home モドル  01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 19

la vision

18
幼い周は、トランプで三角形を作っている。
細く小さな指で、真剣に。
最初は、四角だった。それが、三枚になって、カードも変わる。
薄いトランプは、線のような縁で繋がり合い、やっと均衡を保っている。
その前で、周は息を詰めながら、三角形を作り続ける。
何度も、何度も、作り直す。
震えそうになる手を、落ち着かせて、慎重に、慎重に。
一番、安定した形を求め続ける。
小さな揺れにも、微かな風にも壊れてしまうその三角形を、必死で。
どれほど脆く、どれほど儚いものかを分かっていながら。
どれだけ懸命に作っても、どれだけ綺麗な形に仕上げても、いつかは、風が吹くことを、知りながら。

別れの言葉は口にせずに、穂積と別れた。
そんな言葉が必要な関係だったのか、周には分からなかった。
初めて抱かれたときは、周は確かに圧倒的な力に縋った。破壊されることの心地よさに、酔った。
それが、続くはずだった。
痛みと、屈辱感と、それさえも凌駕する快楽と。
壊されることを、望んでいたのかもしれない。
それが、どうしてこんなに切ない思いになったのだろう。
浮かんでくるのは、温かい手。艶やかな笑顔。ぴんと伸びた背。無表情な声。
そして、視線。
全身に、絡みつくような。
あのときから、囚われたのだろうか……
「おかえり」
その空間で聞くのは久しぶりの声に、周は一瞬びくりと震えた。
その震えに、自分がまだ、何も変わっていないことに気付く。振り切ったと思ったものが、まだ薄皮一枚で繋がっている。簡単に切れそうなのに、それは、なかなか切ることが出来ない。長い時間と、ひきつるような痛みを必要とするその作業を、周はため息で隅に追いやった。
「来てたんだ…」
つい、目を逸らす。そのまま、視線で咲子を探すが、見当たらない。
その視線を確実に追って、尋由が答える。
「咲子さんは買い物に行ったよ」
「そう…」
それだけ言って、周は部屋へと向かった。でも、尋由はその周を逃がそうとは思っていなかった。
「周、穂積さんとは」
ドアを半分開いて、周の手は止まった。そのドアに縋りつくように、周の手に力が入った。
近くの、壁をじっと見る。
「何?」
何も映していないかのような瞳を、壁から尋由に移す。椅子に座って、机に肘を立てて手を組んでいた尋由は、その周をじっと見つめた。それで、答えを得られると思っているように。
事実、周は小さく笑って、口を開いた。
「抱かれたよ」
そう笑う周は、尋由のどんなささいな変化も見逃さないように、尋由を観察した。
苦々しい色が、尋由の目に浮かぶ。その顔を見るために、周は穂積に抱かれたのかも知れない。ふとそう思って、周は小さく苦笑した。
何もかもが幼い。自分のその幼さに、周はうんざりした。
尋由のこの顔。そのために手を出した悪戯に、魅せられて、振り回されて…
愚かなのは、自分だ。
「何を思ってるか知らないけど、同意の上だから。穂積さん責めるの、止めなよね」
残酷な尋由。愚かな自分。振り回されたのは、穂積かもしれない。
「それに、もう終わったし」
はっきりと言いきる周に、尋由はただじっと周を見た。非難しているわけでもない。無条件に、周を受け入れようとする。
周に対する、尋由のその真っ直ぐな優しさに、周は傷ついた。今こうやって、目の前で、真摯な瞳をされることにさえ。
幼い頃から、尋由は周の憧れだった。
ずっと一緒に助け合ってきて、そしてこれからも、誰にも真似の出来ない存在として、周を支えるのだろう。
それをわかっているから、周は苦しかった。
憎みきれない。
誰も、憎みきれない。
咲子も、篠崎も、尋由も、―――穂積さえ
その苛立ちを、一体誰に向ければ良いのか分からなくて、周はそれを閉じ込めて行く。
「知ってるんだろう?穂積さんの気持ちも」
何もかも。気付かない振りをしているだけで。その姿勢を、尋由は貫き通した。
それが、穂積の好きなところで、周の憧れるところだった。
みんなが一番傷つかない方法を、考えたのだろう。
いつだって、正しい。それが、周を苦しめる。どんなときも間違わない判断が、周を追い詰める。
篠崎と咲子の再婚もそうだった。今になれば、この、二人には広い家で二人きりで過ごす息苦しさと、咲子の淋しさを一人で受ける苦痛を、周が耐えられるはずがなかった。
そうやって、後になって分かる事実は重く、周は自分の幼さをつきつけられる。
尋由が、すっと目を逸らした。
「知ってたよ。でも、どうしろって言うんだ?俺は穂積さんを尊敬してる」
「それが、苦しかったんだろ」
「それで…」
その先を言うことを躊躇して、尋由は口を噤んだ。
「それで、俺を代わりに抱いたって訳」
周が、続きを拾う。ため息しかつけなくて、周は盛大に息を吐いた。なんでもないことのように言ったのに、震えそうになった。
考えていることと、気持ちの隔たりが、上手く整理されない。今は、尋由がいるから保たれている気持ちがある。
「終わったんだよ。兄さんたちがどうするかは知らないけど、俺はもう、関係ない」
「…そんな顔して、言うセリフじゃないな」
何もかも、投げ出したような、それなのに、切なさだけを滲ませている表情。ドアに縋りついて、支えなければいけないほどなのに。
「兄さんに、言われることでもないね」
「周っ」
駈け上がる階段の音に、尋由の叫びが重なった。

組みたてた、三角形のトランプが、全て壊れた。
それを、周はじっと見ていた。
二度と、積み上げる気力などないかのように―――
元々は、一つ一つのものだった。
そして、一枚一枚が、こうして横に並べられているのが、一番自然な気がしていた。

home モドル  01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 19