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la vision

19
そんな顔、とは、どんな顔だったのだろう。
周は、空ろな瞳のまま、鏡に目を向けた。
人形のような、無表情さ。
こんな顔も出来るのだと、周は他人事のように感心してその顔を眺めた。
見つめ返される瞳に、自分は映っていない。何も、映ってなどいないのだ。
ゆらりと揺れて、自分の瞳に、穂積の目が重なった。
じっと、見つめてくる。
いるはずがないのに、すぐそこで見られているかのような、目。
逃げても、逃げても追いかけてくる。
何度も、何度も、こうして思い出していれば、いつかはこの記憶も、薄れるだろうか。
それならば、何度も思い出そう。わからなくなるまで、何度だって。
忘れてしまえることの方が、周には魅力だった。たとえ今、切なくとも。
階段の軋む音が微かにして、周はドアに視線を移した。
「入るよ」
その声を聞いて、周は答えずに、うんざりした様に窓辺に寄って、窓を開ける。それと同時に、ドアも開いた。
周はぼんやりと、外を眺める。もう日は落ちて、残光が薄っすらと西の空に残っていた。もう、星が瞬き始める。
「周」
「やめろよ」
「…」
「もう、やめてよ。思い出したくない」
「逃げるなよ」
その声に、周はため息をついて、頭だけ振り返った。
「逃げないで来たよ。ずっと」
自嘲を込めて、笑う。
「俺は、兄さんみたいにはなれない。やっと分かったんだ。俺は、兄さんの跡をなぞって、追いかけてただけだって」
「だから、逃げるのか」
「…どうしてそうなんだよ、兄さんは」
ぎりぎりまで、追い詰める。手を抜くことは、絶対にしない。周は、体も完全に尋由に向けた。少し憎しみも込めたような視線が、尋由に注がれた。
尋由はドアの柱に寄りかかって、その視線にも動じずに、周を見ていた。
真っ直ぐ、何も否定しない。
いつから、尋由はこんな視線をするようになったのだったか。
「父さんが、死んでからか…」
「何?」
「その目」
敵わない。あのとき、尋由は周の未来も背負ったのだ。そうとは、見せずに。
尋由が、ふっと顔を綻ばせた。
「お前も、良い目をするようになったよ」
「…どんなだよ」
「その目だよ。睨んでる目」
反抗を、知らなかった周。そうさせたのは、自分だと知っていた。でも、それをどうにも出来なかったのだ。尋由も必死で、気付いたら、周は幼いひよこの様に、自分の跡を追っていた。
「…何笑ってるんだよ」
睨んでいると分かっているくせに、尋由の顔は嬉しそうだった。周はその顔に、脱力したように、息を吐いた。
「嬉しいんだよ」
「何が」
「―――何でもない」
尋由が近寄ってきて、周の頭をくしゃりと撫でた。
兄の手だ。
温かい、兄の手。
この人は、どうしようもなく、自分の兄なのだ。そしてずっと、味方なのだ。
「ごめん」
「好きなんだろ?穂積さんのこと」
「…うん」
「あの人は、とっくに俺のことなんて思ってないよ」
その言葉に、周は苦笑した。
「…かわいそう、穂積さん」
小さく、呟く。載せられたままの手の重みに、泣きそうになりながら。
みんなが、他人のことを想ってる。それでも、どうにもならないものもある。
「俺、大学いくから」
「あぁ」
「一人で、歩くよ」
周の頭を、尋由がぽんぽんっと叩いた。


「悔しいですね」
「何が」
じっと、尋由が穂積を見ていた。それからおもむろにため息をついて、そんな言葉を吐いた。
「周、あなたの後輩になりたいようですよ」
周の行きたい大学は、尋由の行っていた大学ではなくて、穂積が通っていたところだった。
特に意識したわけではないようだが、それでも影響はあるだろう。
「決まったのか」
「えぇ」
オフィスには、誰もいなかった。以前なら、こんな時間になると、周が良く食事を持って来ていたことを、穂積は思い出す。
尋由が、コーヒーを差し出しながら、微笑んだ。
「あいつ、いい男になりますよ、きっと」
「お前の弟だからな」
「後悔しても知りませんよ」
尋由がそう言うのに、穂積は意外そうにその顔を見た。
「穂積さんに、会わせるんじゃなかった。周があんな顔をするなんて…」
歪んだ笑顔。でもそれは、諦めたように、笑っていた。
「俺じゃ、どうにも出来なかった。それを、穂積さん、あなたがした」
どんなに傷ついたとしても、今、周は確実に歩みだし、前方を見つめていた。
「仕方がないさ。俺も周も、お前から逃げたかったんだろう」
「穂積さん…」
「あいつは間違いなく、いい男になるよ」
睨むような視線。強がった言葉。それなのに、縋るように抱き合った。
二人とも、狂ったように―――
惹かれ合ったことは、否定できない。でもそれを、穂積は周に伝える気はなかった。どんな風に言っても、周には真実として響かないだろう。
そう思い込ませたのは自分で、その気持ちを見つめることを拒否したのも、自分だった。
今の穂積には、周を潰すことしか出来ない。一緒になって、堕ちて行くことしか。
でもそれを、穂積は望まなかった。
自分のためではなく、周のために。

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