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あふれ出る言葉など何の役にも立たない
16
「夏休み、帰らないのか?」
二人で隅の席に坐って、ようやく落ち着いて食べ始めた頃、右がぽつりと言った。
「ん?ああ、聞いてたのか」
深山の芳明への話は、夏休み中の寮内の責任者についてだった。深山は園芸部だけあってあまり学校から離れないらしいが、それでも一人では大変だし、何日かは帰るのだという。フロアー長の中には全日程で帰省するものもいるらしく、ずっと寮に残る芳明に臨時のまとめ役が回ってきたのだった。
「え?ああ、ごめん」
「いや、別にいいんだけど。ああ、帰るつもりはないよ。遠征以外は俺はずっと残りだな」
どうせ部活もあるし、と言う芳明の顔は淋しそうでもなんでもなく、ただ、諦めのようなものがあった。
「右は?」
「俺?うーん。帰りたくないけど、帰るのかな」
自分でも曖昧な答えに、苦笑する。本音は帰りたくない。でも、帰らない理由がないのだ。
「なんだそれ」
「だって、俺は部活もやってないし。こんなことならどっかに入ろうかなあ」
深山は園芸部で、植物の世話があるからあまり出られないのだと言っていた。大変そうだが、夏休み中拘束してくれるなら、それもいいかもしれない。
「帰りたくない、が本音か」
まあね、と右は誤魔化しの笑顔を浮かべる。芳明の嫌いなその顔を、でも今回は見逃してくれたようだった。何か言いかけて、口を閉じる。それから少し思案顔で、もぐもぐと唐揚げを食べていた。
「なあ、それならさ」
しばらく沈黙のまま食事をしていたが、芳明がふいに顔を上げた。運動部の芳明は気持ちいいくらい食べる。右はもう食事を終えて、いつもながら余ったものを芳明のトレイに載せた。それに、ありがと、と芳明が笑う。
「うちのマネージャーしない?」
「は?」
「バスケ部のマネージャー。夏休みだけでも」
芳明はそう言って、こくりと味噌汁を飲んだ。
「楽じゃないけど。夏休みは練習漬けだから、普段より大変らしくて。インハイもあるし、合宿中は食事も任されるし、運動部は結構普段も食事作りをするときがあるらしくてさ。マネージャーがぼやいてたんだ。手が足りないって」
もちろん、下っ端の一年が助けるのだが、それでも練習中はその手を借りることは出来ない。今年のバスケ部は五十人近い大所帯で、マネージャーは三年と二年の二人だけだ。普段のユニフォームの洗濯だけでも面倒だし、夏休み中は遠征もする。
「でも俺、バスケのこと知らないよ?」
「そんなのは少しずつ覚えればいいだろ?俺も教えるし」
「でも……」
「ああ、嫌ならいいんだ。ごめん。ちょっと強引だったな」
そうじゃない。嬉しいのだ、と右は慌てた。考えても見なかったのだ。運動音痴なのは自分でよく知っていたし、諦めてもいた。でも、部活で芳明と仲のいい人間に微かに嫉妬もしていた。自分と芳明は、来年になれば離れてしまう可能性が高い。芳明はこのまま総代で、南寮に入るだろうし、クラスも一緒になるとは限らない。こればかりは、くじ運を祈るしかないのだから。
「嫌じゃない」
「右?」
「ただ、本当に俺でいいのかなって。迷惑かけるかもしれないじゃん」
自分はどうでもいいが、紹介した芳明に迷惑がかかるのは嫌だった。でも芳明は、そんなことか、と笑った。
「右ならうちの連中は泣いて喜ぶだろ。大丈夫だよ。それに、右は中途半端はしない。努力をしない人間じゃないだろ?」
なんでもないことのように、芳明が言う。そう言う言葉をさらりと言ってしまえるのが、総代たる所以なのだ。
「いいかな?」
「いいよ。右がやる気あるなら、明日にでも部長とマネージャーに話してみるけど」
