home モドル 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 * 15

あふれ出る言葉など何の役にも立たない

14
 誠吾の総代補佐の話は、予想通りの上級生の強い反発と、そして思いもしなかった同級生の反発によって迎えられた。そこは、総代補佐と言う立場を甘く見ていた芳明の失敗といえる。それでも、芳明を良く知るクラスメートは無言で受け入れたし、何より右が「由良って良い奴だよ」と発言したことが一年の反発を弱めていった。もちろんそれを、基一が報道部にネタとして持って行っている。
「上は実績を見せていくのが一番だな。とにかく俺が呼ばれたときはおまえも来てくれ」
 上級生とのいざこざのときは逆効果ではないか、と誰もが思ったが、芳明は誠吾を連れて行くことは止めなかった。誠吾も誠吾で、もともと喧嘩をしたかったわけでも悪戯をしたかったわけでもなかったので、煽られても手を出すことはなかった。逆にそんな状況に慣れてもいて、誰をどうすればとにかく喧嘩が止まるか、どうしたら芳明が動きやすいかを常に把握していて、芳明には大いに役に立っていた。
 それを繰り返すうち、一年は完全に補佐役の誠吾を認め、上級生もやがて反発を止めた。二年総代の菅野、総総代の瓜生が気安く誠吾に話し掛け、芳明への伝言などを頼むようになったのも大きい。
「あのさ、ホウメイ」
 小さかったが両者がなかなか引かない喧嘩の仲裁の後で、寮に帰りながら誠吾がふと立ち止まってぼそりと呟いた。
 なんだ?と芳明も立ち止まると、誠吾がふっと顔を上げた。
「ありがとな。一度ちゃんとお礼言いたかったんだ。馬鹿なことばっかして、本当は、どうしてこんなことやってるんだろう、って思うこともあってさ。でも俺はそれしか思いつかなくて……。俺がこんな大役できるとは思ってなかった。菅野先輩とか瓜生先輩にまで話し掛けられてさ。妹に話したらマジで喜んでんの。別の意味ですごいって言われて、俺、やっぱちょっと間違ってたなって思った」
 妹の目に尊敬の色が混じったのは、とてもくすぐったかったけれど、誠吾はようやく兄らしいことが出来ている気がした。
「良かったな」
 芳明はいつもと変わらない静かで穏やかな声で答えた。短いが、だからこそ誠吾は照れずにすむ。それを芳明はわかっているのだろう。
「今度さ、妹に会ってよ。話してたらすっかりおまえのファンになっちゃってさあ」
 がしっと肩を組みながら、誠吾が言う。それを鬱陶しいと言いながら、芳明も笑っていた。
「ファンってなんだよ……おまえ脚色しすぎてんじゃないのか」
「できれば右も一緒にさ。な」
 頼むよー、と誠吾は少しばかり情けない声を出しながら、ここに来て本当に良かった、と思っていた。


 六月も中旬を過ぎて、鬱陶しい雨が降り続いていた。山の木々は色濃く濡れて、深緑が美しい。それを右は図書室からぼんやりと見ていた。誠吾の一件以来、右はまた部屋に帰るようになったが、それは何か解決したからではない。右が一人で感じていた気まずさがなくなっただけで、芳明を諦めたわけではなかった。むしろ、あの誠吾のことで、自分の気持ちを右は再確認してしまった。
 芳明はずるいほどかっこいい。
 背も高く、精悍な顔立ちをしていて、運動に鍛えられた四肢は美しく、深い優しさを持っていて、判断力には優れていて、人を上手く従わせることもできる。何もかもだ。何もかも、かっこいい。それを間近で見せられて、どうやって諦めろと言うのだろう。
 ふうっとため息をついたところで、カシャリと音がした。振り向くと、基一がカメラを構えて笑っていた。
「勝手に撮るなよ」
「だってベストショットだったぜ?写真部に売りたいくらい」
 それは芸術写真と言いたいのだろうか、でもそれを売るっていうのはどう言うことだ、と右は目を眇めたが何も言わずにまた外を眺めた。
「右……」
 基一の少し遠慮したような声がする。もしかしたら、いやきっと、基一や圭一には自分の気持ちを知られているのかもしれない、と右は思った。あれだけ、部屋に入り浸っていたのだ。そのときも、何も言わないでいてくれたけれど。
 基一が小さく吐息を吐いて、右の隣に立つ。それから窓をからりと開けた。雨音が柔らかく聴こえてきた。
「ずっと黙ってるつもり?」
 呟くような基一の声は、聞こえなかった振りもできるほど小さかった。それが基一の優しさなんだろう、と右は思う。
「俺、欲張りだから。可能な限りで一番近くがいいんだ」
 右がそう言って小さく笑う。真っ直ぐ前を見て、基一はわざと視線を動かさなかった。だが、それがひどく切なげなのは、基一も知っていた。
「欲張りなんかじゃないだろ。もっと欲張れば良い」
 基一はそう言ったが、右は首を振った。
「今でも贅沢すぎると思ってるんだ」
 同室になったのは運だ。その上同じクラスで、芳明はいつでも自分を気にかけてくれる。それ以上を望むつもりはなかった。芳明が、自分をクラスメートでルームメートで、友達だと思ってくれている以上は。
「あいつ、自分に関しては鈍いからな」
「そこがいいんじゃない?」
 右の言葉に、基一は苦笑する。
「言わないでね」
「え?」
「言うべき時が来たら俺が言う。だから」
 見守っていてよ。そう言う右に、基一は内心でため息をつきつつ、頷いた。そしてそれは、速やかに、そして内密に、親衛隊の中の掟となった。すなわち、ただ見守るだけにすること。誰にも、それを邪魔させないこと。右の切なげな表情にため息をつきつつ、その掟はそれでもしっかりと守られたのだった。


