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あふれ出る言葉など何の役にも立たない

13
 その後は、どこで聞いたのか1−Aのメンバーとその他一年、さらに上級生までぞろぞろと様子を見に来て、いい加減我慢がならなくなった芳明が面会謝絶を言い渡した。先輩も容赦なく追い出して、かっちりと鍵を閉める。
 部屋には、芳明とベッドに横になったままの右、そして所在なげに立っている誠吾が残った。誠吾は出て行こうか迷っていたのだが、右にきちんとお詫びをしていないのと、芳明が引きとめたために一人残ることになったのだ。
「あの、本当にごめんな。悪かった」
 普段の元気のいい誠吾からは想像が出来ないくらい弱々しい声に、右はそっちの方が痛そうじゃないか、と思った。
「いや、あんなの事故じゃん。しょうがないよ」
 そう言うと、でもさ、と今にも泣きそうな顔をする。それに右が困惑していると、芳明が三人分の飲み物を持ってきた。
「右はどうする?飲めるか?」
 匂いから、紅茶だろうと思って、頷く。またつきり、と頭が痛んだが、誠吾の手前痛いともいえず奇妙な顔をすると、芳明が苦笑した。
「起こすの手伝ってくれ」
 誠吾にそう言って、ゆっくりと、慎重に右を起こす。しばらく首は動かせないな、と右は思った。
「責任追求をすると、俺が悪いんだよ。おまえを無理やり部屋に引っ張ってきたんだから」
「でも、俺が逃げなきゃ」
 芳明に言われてサイドテーブルを引っ張りながら、誠吾がぼそりと言う。噂より、ずっと大人しい印象を右は受けた。
「そしたら、右は自分があの時間に帰ってこなかったら、って言うぞ?」
 芳明の言葉に、そうだね、と右は苦笑した。
「堂々巡りだよ。だから、今回は俺とおまえと悪かったってことにしよう」
 芳明がそう言って、誠吾の肩を叩く。誰も悪くない、と言ったところで誠吾は納得しないだろう、と思って言った芳明の言葉に、誠吾は渋々頷いた。
「さて。じゃあ、大元も大元、元凶を聞かせてもらおうか」
 床に坐った芳明が、誠吾にも坐るように促すと、誠吾は大人しくそれに従った。やはり、印象がかなり違うな、と右はそれを見ながら思う。
「元凶って……」
「おまえが上相手に遊ばなきゃ、ここに引っ張り込まなくても良かったんだよ」
「おまえ……共同責任って今言っただろ」
 呆れたように誠吾が言う。芳明はそれに片眉を上げただけだ。
「責任取りたいんだろ?ほら、吐け」
 芳明は口ではそんなことを言っているが、目が優しい。これで同じ年だろうか、と誠吾は思った。総代なんてもて囃されて、それを鼻にかけることもせず、自分の尻拭いをする芳明に、誠吾は少し申し訳ないとは思っていた。でも、話したい話ではない。迷惑をかけるかもしれないが、自分は止めるつもりはなかった。
 こくりと紅茶を飲むと、甘さにほっとした。普段紅茶など飲まないのに、美味しいものだと思った。
「おまえのはさ、痛々しいんだよ」
 ふいに芳明がそう言った。右は大人しく紅茶を飲んでいるだけで、二人の会話に入るつもりはないらしい。
 誠吾が眉根を寄せると、芳明の苦笑が返って来た。
「無理してるって言うか、必死って言うか。本当に面白くてやってるわけでもなければ、だからって不満があって、ぶつけるところがないから、とかでもないし。ただ必死なのはわかるから、見てると辛いんだよ」
 芳明は淡々と、穏やかな声でそう言った。責めるでもなく、諭すでもない、静かな口調だった。
「由良がやってるのはただの悪戯でさ、本当に誰かを傷つけるもんじゃない。本当に傷つけるつもりなんて全然ないんだろ。傷つかれたら困るんだ。さっきの、右みたいに」
 自分の名が出てきて、右はそっと芳明の横顔を見つめた。柔らかい表情は、いつも自分に向けられていたものだと急に思い出す。