芳明の言葉に、右は照れたまま笑って頷いた。正直に、嬉しかった。
そのはにかむような笑顔に、芳明は一瞬見惚れて、内心で、早まったか、とため息をついた。傍においておきたくて、マネージャーの話など出してしまったが、あの野郎どもの中に右を放り込むことになるのだ。特に、運動部のマネージャーは横の繋がりも広い。
でもそれは、自分が守ればいいことか。
芳明はそう一人で勝手に結論付けていた。
早速翌日の放課後、右は芳明に連れられて第一体育館に行った。どうやら朝練のときに、部長達には話したらしい。
それともう一つ、これは右は知らないが、芳明は昼休みの間に新を第一会議室に呼び出していた。
「どうした?」
芳明たちのクラスがあるA棟の反対側、食堂棟にある第一会議室は、滅多なことでは使われない。普通は、事務棟の執行部室隣にある会議室が使われるのだ。その第一会議室の鍵を、何かと必要になるだろう、ということで、芳明は総総代の瓜生から預かっていた。確かに誰にも聞かれたくない話などにはちょうどいい。
「いや、ちょっと報告」
「報告?」
「ああ。右のことなんだけど。バスケ部のマネージャーになると思う」
朝練の時点で、部長と副部長、他のマネージャーからの同意は得ている。それを聞いていたバスケ部連中が、興奮していたのも知っている。ただし、まだ決定事項ではないから、他言無用と海田からは言い渡されたが。
突然のことに、新は一瞬固まった。芳明の言っていることも驚いたが、それを自分に言ったことにも、驚いた。
「なんで……?」
「いや、夏休みに人手が足りないってうちのマネージャーが言ってて、右は右であんまり帰りたくないから理由が欲しいって言うし。だったら、うちのマネージャーやればって言ったんだ。で、右もやりたいってことで」
芳明の説明に、なんとか頷いた新だったが、本当に聞きたいことはそれではない。誘われたなら右が了承するのもわかる。でも。
「いや、ああ、そうか。それはわかったよ。でも、なんで俺に言うわけ?」
もしや、と背中に冷や汗が流れそうになる。だんだん大きくなっているが、なんとか上手く隠していると思ったのだが。
「なんでって……まあ、一応親衛隊長には言っておこうかと」
芳明の何でもないような声に、新は思い切り脱力して、机に手を乗せて座り込んだ。
「知ってたのか」
「あのなあ。クラス中だろ?あの鈍い本人ならいざ知らず、普通気付くって」
はあっと大きなため息をついた新に、芳明が呆れた声を出す。
「最近はもっと膨れてるだろ?正確なのは俺も把握してないけど」
そこまでばれてるのか、と新は情けない思いで顔を上げた。
「言っとくけど、おまえを弾いたわけじゃないからな」
「わかってるよ。本人に隠しておくのは賢明だ。あの性格じゃあ怒って認めないだろうから。だから、同室の俺を入れなかったのも正解だ。俺までそんなことをしてたら、ばれるに決まってる」
それだけでもないのだが、どうやらその点には気が回らないらしい、と新は別のため息をつく。
「大体、俺はそういうのをやる性格じゃないし」
そう言った芳明に、ようやく新は立ち上がった。それから、開け放った窓際に行く。
「こんなお遊びには付き合えないって?まあ、確かに似合わないよな」
皮肉でも責めるでもない口調で新が言うと、芳明が奇妙な顔をした。窓の桟に軽く腰掛けながら、新は眉を顰めた。それから、慌てて言う。
「いや、別に皮肉とかじゃないぞ?」
「ああ、わかってるよ。ただ――」
「ただ?」
「おまえは、遊びじゃないと思ってたから」
芳明の目も口調も、責めてはいない。ただ静かにそう言われて、新はぐっと言葉に詰まった。