 七月に入ると期末試験、夏休みとイベントを控えて、誰もが慌しくなる。その上運動部は夏のインハイも近いし、どちらにしろ、運動部も文化部も夏休み中の予定は立てなければならない。合宿や練習日、そのための宿泊施設や寮の手配は、ほとんど生徒たちによってすることになっている。
 そんな中、九重大付では恒例の七夕祭りが開催された。男子校だというのに、イベント好きなのと、伝統を重んじる学校方針が古来の催しを外すことはしない。端午の節句や菖蒲湯などもその良い例だ。
「すげーなこれ。裏山に笹があるのか?」
 圭一が大きな笹を見上げて感嘆の声を上げた。茶屋の息子と言うだけあって、浴衣姿がしっくりと嵌っている。反対に隣の右は、慣れない浴衣に少し居心地の悪い思いをしていた。
 浴衣は、持っているものは着用するように、ということだったのに、ちらほらと半分くらいの生徒が着ている。二三年生は毎年のことだからと持ってきているものもいたようだが、一年はさすがにあまり持っている生徒はいなかった。圭一は剣道部の先輩にほとんど脅される形で、実家から何着か送ってもらったのだという。芳明が着ているのはその中の一着だ。右には絶対に大きいから免れたと思ったのに、どこからか持ってこられた浴衣に、無理やり着替えさせられた。
「いや。なんかこれはいつも理事長の贈りもんだっていってた」
 基一も圭一の浴衣を着ている。ちょっと大きくて動きずらい、と文句を言いながらも、さらりと着こなしている。
 笹は二本あって、寮ごとに短冊をつけることになっているらしい。南寮の生徒は、どちらにつけてもいいのだそうだ。そして短冊をつけることは、強制だった。
「書いた?」
 基一に聞かれて、右はふるふると首を振った。圭一も何にしようかなあ、と考えている。
 二本の笹は事務棟と食堂棟に括りつけられていて、三年は校舎内から上の方に短冊をつけられるらしい。つまり、一年は最も人目につきやすい、下のほうにしか短冊をつけられない。
 ピンクの紙をひらひらとさせながら、右は何を書こうかと思いつつ、視線では芳明を探していた。着付けは部屋で圭一がやってくれて、思わず惚れ惚れとしたその姿を思い出す。華奢な自分より、やはり体格の良い芳明や圭一の方がずっと似合う。
 芳明は執行部に混ざって、写真を撮られていた。傍らに誠吾もいる。それはもうすっかり見慣れてしまった景色で、右は小さく吐息を吐いた。そうするように後押ししたのは自分なのに、羨ましいと思う自分もいる。あんな風に、隣にいてもとても自然なことが。
 ふと芳明と視線が合って、思わず右は俯いた。それに、芳明が名前を呼ぶ。赤くなっているであろう顔を上げると、指でちょいちょい、と呼ばれた。
「何?」
 首を傾げながら近寄ると、少し困ったような顔の芳明がいた。慣れない下駄に、足元もおぼつかない。
「先輩が写真撮りたいって」
 食堂のテラスにいる芳明に、すいっと手を差し伸べられる。少しばかりの段差があるのだ。下駄に慣れない右を気遣ったのだろう。途惑いながらも、右はその手を握る。
 温かく力強いその手に、右はまた自分の顔が赤くなるのがわかる。テラスには煌々と明かりがついていて、余計居たたまれなくなった。
 芳明は誰にでも優しい。そんなことはわかっているのに。
「大丈夫か?」
 芳明の声に、小さく頷く。浴衣の所為で、なんだかおかしくなっているかな、と右は深呼吸をした。
「写真って、俺の?」
「そ。それで浴衣が届けられたらしいよ」
 間近で見る芳明の浴衣姿に、右はやはり見惚れた。濃い青色の浴衣に、精悍な顔が似合う。
「ついでだからさ、二人で撮る?」
 写真部の先輩が、冷やかすようにそんなことを言う。右は思わずどきりとした。どきりとしつつ、ちょっとばかり、それは欲しいかな、などと思う。
「先輩っ」
 芳明がむっとした顔で、カメラを構えた先輩ににじり寄った。
「俺、一枚だけって言いましたよね?それともそれで一枚にしてくれるなら、それでも良いですけど?」
 小声で喋る芳明と先輩の声は右には聞こえない。躊躇いなく離された手を見ながら、右は小さく笑った。
 期待しちゃいけない。
 むっとした芳明の顔を思い出して、自分にいい聞かせる。これ以上を、望んではいけない。たとえわずかでも、芳明は自分に温もりをくれるのだから。それ以上を、決して望んではいけないと。


home モドル 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 * 15