い眉、唇…
瞳を指で開いて、至近距離で覗き込む。
その瞳に映る、自分。
それは、水に映る姿と同じ。
どこにも、繋がらない。ただの、虚像。
「―――…名前を」
名前を、呼んで。
誰を浮かべても良い。でも、この空気を震わせるのは、自分の名前であってほしい。
周は、薄っぺらに映った自分も、その音も、全てを信じるつもりだった。
その奥に、何があろうと。
「周」
囁かれる。
それだけで、周は震えた。それを誤魔化すように、満足そうに笑う。口付ける。
「呼んで」
何度も、何度も。それだけで、良いから。
穂積の首に手を巻きつけて、起き上がる。濡れた髪に、首筋に、口付ける。
「周、しゅ…う」
愛しそうな、声。それが自分の名だと、周は何度も確認した。反芻して、確かめた。
するりと手が滑っているのが、自分の背中だと。
挿しこまれる指が、穂積のもので、その熱が、本当だと、何度も。
自分の中で、大きくなっていく穂積を、―――何度も。
ずっと、確認し続けた。
自分では、決して得られない、他人から引きずり出される快楽。
「うっ…あ、…っん」
ばらばらになりそうな、感覚。
「んっ…やめない…で…」
異物感。
―――…それを。

薄っすらと、射し込む光に、穂積の背中が見えた。
吐き出される紫煙が、朝日に揺らめいている。
遠い、背中。
初めて抱き合ったとき見た、あのときと同じ、孤独を纏った背中。
その穂積を包むベールは、より厚く、より透明になった気がした。
さっきまで触れていたのは、本当だったのだろうか?
夢でも、幻でもなかったのだろうか?
触れられていなければ、確信できない。
抱いていたのは穂積で、抱かれたのは、自分だったのか…
もう、確かめる術はない。
どうせなら、最後はひどくしてくれれば良かったのだ。
感情なく、慰み物のように抱いてくれれば。
そうしたら、抱かれたと、認識できたのに。
「―――…俺を一人に、するんだな」
穂積が、呟いた。周は、視界がぼやけるのが分かる。虚空に消えるはずの呟き。誰かに、受けとめられるはずがない、切ない声。
それを、聞いてしまった。
「始めから、穂積さんは一人だったでしょう」
同じ響きで、周は呟いた。穂積の背が、微かに揺れた。紫煙を吐きながら、ゆっくりと振りかえる。
「起きていたのか」
「ずっと、一人だったでしょう?」
周は、流れる紫煙を、ぼんやりと見つめる。それが一際大きく吐き出されて、穂積が周を見た。
「おまえを抱いているときは、おまえが確かにいたよ」
―――おまえを、思っていたよ。
さらりと前髪をかき上げられて、周は眉根を寄せる。唇が小さく震えて、一筋の涙がこぼれ落ちた。
「なんで、そんな残酷なことを言うんだよ」
「……」
「なんで、そんなことっ…」
周は、枕に顔を押しつけた。それでも、しゃくりあげる声は塞がれず、漏れ聞こえた。穂積が、その髪を撫でつづける。
何もかも失ったのは、自分のせい。
周を振り回し、傷つけ、こんな風に泣かせているのは。
望んだことではない。
決して、望んだことではないのに。
―――周は小さく震えて、泣いている。

home モドル  01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 18