home モドル 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 * 14
どこかわからない遠い場所でサボテンを抱きしめる夢を見た
13
ところで千速の方は終わったのか、と海田統括が言ったのに対して、重藤先輩はにっこり笑って頷いた。一体何が終わったのか、俺にはわからなかった。そう言えば、重藤先輩を下の名前で呼ぶのも、海田統括だけだなあ、などとぼんやり考える。
例えば目の前の二人のように、俺と樹先輩が並んでも、自然に見えるのだろうか。やっぱりただの、先輩と後輩、なんじゃないだろうか。
「俺、こう言うのは一切手を出さない主義だったのになあ」
海田統括はそうぼやいている。それには、「調べるだけだからいいじゃないか。広が役に立つことなんて、なかなかないんだから」と重藤先輩が答えていた。そんなことを言ってしまうのだから、重藤先輩って姫なんだろう。
「はいはい。じゃあ、調べたことだけ言うから」
「調べたって?」
「ここのところの深山の落ち込みようというか静かな荒れようというか、その原因」
俺に答えた海田統括は、原因はおまえだ、とばかりの視線だった。
「まあ、坂城を責めることじゃないけどね」
「広?」
「憶測も入ってるから、後できちんと自分で聞けよ?」
海田統括がそう言う。俺は頷いて、話を聞こうと背筋を伸ばした。
「色々聞いたところによると。坂城はコンマ85を切るまで、深山に会うな、と高居に言われていた。それを深山も承知していて、切れた証には何か褒美をやる、という話になっていた」
恐ろしい。目の前の人は、本当に怖いと俺は思った。どこからそう言う話を拾ってくるんだ。高居先輩なら知っているかもしれないが、あの人が素直に全部を話すとは思えない。
「それを目出度くも競技会で達成した坂城は、褒美に何を貰ったんだ?」
「ミニサボテンです」
知っているのだろうが、確認のためなのか俺に言わせた統括は、そこで大きくため息をついた。
「どう思う?千速」
「深山の褒美なんて言うから、俺はもっとすごいの想像したけど」
いや、それはおかしいです、と俺は心の中で反対した。前も、サボテンだったし。
「俺もそう思った。そろそろあいつも限界と言うか、覚悟決めたんだろうって思ってたからな」
「でも、前にもそう言ってサボテン貰ってるし。今回は、本当はあの部屋の中の植物ならどれでもいい、って言われたんです」
そう言うと、重藤先輩が驚いたように目を丸くした。
「ひええ。俺、坂城からかうのだけはやめよ」
それから、そんなことを言う。なんでなのかはわからないが、それはありがたい。重藤先輩にからかわれていたら、外野がうるさいだろう。その筆頭かもしれない海田統括も、隣で呆れつつも驚いていた。
「あの深山が、あそこから養子を出すとは。どうしてそれほどなのに、諦めようとしちゃうわけ?」
「本題はここからだ。深山の態度がおかしくなったのは、競技会直後だったわけだろ?」
それに、俺はこくりと頷く。
「それで高居に聞いてみたんだ。何か変わったことがなかったか」
やっぱり高居先輩に聞いたのか。それはそれで喋らせたんだからすごい、と思っていたら、海田統括はふっと重藤先輩を見た。
「高居と取り引きしたんだ。だから、今週末は千速は俺の部屋にお泊まりな」
「え?なんで?」
「だから、取り引き」
「俺が週末部屋を空ける、っていう取り引きだな……。それなら別に広のところじゃなくてもいいわけだ」
「って、千速どこに行くつもりだ?」
「深山だって一人部屋じゃん」
重藤先輩がそう言ったところで、海田統括がこっちを向いた。
「坂城、協力するから、さっさとまとまれ」
それから、そんなことを言う。なんだろうなあ。
「それで?高居先輩はなんて?」
聞くと、まだ心配なのか、海田統括は重藤先輩をちらりと見た。
「俺にだってご褒美やってもいいと思わないか?」
重藤先輩は少しむっとして考えている。ずるいが、確実に落とせるやり方だ。あのタイミングで取り引きを出したのは、ここで重藤先輩を逃さないためだったのだろう。
なんだか少し、申し訳なくなってきた。もともとは俺たちの問題なのに。
「わかったよ。でも、飯は広が作れよ」
不貞腐れたような重藤先輩に、オーケーと明るく海田統括が言う。初めて二人が話しているのを間近で見たが、面白いものだ。
「さて、じゃあ本題。あの日、深山の周りにいたのが誰だか、坂城は気付かなかったか?」
「周り、ですか?」
スタンドには結構人がいたから、あまり気にしなかったんだけれど。
「まあ、おまえは内部進学希望みたいだから、眼中なしだったのかもしれないけどな。ちらほらと県内の大学の陸上部の監督が来てたみたいだぜ」
まあ、高居先輩辺りも走っていたときは前からスカウトが来ていたから、県予選でもそんなことがあってもおかしくないだろう、と俺は思ったが。
「それが何か?」
「おまえねえ……優勝者の自覚がないね」
海田統括が、ため息をつく。自覚、といわれても。
「誰かが話を聞いてたわけじゃない。でも、高居は少なくとも知ってる顔があった、と言ってるからな。おまえをスカウトする話でもしてたんだろう」