確かに、自分のこれは遊びとは少し違う。親衛隊なんて言って、騒いで見るものの、その親衛隊員たちとは、違う感情を持っていることを新は自分でわかっている。
「遊びじゃないって……本気でもないぞ、俺は」
からかい口調で言っては見るものの、うまくいかない。声が少しだけ震えた。芳明はじっと、新を見ていた。
「隊員たちの中には、そりゃあまあ、割と本気で右のことを想ってるのもいるけどさ。俺は、そういうんじゃない」
芳明がその話にのってくれることを祈りつつ、そう笑って見せた。でも、芳明は容赦がない。
「そういうことを言ってるわけでもないよ、俺は」
「ホウメイ……?」
「ただ、おまえは誰かを守りたくて仕方がないように見える。懸命に右を守って――罪滅ぼしをしているように見える」
新は動きを止めて、目の前の同級生を見つめた。逸らされた視線は合わず、その横顔は少しだけ苦笑を浮かべていた。でも、それはとても柔らかい表情で。
「ホウメイ……」
「悪い。勘繰り過ぎたな」
いや、と呟いた自分の声が弱々しくて、新は思わず唇を噛んだ。
「あいつはどうも危なっかしいし、変なところで鈍いし。おまえたちみたいなのがいた方がいいと思うよ、俺も。ただ運動部の中に放り込んだらもっと大変になるかもしれないけど」
それは滝口自身よくわかっているだろう、と笑った芳明に、新はようやく冷静さを取り戻して、笑い返した。
「まあでも、バスケ部にも隊員はいるし」
「そうなのか?あそこはみんな部長の息がかかってるのかと思った」
「強制じゃないだろ?おまえだってフリーだろうが。重藤先輩は俺たちにとったら雲の上だからさ、一年は右のほうに転がるのが結構いるんだよ」
言いながら、新は自分の中で揺れる気持ちを持て余していた。ずっと、見ない振りをしてきたのだ。
「なあ……」
思わず呟いた声に、芳明がふいっと顔を上げた。
「こんなんが隊長でいいのかね」
身代わり、罪滅ぼし。その言葉は、きっと合っている。ただ考えないようにしてきただけで。
「おまえほど適任はいないと思うけどな。のめりこんでる奴じゃあ目も当てられない。それに」
ふっと芳明が柔らかく微笑んだ。
「これはほとんどお遊びで、お節介の領域だろ?だから、いいんだよ。おまえがやりたいようにやれば」
お節介――。きついなあと思いつつ、でも確かにそうなのだ、と新は思った。そして、お節介はどれだけやってもお節介だ。右のためなどと、大義名分をかざすべきではない。お節介と思ってやっていれば、罪悪感も少しは減るだろうか。
「なんかさ」
新は「よっ」と大げさに桟から腰をおろして、窓を閉めた。
「おまえに惚れる気持ちがわかった気がする」
振り返ってそう言うと、芳明が眉根を寄せた。
「冗談言うなよ」
「俺もそう思う。ホウメイと俺じゃなあ」
「っていうか、誰もいないだろうが」
芳明の呆れた声に、新は今度はまじまじとその顔を凝視した。
「なんだよ?」
気付いていないのだろうか。あれだけ、新のことを良く見ていて、誰にも気付かれなかったことを暴いたくせに。
目を眇める芳明に、忘れていた、と新は天井を仰ぎ見た。
この男は、自分に対する視線や態度だけには鈍いのだ。悪意も、好意も、どちらも気付かずにいる。時には有効だが、こうも鈍いのは一種犯罪的だ。
「おまえ……どうして自分のことにそんなに無関心なわけ?」
思わず呆れて言うと、芳明がますます眉を寄せる。
「ああいいよ。なんでもない。それより、右のこと、頼んだから。部活中はおまえが一番頼りになる」
そんなことはわかってる、と芳明が言う。でも、新はただただため息をついたのだった。
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