「木田って……年ごまかしてねえ?」
「なんだそれ」
 呆れた芳明の声に、誠吾は不覚にも泣きそうになっている自分を励ました。誰も、きっと誰もわかってくれないだろう、と思っていたのに。そして、それで良かったのに。
 話してもいいだろうか、と飴色の紅茶の揺れる表面を見つめた。芳明なら、笑わずにいてくれるかもしれない。
「俺さ、二つ下に妹がいるんだ。って言っても血は繋がってないんだけど。親父が医者で、その子の主治医だったんだ。それでその母親と知り合って、向こうは旦那とは離婚してて一人で。それで、結局親父と出来ちまった。揉めたけどなんとか離婚して、親父は再婚。俺は跡取候補で強制的に親父に引っ付くことになったんだけど。まあ、それはどっちでも良かったって言えば良かったんだ。俺がいないほうが母親だって再婚のチャンスがあるしさ。でも、ちょっと荒れたのは本当。その俺を助けてくれたって言うか癒してくれたって言うか、それが妹でさ」
 誠吾は少し照れたように俯いて紅茶を飲んだ。
「生まれたときから身体が弱いとかでさ。学校、行ったことがねえんだよ。だから、俺の馬鹿な話もすげえ面白そうに聞いてくれてさ。目なんかキラキラさせて、すごいって。学校の話が一番好きで、でも俺は馬鹿やる以外に話すことなんてないからさ。話の種をせっせと自分で作ってはやってるんだよ」
 馬鹿だよなあ、と誠吾が呟いたところで、芳明がふっと笑った。
「おまえ……馬鹿って言うか不器用って言うか真っ直ぐって言うか」
「だからっ。馬鹿だって言っただろ?わかってんだよ」
 誠吾が不貞腐れたように言うのに、芳明は首を振って笑っている。
「誉めてんだよ、馬鹿」
 笑いながら、芳明はそう言う。そういう素直さと真っ直ぐさを、芳明はもうなくしてしまっている。だから、それはとても羨ましいものなのだ。
「由良って……可愛いんだな」
 思わず右までそう言うと、誠吾は今度は真っ赤になった。それから、ぶっきらぼうに「杉本に言われたくない」と呟く。
「だから、別に無理とかでもないんだよ。俺も結構楽しんでるし」
「でもおまえ、大学には行きたいんだろ?」
 内申にどこまで響くかはわからないが、今のまま続けていけば多少は素行に問題あり、となるだろう。芳明の言葉に、誠吾は微かに動揺した。
 父親の跡をついで医者になるつもりなど毛頭なかったが、義妹のことで医療に興味は持ち始めていた。医者ではなくても、あんな風な子供達のための、院内学校の先生もいいかもしれない、と思い始めていたのだ。それには、大学に行かなくてはならない。このまま内部進学でも外部進学でも、内申はやはり良いに越したことはない。
「仕方ないよ。俺には他に取り柄がないんだ。それに、なんか引っ込みつかなくなったとこもあるし」
 呟くように言った誠吾に、芳明はふうっと息を吐いた。それから、にやりと人の悪い笑みを浮かべた。
「じゃあさ、由良に退屈しない、話の種に困らない毎日をやるよ。ついでに、今までのことを反省するなら、無料奉仕だな」
 その言葉に、誠吾が「は?」という顔をする。右も芳明が何を言い出すのだろう、とその顔を見つめた。
「あのな、総代には補佐をつけることが認められてるんだよ。まあ付けても付けなくてもどっちでもいいんだけど。俺はこの面倒なのからなるべく逃げたいからさ。由良、補佐やれよ」
 あまりの言葉に、誠吾は今度は本当に惚けた顔をした。
「冗談……総代補佐の話は聞いてるよ。滅多にいないんだろ。でもなりたいやつは一杯いる。そんなん、俺に出来るわけないじゃん」
「やってみないとわからないだろ?俺は、結構おまえは使えると思うけどな」
「思うって……でも、周りの奴が納得しないぞ」
 特に上級生の反発は必至だろう。
「いいんだよ。俺がいいって言ってるんだから。補佐は総代の一任で決められるんだ。こればっかりは総総代の許可も必要ない」