はあ、と俺は気のない返事を返してしまった。俺は前から、九重大に進むことを決めているのだ。
「三年だからさ、俺たち」
隣で、重藤先輩がそう言って少し不安げに笑った。
「ただでさえ、卒業したら距離が離れるのに、待ってても相手は同じ大学に入らないかもしれない、っていうのは……」
そこまで言って、重藤先輩は困ったような顔をした。確か二人は、九重に一緒に進学じゃなかっただろうか。
「それなら、このまま、って深山が思ってもまあ俺たちは納得するかもな」
海田統括はそう言うが。
俺は納得できない、と思った。
「そんなの、ずるいじゃないですか」
さんざん人を引っ掻き回して、惚れさせて。それで一年も先の未来の不安を持ち出されて、今更やっぱりやめよう、なんて。俺はやっと自覚したのに。
俺がそう言うと、二人の先輩は思わずとばかりに笑った。
「いや、そうだよなあ。見てるこっちが苛々したくらいだからな。本人達なんて大変だっただろ」
「でも、坂城はまだいいじゃん。深山なんてこの鈍感相手に、結構苦しんでたんだぞ」
それを見せる人ではないけれど。
「その辺はさ、ちゃんと深山と話しなよ。深山がその不安を飛び越えるかどうかは、坂城次第だ」
重藤先輩がそう言って、立ち上がる。俺にも来るように、と視線で促されて、慌てて立ち上がった。
「入れてもらえないんじゃ話しにならないからね。俺も一緒に行く」
それはありがたいと、俺は大人しくその後を追った。
本当は、自分達だって不安なのだ、と重藤先輩はエレベーターを使わずに階段で最上階に向かいながら言った。
「この狭いけど居心地のいいところから出なきゃならないのが、不安なんだ」
大学は同じでも、学部が違うのならば、会う機会だって少ない。その上、ほとんど知っている人間ばかりだったところから、不特定多数の他人に毎日のように接するのだ。心配だよ、とぽつりと零した。
ここは、世間から隔離されすぎているんだ、と。
心配なのは、海田統括も一緒だろう。いや、もっと心配なのかもしれない。
「その差は、大きいと思う。坂城はまだこの籠の中でいて、自分は外に放り出されて。すごく怖いことだよ」
俺にはまだその感覚がわからない。後一年以上、残っているから。
重藤先輩の呼びかけに、信頼しきってドアを開けた樹先輩は、酷い罵倒をその重藤先輩に浴びせていた。手はださない。でも、ものすごく怒っている。それをうんうんと流すように聞いている重藤先輩を、尊敬してしまった。
「相変わらずきついよ、深山は」
その一言で済ませてしまったのだから。
その先輩に、ばつが悪そうに「悪い」と樹先輩が謝っている。確かに、らしくない。
「そんな取り繕うのも忘れるぐらいなのに、諦めようとするんだからな。ちゃんと話せよ。俺たちには言葉がある、っていつも言うのは深山だろ?」
樹先輩が小さく息を吐いた。それをじっと見つめていた重藤先輩は、くるりと振り返ってすたすたと部屋を出て行った。呆然と立っていた俺に鍵を渡して、閉めるように、と言う。
「え?あの……」
「ここは邪魔が入りやすいから」
ちゃんと閉めるんだよ?と念を押された俺は、とりあえず言うことは聞いておこうとドアに鍵をかける。振り返ると、樹先輩は緑の中に立って、窓から外を眺めていた。
頑なに拒否しているようで、淋しそうなのは、俺の穿った見方だろうか。
「俺のリクエスト、言っていいですか?」
そっと近づく。さわりと葉に頬が触れて、俺はそっとその葉を撫でた。
「大人しくサボテン持って帰ったから、終わったと思ったのに」
樹先輩は、ぼそりとそんなことを言う。
「終わったって……始まってもいないのに、何言ってるんです?」
「坂城……?」
相変わらず頑なに下の名前を呼ばない先輩に、俺は正直苛ついた。だから、わざと言う。
「樹先輩」
先輩ははっとしたように顔を上げたが、視線はまだ合わなかった。
「俺は、樹先輩の隣にいたい。その権利が欲しい。それがリクエストです」
俺はまっすぐに、樹先輩を見ていた。それほど高くはない木々の中で、それに縋るように、隠れるように、立っている先輩を。
「樹先輩は……そうやって、植物があればいいですか?言葉を話す人間は傍にはいらないですか?俺は、駄目でした。緑だけじゃ、苛々も悩みも、全部はなくならなかった」
樹先輩がいないと。そう言うと、ようやく先輩が顔を上げた。まるで泣きそうな目をしていて、少しだけ、俺は内心焦った。
「和高……」
「やっと呼んでくれた」
ほっとして笑うと、先輩ははっとして口を押さえた。素直じゃないなあ、と思う。でも、だから、少しわかった。素直じゃないから、俺は振り回されたのだ。鈍感相手に素直にならなかったら、話は拗れるだけじゃないか。
俺はゆっくり先輩に近づいて、そっとその肩口に頭をのせた。
「俺が、何のためにあのとき、走ったと思ってます?」
樹先輩は、固まっていて動かなかった。
「先輩に前みたいに会いたくて。話をしたくて、名前を呼んで欲しくて……それで、ゴールを目指したんです。そこに、樹先輩がいたから」
home モドル 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 * 14