 芳明はそう言うが、誠吾は頷くことが出来るはずがない、と右の方に助けを求めた。右は右で驚いていたが、誠吾の困惑した表情に、思わずにっこりと笑った。
「ホウメイがそういうなら、きっと平気だよ。やってみたら?少なくとも、今みたいな状況より、妹さんも喜ぶと思うけど」
 右のその言葉と笑顔に、誠吾はがっくりと肩を落とす。
「こき使ってやるからさ、楽しみにしとけよ」
 芳明はそう言って、楽しそうに笑った。


 最後まで渋っていたが、結局はほとんど脅される形で、さらには強力な右の応援に、誠吾は補佐役を引き受けることになった。だから、今度一切悪戯はするな、と芳明に言われて、そんな気力はとりあえずない、と誠吾は自分の部屋に帰りながら独りごちた。
「あー、やっと終わった」
 芳明はその誠吾を送り出してから、大きく息を吐いた。右のベッドの傍らにあったサイドテーブルを元に戻し、カップを片付けていると、くすくすと右が笑った。
「おい、大丈夫か?頭」
 それはどう言う意味だろう、と右は笑いながらも芳明を睨みつけると、ふわりと笑われた。
「な……に?」
「いや。ここんとこ右のそういう顔見てなかったな、と思って」
 そう言ってカップを持ってキッチンへ行く芳明の背中を見ながら、右はふっとため息をついた。微笑んではいても、ひどく切ない表情だった。
 ホウメイには敵わない、と右はその目を微かに揺らした。自分のことも、誠吾のことも、どうしてあんなに優しく包むことが出来るのだろう。口ではいつも悪態をつきながら、絶対に他人を見放さない。誠吾の言う通り、誠吾を補佐につけることで、上級生の風当たりが強くなるかもしれないのに、それを言うことはない。面倒を押し付けてやるんだと、そんなことを言う。
「右……?どうした?」
 怪我をしたせいか、いつになく芳明が優しい声を出す。それが切なくて、右はなんでもない、と俯いた。いつもみたいに、誤魔化して笑えない。それは、芳明には通用しないとわかっていても。
「どこか痛いのか?気持ち悪い?」
「ううん、本当に、なんでもない。ちょっと疲れたのかも」
 右はようやくそう言って顔を上げた。でも、床に坐って自分を覗き込む心配そうな芳明の目にぶつかって、泣き笑いになってしまう。
「ああ……なんか結局由良のことに付き合わせたな。でも、助かったよ。右のおかげで由良のことも解決したし」
「怪我したから?」
「ばか。違うよ。怪我なんてしない方が良いに決まってるだろ。あいつの補佐の話。おまえが後押ししなかったらあと一時間はここで揉めてただろうな」
 冗談じゃないよな、というような口調で芳明が言う。
「まあ最初はびっくりしたけど。由良は優しいから大丈夫じゃない?責任感も強そうだし。ただ、ちょっと先輩達のことは心配だけど」
「大丈夫だよ。あいつは体力も有り余ってるしな。これで俺も少しは楽になる」
 そう言いながら、でも心配そうな右の表情を見て取ったのか、芳明は安心させるように笑った。
「瓜生先輩も、菅野先輩も、俺よりよっぽど人を見る目はあるはずだし、判断も間違わない。だから平気だよ。由良が良い奴だって、きっとわかってくれる。あの二人に認めてさえ貰えれば、大丈夫」
 芳明ははっきりとそう言って、疲れた、とベッドに頭を投げ出した。確かに今日はホウメイは振り回されっぱなしだったな、と右が思っていると、すーっと寝息が聞こえてきた。
「ホウ……」
 驚いて呼びかけようとして、口を閉じる。きっと本当に疲れきっていたのだろう。体力はあるが、今回は精神的にも疲れているはずだ。
 右はそれから夕食の時間まで、眠ると少しだけ幼い顔になる芳明の顔をずっと見ていた。


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